[連載]JPOPと旅する:小田和正「秋の気配」が刻む、別れと横浜・港の見える丘公園の風景

今もなおファンに人気の名曲

この暑い夏が過ぎるとようやく秋がやってくる。小田和正の叙情の原点ともいえる「秋の気配」が脳裏をよぎる季節だ。この曲はオフコースの初期の代表作だ。リリースは1977年、不思議なことに当時のオリコンチャートの100位内には入っていないようだ。しかし槇原敬之、渡辺美里を始めとして多くのアーティストにカバーされており、ファンの間でも根強い人気がある作品としても知られている。


作品は激しくぶつかり合うのではなく、言葉にならないまま、すれ違っていくふたりの距離を丁寧に紡ぐ。そこには、別れの痛みだけでなく、互いを思いやる繊細な気遣いも見える。そして、別れを象徴するかのように登場する場所がある。それが、港が見下ろせる小高い公園だ。

この歌詞には具体的な地名こそ出てこないものの、多くのリスナーが思い描くのは横浜・山手の「港の見える丘公園」だ。ここは名前の通り、港を一望できる高台の公園で、ベイブリッジや大さん橋、遠くには行き交う船が見える。

四季折々に花が咲き、洋館やバラ園も隣接する、情緒あふれる場所だ。恋人たちが一緒に座ったあのベンチも、今はもう、ふたりで来ることはない。その静かな別れの余韻を感じさせる場所として、この公園ほどふさわしい場所はない。

言葉にならない別れの瞬間

「秋の気配」が描くのは、決して劇的な別れではない。お互いを責めることもなく、ただ気づかぬうちに心が離れていく、そんな別れの気配だ。感情を吐き出すのではなく、静かに受け入れ、そっと身を引く。それはとても切なくて、誰もが経験することかもしれない。

そんな別れの時間を過ごすのに、この丘の上の公園はぴったりだ。海風がそっと頬をなで、遠くの波音が心を揺らす。訪れる人は少なく、景色は変わらずそこにある。けれどもう、あの頃のふたりが並んで座ることは、決してないだろう。

横浜という街には、そうした個人の記憶が染み込んだ場所が多い。みなとみらいの華やかさや山下公園の賑わいとはまた違う、静かで時間の層が重なった場所だ。港の見える丘公園は、まさにそうした都市の記憶装置として機能している。

「秋の気配」は、そうした場所のイメージと強く結びつく楽曲だ。音楽がふと流れたとき、聞く人の記憶と横浜の風景が重なり合い、別れの切なさがリアルに胸に迫る。

港の見える丘公園(横浜・山手)

秋の午後、ひとりで訪れる場所

ふたりで来ていたあの場所に、今はひとりで立つ。景色は変わらず美しいけれど、隣にいた人はいない。秋の風が肌寒く感じるころ、その場所で「秋の気配」を聴けば、過ぎ去った時間が静かに蘇るだろう。この丘の上で感じる別れの切なさは、音楽と風景が融合した特別な瞬間なのかもしれない。季節が変わるたびに、この場所は誰かの別れの記憶を優しく包み込み続ける。

海の見える丘公園は横浜の代表的な観光名所だ。幕末にイギリス軍とフランス軍がこの地に駐留した場所だ。しかし公園としての歴史は意外と新しく1962年に開園したとのこと、ただそれ以降、この場所から見渡せる風景が多くの人々の心を掴んできたといえるだろう。

夏を超えたら、もし横浜を訪れるなら、ぜひ港の見える丘公園のベンチに腰掛けてみてほしい。そしてそっと耳に流れる「秋の気配」を聴いてみてほしい。そこには、言葉にしがたい感情と、確かに“終わり”を受け入れた静かな強さがある。

旧フランス領事館跡

小田和正と横浜

オフコース時代の楽曲では横浜を題材にしたものはほとんどないが、ソロになってからは直接的に、間接的に横浜を描くようになった。もちろんそれは彼が横浜の金沢文庫で育ち、聖光学院に通っていたことと決して無縁ではない。代表的な作品である「my home town」は1993年にリリースされたアルバム『MY HOME TOWN』に収録されており、このアルバムジャケットは聖光学院の最寄り駅、JR山手駅で撮影されている。「my home town」の歌詞には「根岸線」が登場し、かつてとはすっかり変わってしまった横浜の風景に想いを馳せ、しかしそれでも横浜愛を隠すことはないというのが、この作品の骨子だ。ただこの作品にも「この丘」が登場する。これも海の見える丘公園のことだろうか。

横浜を描いた作品には「my home town」に先立つ1990年のアルバム『Far East Café』に収録された「16号線を下って」では横浜から金沢文庫を経て、横須賀に下る国道16号線がもモチーフになっているし、2005年のアルバム『そうかな』に収録されている「風のようにうたが流れていた」も変わっていく横浜への想いに溢れていると歌詞から推察される。同アルバムには「大好きな君に」でも生まれた街への想いが語られる。

JR山手駅

MVロケ地としての横浜

港の見える丘公園は 歌詞の情景と一致し、小田和正本人が後年、ここを訪れる様子が『LIFE-SIZE』(ドキュメンタリー映像)にも収録されている。『こんど、君と』ツアー・オープニング映像(2022年)ではフェリス女学院向かいの「BBスタジオ YOKOHAMA HIL」で小田和正がピアノに向かい楽譜を書くシーンがこのスタジオで撮影されている。

また『Yes-No』(1980年)、『さよなら』(1979年)などのライブビデオ・ご当地紀行での風景映像にも山下公園、ホテルニューグランド、山手十番館、元町、赤レンガ倉庫周辺が使われており、とくにホテルニューグランドは小田和正ソロにも関連が深い場所だ。


ホテルニューグランド

まとめ

横浜に纏わるJPOPアーティストのLacaLSnogs(古い言葉でいえばご当地ソング)の記事を書いてみた。まずは横浜出身の小田和正からだ。LacaLSnogsはもともとレコード産業草創期には観光文脈で「音頭」「小唄」などが新民謡として頒布されてきたが、近現代においてはアーティストやクリエーターの心情が反映されるようになった。これら一連の音楽関連の観光行動を一般的にはミュージックツーリズムと呼ぶ。

ミュージックツーリズムは、音楽と観光が融合した一種の文化観光であり、日本でいえばコンテンツツーリズムの範疇に入る。ミュージックツーリズムに関しては、Gibson&Connel(2005)がその定義付けを行っており、それによると音楽産業と観光産業の双方に経済効果をもたらす概念であり、延いては地域活性化に結び付くとしている。この記事では取りあえずアーティストごとに横浜ソングを纏め、聖地巡礼の案内としたい。やがてスポティファイ等でのプレイリスト化も考えてみたいと思っている。

増淵敏之:法政大学文学部地理学科教授、専門は文化地理学。コンテンツツーリズム学会会長、文化経済学会〈日本〉特別理事、希望郷いわて文化大使、岩手県文化芸術振興審議会委員、NPO氷室冴子青春文学賞特別顧問など公職多数。Yahooエキスパートコメンテーター。主な単著に2010年『物語を旅するひとびと』(彩流社)、『欲望の音楽』(法政大学出版局)、2012年『路地裏が文化を作る!』(青弓社)、2017年『おにぎりと日本人』(洋泉社)、2018年『ローカルコンテンツと地域再生』(水曜社)、2019年『湘南の誕生』(リットーミュージック)、2020年『伝説の「サロン」はいかにして生まれたのか』(イーストプレス)、2021年『白球の「物語」を巡る旅』(大月書店)、2023年『韓国コンテンツはなぜ世界を席巻するのか』、2025年「ビジネス教養としての日本文化コンテンツ講座」(徳間書店)など多数。1957年、札幌市生まれ、東京大学大学院総合文化研究科博士課程修了、学術博士。NTV映像センター、AIR-G’(FM北海道)、東芝EMI、ソニー・ミュージックエンタテインメントにおいて放送番組、音楽コンテンツの制作及び新人発掘等に従事。

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