「亡命しても、言葉だけは祖国を離れなかった」 ── バルトの巨匠トマス・ヴェンツロヴァ、自選詩集が待望の初邦訳

戦争、亡命、そして祖国への帰還 ── 。20世紀から21世紀へと続く激動の歴史を生き抜き、その経験を詩として刻み続けてきたリトアニアの詩人、トマス・ヴェンツロヴァ。その代表作73篇を収録した『トマス・ヴェンツロヴァ自選詩集』が、7月31日に東京外国語大学出版会より刊行される。詩人自身が選び抜いた作品群を、リトアニア語原典から日本語へ初めて翻訳した、記念碑的な一冊だ。

「大破局のあと」を生きる詩人が紡ぐ言葉

1937年、リトアニアに生まれたヴェンツロヴァは、ソ連体制下で反体制活動を続けたのち、1977年にアメリカへ亡命。その後も亡命先で祖国の言葉を手放すことなく、リトアニア語による詩作を続けてきた。

彼は自らを「ポスト・カタストロフィスト(大破局後の詩人)」と呼ぶ。戦争や全体主義によって文明が壊れた世界を前提にしながら、それでもなお言葉によって希望の輪郭を探ろうとする姿勢は、本書全体を貫く大きなテーマとなっている。

「空虚ではあるが絶望的ではない世界」。その静かな眼差しは、分断や対立が深まる現代社会においても、驚くほど切実な響きを持っている。

「越境する言葉」がいま私たちに問いかけるもの

ヴェンツロヴァの詩には、「亡命」は単なる政治的な出来事ではなく、人間が宿命的に抱える喪失や記憶のメタファーとして繰り返し現れる。

廊下の鍵をかけるとき、心臓の
鼓動が乱れ、胸が重くなった。
確かに、その国において死は
偶然ですらあり得たのだ。

収録作「われらが人生の旅の半ばに」では、祖国を離れる直前の切迫した心理が静かな言葉で描かれる。その後に続く亡命生活、祖国の独立、そして帰還までの人生は、一篇一篇の詩の背景として静かに息づいている。

国境を越えながらも言葉だけは故郷に根を張り続ける ── そんな「越境する文学」の力を、本書は改めて教えてくれる。

リトアニア語原典から初めて日本語へ

本書を翻訳したのは、日本におけるリトアニア研究の第一人者である櫻井映子氏。リトアニア語学・文学を専門とし、長年にわたり同国の文化を日本へ紹介してきた研究者だ。

詩人自身が選んだ73篇をリトアニア語原典から直接訳した日本初の自選詩集である点も、本書の大きな価値となっている。

出版記念講演会も開催

刊行に先立ち、7月28日には東京外国語大学で出版記念講演会「越境する言葉、刻まれる記憶―バルトの詩人トマス・ヴェンツロヴァの世界」が開催される。講師は本書の訳者・櫻井映子氏。入場無料・事前予約不要で一般公開される予定だ。

詩は、国境を越え、時代を越える

世界文学のなかでも、日本ではまだ十分に紹介されてこなかったバルト文学。その重要な担い手であるトマス・ヴェンツロヴァの詩は、亡命文学としてだけでなく、「言葉とは何か」「祖国とは何か」「人はなぜ詩を書くのか」という普遍的な問いを静かに投げかける。

世界が再び境界線を意識せざるを得ない時代だからこそ、この詩集は単なる翻訳出版にとどまらない意味を持つ。国を越え、時代を越え、人間の記憶に寄り添う言葉の力を、あらためて思い出させてくれる一冊となりそうだ。

■ 書誌情報

書名  『トマス・ヴェンツロヴァ自選詩集』

著者  トマス・ヴェンツロヴァ

訳者  櫻井映子

判型・頁数  四六変型・並製・328頁

価格  3,900円(税抜)

ISBN  978-4-910635-23-1

発売日  2026年7月31日

出版社  東京外国語大学出版会

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