
「Lemon」(2018,Sg)は、米津玄師の代表作として広く知られるが、そのミュージックビデオは、楽曲の解釈を決定づける重要な要素として「場所」の力を最大限に活用している。近年の検証により、このMVが東京都内の教会建築を基盤に撮影されていることが明らかになり、抽象的に見えていた映像世界は、具体的なロケーションを通じて再読可能となった。
中核となるのは、文京区の日本基督教団 西片町教会と、新宿区早稲田に位置する早稲田奉仕園 スコットホールである。本稿では、この二つのロケ地を軸に、「Lemon」のMVがいかにして「場所によって成立する作品」となっているのかを五つの視点から論じる。
西片町教会 ── 静謐がもたらす時間の停止
まず、文京区にある日本基督教団 西片町教会の役割から考えたい。この教会は都市の中心部にありながら、外界の喧騒から切り離されたような静けさを保っている。MVにおける歌唱シーンに漂う空気感は、この場所が持つ固有の特性に大きく依存している。
高い天井と縦方向に強調された構造は、人間の身体を小さく見せると同時に、時間のスケールを拡張する。ここでは、日常的な時間の流れが一度停止し、過去と現在が同時に存在するような感覚が生まれる。これは「喪失」を扱う作品にとって決定的に重要である。なぜなら、死別の経験とは、時間が前に進むことを拒む感覚と深く結びついているからだ。
また、教会内部の光は直接的ではなく、拡散しながら差し込む。これにより輪郭が柔らかくなり、対象は明確な実体としてではなく、どこか記憶の中の存在のように見える。米津の歌声もまた、この空間の中で強く主張するのではなく、沈み込むように響く。結果として、映像全体は「語る」のではなく「祈る」トーンを帯びることになる。
スコットホール ── 木造空間が生む記憶の質感
これに対して、早稲田奉仕園スコットホールはまったく異なる質感を持つ。木造建築特有の温かみは、石造的な教会空間とは対照的に、人間の生活に近い感触を残している。
内部の梁や木材のテクスチャは、光を柔らかく受け止め、空間に微妙な陰影を生み出す。この陰影は、記憶の曖昧さと強く呼応する。「Lemon」が描くのは、はっきりとした輪郭を持つ過去ではなく、触れようとすると崩れてしまうような、揺らぎを伴う記憶である。スコットホールの空間は、その揺らぎを視覚的に再現する装置として機能している。
さらに、この場所には「人がかつてそこにいた」という痕跡が感じられる。完全に無機的な空間ではなく、過去の時間が染み込んでいるような感覚がある。この特性は、「不在」を描く際に重要な役割を果たす。不在とは単なる空白ではなく、「かつて存在したものの痕跡」であるからだ。
西片町教会が「死の静けさ」を象徴するならば、スコットホールは「記憶の温度」を担う。両者の対比によって、「Lemon」の世界は単なる悲嘆にとどまらず、複層的な感情を帯びる。

教会という選択 ── 喪失を社会化する空間
そもそも、なぜ教会なのか。この問いは、ロケ地論において避けて通れない。
教会は宗教施設であると同時に、「死」を扱うための社会的装置でもある。そこでは個人的な悲しみが共同体の文脈に位置づけられ、祈りという形式を通じて共有される。つまり、教会は「感情の私的領域」と「社会的領域」を接続する場である。
「Lemon」が扱う喪失は極めて個人的でありながら、同時に普遍的である。この二重性を成立させるためには、単なる室内空間では不十分であり、意味を内包した場所が必要となる。教会という選択は、この要請に対する極めて的確な応答である。
また、宗教的象徴性は、映像に過剰な説明を与えずに意味を補強する。観る者は、明示的に語られなくとも、その空間が持つ文化的背景を通じて、「これは死をめぐる物語である」と直感的に理解する。この点において、ロケ地は単なる背景ではなく、物語の前提条件そのものとなっている。
東京という都市 ── 匿名性が生む普遍性
次に注目すべきは、これらのロケ地が東京という都市に存在する点である。文京区や早稲田は、観光地としての華やかさを持たない一方で、歴史や文化が静かに積層している地域である。
この「目立たなさ」は、「Lemon」の主題と深く結びついている。もしこれが特定の地域性を強く帯びた場所であったなら、物語はその土地に固有のものとして受け取られてしまうだろう。しかし東京という都市は、過度なローカリティを持たず、同時に現実感を失わない絶妙なバランスを保っている。
その結果、MVの空間は「どこでもあり得る場所」として機能する。観る者は特定の地名を意識することなく、自身の記憶と接続することができる。これは、現代都市が持つ匿名性が、芸術表現において積極的に利用されている例と言える。

映像と建築の共鳴 ── 場所が感情を規定する
最後に、「Lemon」のMVにおける映像表現と建築の関係を整理したい。この作品の特徴は、演出がロケーションの物理的条件に強く依存している点にある。
逆光によるシルエット表現は、奥行きのある空間があって初めて成立する。高い天井は、音の広がりと身体のスケール感を強調し、ダンスや歌唱を単なるパフォーマンスから儀式的行為へと変換する。また、長い距離を持つ内部空間は、時間の層を視覚化し、「過去が現在に重なっている」感覚を生み出す。
これらはすべて、実在する建築の条件に基づいている。つまり「Lemon」のMVは、スタジオセットで再現された虚構ではなく、現実の空間を利用することで初めて成立した作品である。
ここにおいて、ロケ地は単なる撮影場所ではなく、「感情を成立させるフレーム」となる。悲しみや記憶といった抽象的なテーマは、空間という具体的な器を通じて初めて可視化されるのである。
「Lemon」のミュージックビデオは、しばしば抽象的で詩的な作品として語られる。しかしその基盤には、日本基督教団 西片町教会と早稲田奉仕園 スコットホールという、きわめて具体的な場所が存在している。
そしてこれらの場所は、単なる背景ではなく、「死を受け止め、記憶を保持するための装置」として機能している。米津玄師は、この空間を通じて個人的な喪失を普遍的な感情へと変換した。
「Lemon」とは、音楽作品であると同時に、「場所によって成立した映像作品」である。その核心には、建築と感情が共鳴する瞬間が確かに存在している。

増淵敏之:法政大学文学部地理学科教授、専門は文化地理学。コンテンツツーリズム学会会長、文化経済学会〈日本〉特別理事、希望郷いわて文化大使、岩手県文化芸術振興審議会委員、NPO氷室冴子青春文学賞特別顧問など公職多数。Yahooエキスパートコメンテーター。主な単著に2010年『物語を旅するひとびと』(彩流社)、『欲望の音楽』(法政大学出版局)、2012年『路地裏が文化を作る!』(青弓社)、2017年『おにぎりと日本人』(洋泉社)、2018年『ローカルコンテンツと地域再生』(水曜社)、2019年『湘南の誕生』(リットーミュージック)、2020年『伝説の「サロン」はいかにして生まれたのか』(イーストプレス)、2021年『白球の「物語」を巡る旅』(大月書店)、2023年『韓国コンテンツはなぜ世界を席巻するのか』、2025年「ビジネス教養としての日本文化コンテンツ講座」(徳間書店)など多数。1957年、札幌市生まれ、東京大学大学院総合文化研究科博士課程修了、学術博士。NTV映像センター、AIR-G’(FM北海道)、東芝EMI、ソニー・ミュージックエンタテインメントにおいて放送番組、音楽コンテンツの制作及び新人発掘等に従事。








