音は、空間のなかで生き続ける ── 坂本龍一+高谷史郎「async – immersion」が東京に出現

坂本龍一が晩年に追い求めたのは、音楽を「聴く」という行為の、その先だったのかもしれない。音を空間のなかに置く。映像と音を完全には同期させない。そして、そこへ観客自身の身体を放り込む。

坂本龍一と高谷史郎による大規模インスタレーション「async – immersion」が東京にやってきた。京都発の展覧会〈AMBIENT KYOTO〉にとって初の東京開催となる「RYUICHI SAKAMOTO + SHIRO TAKATANI AMBIENT KYOTO – TOKYO」が、2026年8月28日、麻布台ヒルズギャラリーで開幕した。

2023年の京都で大きな反響を呼んだ作品を、幅26.4メートルの巨大スクリーンと、この会場のために構築された立体音響によって再び体験する59日間。これは坂本龍一の音楽を「再生」する展覧会ではない。音楽、映像、音響、空間、そしてそこに立つ人間。そのすべてが交わった瞬間にだけ現れる、巨大な“音の環境”である。

『async』から始まった、音楽を「設置する」という思想

作品の源流にあるのは、坂本龍一が2017年に発表したアルバム『async』だ。タイトルが意味するのは「非同期」。従来の音楽的な秩序や時間感覚から距離を取り、環境音やノイズ、ピアノ、電子音、さまざまな音響を配置した同作は、坂本自身が「あまりに好きすぎて、誰にも聴かせたくない」と表現したほど極めて私的な作品でもあった。

そして、この時期の坂本が抱いていた重要な構想が「設置音楽」だった。絵画や彫刻を空間に設置するように、音そのものを空間へ立体的に配置する。それは音楽を時間の流れとして聴くという従来の形式から解放し、「その場所に存在するもの」として体験する試みでもある。

『async』を起点として、5.1chサラウンド作品『async – surround』、ワタリウム美術館での〈坂本龍一|設置音楽展〉、ニューヨークのPark Avenue Armoryで行われた公演など、坂本と高谷はさまざまな方法でこの思想を発展させていった。そのひとつの集大成として誕生したのが「async – immersion」だ。

26.4メートルの映像と立体音響 ── 作品の“中”へ入る

「async – immersion」が初めて公開されたのは〈AMBIENT KYOTO 2023〉。会場となった京都新聞ビル地下の広大な印刷工場跡地には、29台のスピーカーと6台のサブウーファーが配置され、巨大な映像とともに立体的な音響空間が構築された。

今回の東京展では、その京都展と同スケールとなる幅26.4メートルの巨大スクリーンが麻布台ヒルズギャラリーに出現。さらに会場の特性に合わせ、新たな立体音響システムが組み上げられている。

音響ディレクションを担当するのは、京都展に引き続きZAK。坂本龍一の晩年の作品にも深く関わってきたエンジニアだ。つまり今回、京都で生まれた作品を単純に東京へ「移設」したわけではない。

空間が変われば、音の響き方も、映像との距離も、人間の身体が感じるスケールも変わる。その場所そのものを作品へ組み込みながら、「async – immersion」は2026年の東京で新たに立ち上がる。

音と映像は、あえて出会わない

高谷史郎が手がけた映像には、坂本のスタジオに置かれた機材やピアノ、庭、空、雲、水面の波紋、アイルランド、モロッコ、東京、ドイツの風景などが登場する。さらにそこには、東日本大震災の津波によって被災し、坂本が出会ったピアノの姿もある。

しかし興味深いのは、それらの映像が音楽にぴたりと合わせて編集されているわけではないことだ。「async=非同期」という作品の思想に基づき、一部を除いて音と映像は同期しない。だからこそ、その関係は見るたびに変化する。

ある瞬間には映像と音が偶然呼応しているように感じられ、次の瞬間には離れていく。高谷はその感覚を、波や雨の波紋を眺める体験になぞらえている。反復しているように見えて、同じことは二度と起こらない。

そこで重要になるのが、作品を見る「あなた自身」だ。音楽と映像だけで作品が完成しているのではない。その空間を歩き、立ち止まり、巨大な映像を見上げ、身体全体で音の振動を受け止める観客もまた、「async – immersion」を構成する一部になる。

坂本龍一は、音楽をどこまで拡張しようとしていたのか

1978年のソロデビュー、YMO、映画音楽、オペラ、舞台芸術、そしてインスタレーション。坂本龍一の活動を振り返れば、そのキャリアは常に「音楽」という言葉の境界を押し広げるものだった。とりわけ晩年は、音そのものだけではなく、音が鳴る場所、響く時間、そしてそれを聴く身体へと関心が広がっていった。

2021年には高谷とのシアターピース『TIME』を世界初演。2022年にはダムタイプの新メンバーとして参加し、ヴェネチア・ビエンナーレ国際美術展日本館で新作《2022》を発表するなど、両者の協働は音楽と現代美術の境界を越えて続いてきた。

「async – immersion」は、そうした長い対話の延長線上にある。だからこそ、この作品を単なる“坂本龍一の展覧会”として捉えるだけでは、おそらく足りない。ここで提示されるのは、「音楽とは何なのか」という、もっと根源的な問いなのだ。

京都から東京へ ── 〈AMBIENT KYOTO〉が作る新しい鑑賞体験

〈AMBIENT KYOTO〉は2022年、アンビエント・ミュージックの先駆者ブライアン・イーノの展覧会〈BRIAN ENO AMBIENT KYOTO〉からスタートした。音、映像、光、建築、そして都市。そのすべてを作品の一部として捉え、アンビエントという思想を「聴く音楽」から「身体で経験する環境」へと拡張してきた。

2023年には坂本龍一+高谷史郎に加え、コーネリアス、バッファロー・ドーター、山本精一らによるインスタレーションを京都各所で展開。そして2026年、そのプロジェクトが初めて東京へとやってきた。

今回の会場では「async – immersion」単体を展示する。だからこそ、余計な情報に遮られることなく、ひとつの作品と長い時間を過ごすことができる。スマートフォンで数十秒の音楽を次々とスキップできる時代に、ひとつの音、ひとつの映像、ひとつの空間へ身体ごと沈み込んでいく。それはもしかすると、現代においてかなり贅沢で、そして少し異質な時間なのかもしれない。

展覧会の世界を持ち帰る、Graphpaperや京都の職人とのプロダクト

会場では展覧会のために制作されたオフィシャルグッズも展開される。「async – immersion」のキービジュアルやタイポグラフィを用いたTシャツ、トートバッグ、ポストカード、ステッカー、クリアファイルなどに加え、日本のファッションブランドGraphpaperとのコラボレーションも登場。吊り編み機による丸胴天竺を使用したショート/ロングスリーブTシャツや、シャンブレーコットンギャバジンによるドローストリングバッグが制作された。

さらに〈from KYOTO〉として、京都の作り手との会場限定プロダクトも用意される。宇治・南條工房のおりん、西陣の唐紙工房・かみ添によるアート作品、和束産茶葉を使用したApoptosisの抹茶缶ギフトやスパークリングティーなど、音、紙、茶という異なる文化が「AMBIENT KYOTO – TOKYO」の世界へ接続される。

同じことは、二度と起こらない

坂本龍一は2023年3月28日にこの世を去った。しかし、「async – immersion」という作品のなかで、音は完成した過去として固定されてはいない。音と映像は同期せず、空間は変わり、そこを訪れる人も毎回違う。その意味で、この作品は再生されるたびに新しく生まれ直す。波紋が広がり、消え、また別の波紋が生まれるように。

「音を空間に立体的に設置する」という坂本龍一の思想は、彼の不在によって終わったのではなく、むしろ作品を体験する私たちの身体へと手渡されたのかもしれない。

2026年夏、麻布台ヒルズに現れた巨大な暗闇のなかで、音楽は「聴くもの」から「そこに存在するもの」へと変わる。そして、その瞬間に立ち会う私たちもまた、作品の一部になる。

RYUICHI SAKAMOTO + SHIRO TAKATANI AMBIENT KYOTO – TOKYO 開催概要

会期は2026年8月28日(金)から10月25日(日)までの59日間。会期中無休。会場は麻布台ヒルズギャラリー。

開館時間は平日10:00〜19:00、土・日曜・祝日は10:00〜20:00で、最終入館は閉館30分前。9月11日(金)のみ18:00閉館となる。

観覧料は平日が大人2,200円(前売)/2,500円(当日)、土・日曜・祝日が2,500円(前売)/2,800円(当日)。高校生以下は無料となっている。

Official Website:https://ambientkyoto.com/

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