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[妄想コラム]ジャズはどこへ行くのか ── 2125年、即興という名の未来地図
はじめに:100年後に鳴る音を想像するという冒険 2125年 ── その世界で、ジャズはまだ“ジャズ”と呼ばれているのだろうか? あるいはもう、その言葉すら忘れられ、別の名前で進化を続けているのかもしれない。 ジャズは20世紀初頭にアメリカで生まれ、そこ... -
[連載:FUNK IS POWER]第3回:ユートピアとしてのファンク──スライ&ザ・ファミリー・ストーンの革新
ファンクは単なるダンス・ミュージックではない。それは人種、政治、スピリチュアリティ、そして大衆文化が複雑に交錯する音の運動体であった。本連載では、ジェームス・ブラウンの革新に始まり、スライ&ザ・ファミリー・ストーンによるユートピア的ヴィ... -
[妄想コラム]Re-Imagine:ジョン・レノンがDAWを手にしたなら ── 革命児が現代の音を手にしたとき、そこに響くのは祈りか、ノイズか
プラグインと詩、そしてプロテスト 「イマジン」という一曲に、どれだけの人が涙を流し、怒りを静め、あるいは燃え上がっただろうか。ジョン・レノンの音楽は、音そのものよりも、その奥にある“人間の祈り”を暴き出す装置であった。ギター一本でも戦える男... -
[連載:GROOVEの錬金術]第4回:境界の彼方へ──アシッドジャズの変質と再編成(1990年代後半~2000年代)
アシッドジャズは1990年代前半に一つの頂点を迎えた。クラブを基盤とする地下文化でありながらも、ポップチャートに食い込む存在感を獲得し、レーベル、アーティスト、DJ、クラウド(観客)が一体となって豊穣な時代を築いたのである。だが音楽史とは常に... -
[音楽語源探偵団]Vol.7:指先の魔術 ── ライトハンド奏法の起源と進化
ギターの世界には、ある瞬間から劇的に演奏スタイルが変わった技法がいくつか存在する。そのひとつが「ライトハンド奏法(タッピング)」である。これは通常ピッキングに使われる右手(ライトハンド)を、ネック上に持ち上げ、直接弦を叩いて音を出すとい... -
[妄想コラム]もし音楽がなかったら ── 映画という夢はどこへ向かったか
映画において、音楽は空気であり、血流であり、そして感情の最後のひと押しである。だが、もしこの世に「音楽」という概念自体が存在していなかったとしたら、映画の歴史、映画というメディアの表現、そして我々観客の体験は、一体どのように変わっていた... -
[連載:ブラジル音楽の地図]第8回:21世紀のブラジル音楽──伝統と実験のクロスオーバー
ブラジルの音楽は、ただのジャンルやリズムの集まりではない。それは広大な国土に根を張る無数の文化の交差点であり、歴史的な重層性と現代的な革新が常に交錯しているダイナミックな音の海だ。本シリーズでは、サンバの起源から現代のクラブシーンに至る... -
[連載:GROOVEの錬金術]第3回:クラブとクロスオーヴァー ── ロンドン発、アシッドジャズの大衆化戦略
1990年代に入り、アシッドジャズはロンドンの地下クラブ・シーンから次第に地上へと進出し始める。初期における実験性と選民性の強いムーヴメントは、この時期になると多くのリスナーに開かれたポピュラーな音楽としての側面を帯びるようになる。それを牽... -
[妄想コラム]ドラッグが存在しなかったら、音楽のあり方は変わっていたのか?──ある種の文化的前提を失った音楽史の妄想
はじめに:音楽とドラッグの距離感 音楽の歴史をたどるとき、しばしば避けては通れないのがドラッグという存在である。それは決して推奨でも否定でもなく、あまりに多くの創作の場面で、その存在が暗黙の前提として横たわっていたことの指摘にすぎない。サ... -
[連載:FUNK IS POWER]第2回:宇宙からのファンク──Pファンクの拡張と神話化
序章:宇宙へ飛翔するファンクの新境地 1960年代後半、ファンクはジェームス・ブラウンを筆頭に、リズムの革新と身体性の強調によって独自の地平を切り開いた。だが、その先にさらなる拡張をもたらしたのは、ジョージ・クリントン率いるパーラメント/ファ...