
エチオピア、ギリシャ、アンゴラ、インドネシア ── 音楽は人類最後の秘境である
私たちは音楽を知った気になっている。スマートフォンを開けば何千万曲もある。Spotifyが推薦してくれる。YouTubeが次の曲を教えてくれる。SNSには毎日新しい音楽が流れてくる。だから錯覚する。世界の音楽はもう発見し尽くされたのだと。
しかし、それは大きな勘違いだ。地球には約80億人がいる。言語は7000以上ある。民族は数え切れないほど存在する。それなのに私たちが日常的に聴いている音楽は、そのほんの一部に過ぎない。
想像してみてほしい。世界のどこかの村で。港町で。砂漠で。山岳地帯で。今この瞬間も、私たちの知らない歌が歌われている。私たちの知らないリズムで踊る人々がいる。その事実だけで胸が熱くならないだろうか。
音楽とは娯楽ではない。人類そのものなのだ。
エチオピア・ジャズ ── アフリカと宇宙が出会った夜
1960年代。エチオピアの首都アディスアベバでは奇跡が起きていた。ジャズが鳴っていた。しかしアメリカのジャズではない。アフリカのジャズでもない。そのどちらでもあり、どちらでもない音楽だった。
中心にいたのはムラトゥ・アスタトゥケ。彼はアメリカでジャズを学び、祖国へ戻った。そして西洋のジャズ理論とエチオピア古来の旋法を融合させる。その結果生まれた音楽は信じられないほど奇妙だった。どこか悲しい。どこか神秘的。どこか宇宙的。まるで夜空の星々がそのまま音になったような響き。
エチオジャズを初めて聴くと、多くの人はこう思う。「こんな音楽があったのか」。そう。世界はまだまだ広いのである。
エチオジャズはジャンルではない。世界がまだ知らない感情そのものだ。
レベティコ ── 敗者たちが作った美しい音楽
ギリシャの港町ピレウス。20世紀初頭。祖国を追われた難民たちが流れ着いた。仕事はない。金もない。社会的地位もない。彼らは酒場へ集まった。そこで歌い始めた。レベティコである。
前回も少し触れたが、この音楽は特別だ。なぜなら敗者の側から世界を見ているからだ。歴史は勝者によって書かれる。しかし音楽は違う。音楽はしばしば敗者によって歌われる。だからレベティコには真実がある。人生は不公平だ。夢は叶わない。愛する人は去っていく。それでも生きる。それでも歌う。その姿はブルースにも似ている。演歌にも似ている。
世界中の哀歌は、遠く離れていてもどこかで繋がっているのである。
レベティコを聴いていると、人間の尊厳とは何かを考えさせられる。
クドゥロ ── アンゴラの未来は止まらない
もしレベティコが過去を歌う音楽なら、クドゥロは未来へ突進する音楽だ。アンゴラで生まれたこの音楽は凄まじい。速い。荒い。激しい。そして異常なほどエネルギーに満ちている。
内戦を経験した国。貧困。社会不安。厳しい現実。しかし若者たちは未来を諦めなかった。むしろ現実を吹き飛ばすような音楽を作った。
クドゥロを聴くと、音楽は希望の装置なのだと分かる。人間は苦しいから歌う。だが同時に、人間は未来を信じたいから踊るのだ。
世界にはまだ、こんな爆発力を持った音楽がある。
ガムラン ── 人間はひとりでは音楽になれない
インドネシアのガムランを初めて聴いたとき、多くの人は驚く。どこにメロディがあるのか分からない。どこに主役がいるのか分からない。しかし、それこそが魅力なのだ。
西洋音楽は個人を重視する。スターがいる。ソリストがいる。ヒーローがいる。しかしガムランは違う。誰かひとりでは成立しない。全員で初めて音楽になる。まるで共同体そのものが演奏しているようだ。これは私たちが忘れかけている感覚かもしれない。
現代社会は個人を称賛する。だが人間は本来、ひとりでは生きられない。ガムランはそれを思い出させてくれる。
音楽の形は、その社会の形でもあるのだ。
音楽は人類最後の秘境である
かつて人類は世界地図の空白を埋めていった。大陸を発見した。海を渡った。山を越えた。そして地球上のほとんどすべてを知った。しかし、まだ残っている秘境がある。音楽だ。
世界には私たちが知らない音楽が無数にある。それは単なる珍しいサウンドではない。別の価値観であり、別の歴史であり、別の人生であり、別の宇宙である。だから新しい音楽に出会うことは、旅行ではない。異なる人間になることだ。
エチオピアを聴けば世界が少し変わる。ギリシャを聴けば悲しみの意味が変わる。アンゴラを聴けば未来の見え方が変わる。インドネシアを聴けば共同体について考え直す。音楽とは、人類が残した巨大な図書館なのである。
そして私たちは、その入口に立っているに過ぎない。世界はまだ知らない音楽で溢れている。だから旅は終わらない。レコードを掘る理由も。クラブへ通う理由も。新しいアーティストを探し続ける理由も。結局は同じだ。
私たちは音楽を探しているのではない。まだ知らない人類を探しているのである。

H: 土を触り、ギターを鳴らし、ビールを飲む。それがHの基本動作だ。VETHEL専属ライターとして、音楽・映画・カルチャーの交差点に立ち、言葉を選び続けている。週末は庭でハーブを育て、夜はバンドで轟音を鳴らす ── 静と動、繊細と粗野の振れ幅こそが、その文章に宿るリズムの正体かもしれない。







