
伊勢佐木町から始まった物語
横浜・伊勢佐木町の松坂屋前。1990年代半ば、この街角でアコースティックギターを抱えた二人組が声を張り上げていた。北川悠仁と岩沢厚治、のちの「ゆず」である。
路上に立ったばかりの頃、足を止める人はほんの数人だった。だが、声を張り続けるうちに少しずつ人の輪は大きくなり、やがて数百人規模の人だかりを生むまでになった。通りを埋め尽くす観客の熱気と歓声、時には酔客の冷やかしや通行人の苛立ちも混じったが、それらすべてが彼らにとって「音楽の糧」になった。
伊勢佐木町は歓楽街の喧騒と庶民的な商店の息づかいが入り混じる街だった。ラーメン屋から漂う湯気、古びた映画館のポスター、夜のネオン。そうした雑多な空気の中で歌った経験は、ゆずにとって単なる下積みを超えた「街そのものとの共演」だった。人の声、街の音、匂いまでを取り込んだその体験は、後の楽曲に深く刻まれていく。

横浜を映す楽曲たち
ゆずの音楽には、横浜の風景が繰り返し立ち現れる。「夏色」(1998)は、自転車で坂を駆け抜ける青春の情景を描き、日本全国で愛される代表曲となった。だがこの「坂道」というモチーフは、実は横浜の街並みと深く結びついている。高低差の多い横浜の住宅地で育った彼らにとって、坂は日常であり、同時に青春の象徴でもあった。この坂は彼らが育った地域にある「鬼坂」とされている。
「桜木町」(2004)は、恋人との別れと再会を描いた切ないバラードだ。舞台となる駅は、みなとみらい21地区の玄関口でもある。煌びやかな夜景や観覧車の光が、失われた恋の記憶をいっそう鮮やかに映し出す。横浜に暮らす人々だけでなく、観光で訪れた人々にとってもこの街の夜景は特別な記憶となり、その普遍性が曲に投影されている。
さらに「少年」や「からっぽ」には、港町横浜の哀愁が漂う。孤独や葛藤を抱えながらも前に進もうとする姿は、異国情緒と庶民的温もりを併せ持つ横浜の空気と重なる。単なるご当地ソングではなく、街の息遣いを普遍化した表現こそが、ゆずの音楽の強みといえる。

「岡村ムラムラブギウギ」が映す下町文化
数ある楽曲の中でも、最も生活感あふれる横浜を描いた作品が「岡村ムラムラブギウギ」(1997)である。舞台は磯子区の岡村町。観光客が訪れるみなとみらいや中華街とは違い、ここには人々の日常が凝縮されている。谷合に長く伸びる団地やマンション、そして戸建て住宅が混在する住宅地だ。
岡村の商店街を歩けば、昭和の残り香がそこかしこに漂う。軒先に色とりどりの野菜や果物を並べる八百屋、揚げ物の音と香りを外に放つ総菜屋、夕方になると「タイムサービス!」と声を張り上げる魚屋。買い物に訪れた主婦が店主と世間話をし、子どもが駄菓子屋でくじ引きを楽しむ。そうした光景が今も息づいている。
曲の中で歌われる銭湯もまた、岡村文化を象徴する存在だ。夕暮れどきになると、手ぬぐいを肩に掛けた人々が商店街を抜け、銭湯へと向かう。番台には顔なじみの笑顔があり、湯船では近所同士の会話が弾む。子どもは桶を叩いて遊び、年配の客は湯気の中で長話をする。銭湯は単なる入浴施設ではなく、人と人をつなぐ「街のリビング」であった。
さらに岡村には、地域を盛り上げる祭りや縁日も多い。岡村天満宮の例大祭では、商店街に屋台が並び、境内には太鼓の音が響く。子どもたちは金魚すくいやヨーヨー釣りに夢中になり、大人は地元の酒を片手に語り合う。こうした祭礼の賑わいが、下町の誇りと絆を育んできた。
「岡村ムラムラブギウギ」は、これら岡村の日常をユーモアを込めて音楽にした曲である。派手な観光名所ではなく、生活の匂いそのものを歌にしたことで、聴く人は自分の町を思い浮かべる。岡村を知らない者にとっても「自分の地元」に置き換えられる普遍性を持ち、それがゆずの音楽の魅力をさらに広げている。
磯子の海と工場地帯 ── 生活を支える風景
岡村町を抱える磯子区は、横浜港の一角を占める臨海部を持ち、古くから工業と海運の街として発展してきた。岡村の坂を下れば、視界の向こうには広がる海と巨大な工場群が現れる。製油所のタンク、鉄骨の配管、夜になると赤やオレンジの光を放つ煙突。昼間は忙しく稼働する機械音が響き、夜には幻想的な工場夜景となって人々の目を奪う。
磯子の海は、かつて漁師の小舟が行き交う生活の場でもあった。今も堤防では釣り糸を垂れる人々がいて、波の音とともに日常が流れていく。工業と生活が隣り合うこの風景は、横浜のもうひとつの顔だ。観光地の華やかさとは異なるが、地元の人々にとっては「働き、暮らす街」の象徴である。
ゆずが育った環境には、こうした磯子の空気が確かに混じっている。工場地帯の機械音、海から吹く潮風、夜を照らす赤い炎。それらは直接歌詞に現れなくとも、楽曲のリズムや力強さの背景に潜んでいる。「岡村ムラムラブギウギ」のユーモラスなエネルギーの奥には、港町の逞しい生活感が流れているのだ。

横浜とともに歩む時間
ゆずと横浜の絆は、その後も揺るぎなく続いていく。2007年、デビュー10周年を迎えて立った横浜スタジアムのステージは、路上から数万人規模へと広がった「夢の帰還」だった。「夏色」を観客全員で大合唱する光景は、伊勢佐木町の小さな輪が巨大な渦へと成長した証だった。
以降も節目ごとに横浜スタジアムでの公演を行い、街とともに歩む姿勢を示している。観客にとってそれは単なるライブではなく、横浜という土地の記憶と共に体験する「物語の継続」であった。
ゆずの楽曲を聴くたび、聴き手は自分自身の記憶と重ね合わせながら、横浜の風景を思い描く。「桜木町」には駅前の夜景が、「夏色」には郊外の坂道が、「岡村ムラムラブギウギ」には商店街や銭湯の息遣いが、「そして磯子の工場夜景」には働く街の逞しさがよみがえる。横浜を知らない人でも、なぜか「懐かしい」と感じられるのは、街の風景を普遍化し、誰もが自分の体験に置き換えられるように歌い上げているからだ。
今日、ゆずは全国を舞台に活躍する国民的デュオとなったが、彼らにとって横浜は常に「第三のメンバー」である。「夏色」に広がる空、「桜木町」の灯り、「岡村ムラムラブギウギ」の下町の笑い、「少年」に吹く港町の風、そして「磯子の工場夜景」が放つ赤い光。ゆずの歌を聴くとき、私たちは横浜の街を歩き、働き、暮らしている人々の姿を重ね合わせることができる。そしてその旅はこれからも続いていく。


増淵敏之:法政大学文学部地理学科教授、専門は文化地理学。コンテンツツーリズム学会会長、文化経済学会〈日本〉特別理事、希望郷いわて文化大使、岩手県文化芸術振興審議会委員、NPO氷室冴子青春文学賞特別顧問など公職多数。Yahooエキスパートコメンテーター。主な単著に2010年『物語を旅するひとびと』(彩流社)、『欲望の音楽』(法政大学出版局)、2012年『路地裏が文化を作る!』(青弓社)、2017年『おにぎりと日本人』(洋泉社)、2018年『ローカルコンテンツと地域再生』(水曜社)、2019年『湘南の誕生』(リットーミュージック)、2020年『伝説の「サロン」はいかにして生まれたのか』(イーストプレス)、2021年『白球の「物語」を巡る旅』(大月書店)、2023年『韓国コンテンツはなぜ世界を席巻するのか』、2025年「ビジネス教養としての日本文化コンテンツ講座」(徳間書店)など多数。1957年、札幌市生まれ、東京大学大学院総合文化研究科博士課程修了、学術博士。NTV映像センター、AIR-G’(FM北海道)、東芝EMI、ソニー・ミュージックエンタテインメントにおいて放送番組、音楽コンテンツの制作及び新人発掘等に従事。






