[連載]JPOPと旅する:「ハルノヒ」論 ── 北千住から先にある場所

「ハルノヒ」(2020,Sg)は、あいみょんが手がけた、映画『クレヨンしんちゃん 新婚旅行ハリケーン ~失われたひろし~』の主題歌である。本作は、恋愛や同棲という普遍的なテーマを扱いながら、きわめて精緻な「場所の構造」を内包している点において特異である。歌詞において明示される固有地名は北千住駅のみであり、それ以外の空間は意図的に匿名化されている。しかしこの「限定された具体」と「開かれた空白」の併存こそが、本作の聖地巡礼を従来とは異なる次元へと押し上げている。

「住み慣れた駅」 ── 春日部という原点の二重性

歌詞に登場する「住み慣れた駅」は固有名詞として提示されない。しかし作品がクレヨンしんちゃんの文脈に属する以上、その参照先は春日部駅であると読むのが妥当である。野原一家の生活圏としての春日部は、郊外都市の典型であり、「家族」と「日常」を支える基盤として機能してきた。

だが重要なのは、あいみょんがこの地名をあえて歌詞に書き込まなかった点である。春日部を明示してしまえば、この物語は「しんちゃんの物語」に固定されてしまう。しかし匿名化することで、「住み慣れた駅」は聴き手の記憶へと開かれる。地方都市でも、ニュータウンでも、あるいは都市近郊のベッドタウンでもよい。それぞれが持つ「帰る場所」「出発した場所」が、この言葉に重ねられる。

ここで聖地巡礼は、すでに従来の形式を逸脱する。巡礼とは本来、特定の場所を訪れる行為である。しかしこの作品においては、「思い出すこと」そのものが巡礼の第一段階となる。自分の生活史の中にある駅を想起すること、それが「ハルノヒ」の入口である。

春日部駅西口

北千住駅 ── 都市へ接続する現実の結節点

これに対して、歌詞が明確に提示するのが北千住駅である。この一点の具体性が、楽曲全体に現実の重力を与える。北千住は、JR常磐線、東京メトロ、東武線、つくばエクスプレスが交差する巨大ターミナルであり、首都圏東部における交通の要衝である。

同時にこの街は、下町的な生活感と再開発による都市性が混在する特異な場所でもある。古くからの商店街や飲食店が並ぶ一方で、大学の進出や再開発によって若者文化も流入している。この多層性こそが、「過去と未来の接続点」としての北千住の意味を強化する。

ここで重要なのは、この駅が「到着点」ではなく「通過点」であるという事実である。住み慣れた駅から出発した個人が、都市へと接続される途中にある場所。それが北千住である。この構造は、首都圏における実際の生活動線とも一致する。郊外から都心へ、あるいは別の生活圏へと移動する際、多くの人がこのような結節点を経由する。

聖地巡礼としては、この北千住駅に立つことがひとつの核となる。だがそれはゴールではない。むしろ、「ここから先へ進む」という感覚を得ることが重要なのである。

北千住駅

移動の身体性 ── 「線」としての物語体験

「ハルノヒ」における最大の特徴は、場所ではなく移動そのものが物語を形成している点にある。住み慣れた駅から北千住へ、そしてその先へ。この一連の流れは、静的な空間ではなく動的な時間の中で成立する。

駅という存在は、本質的に移動を前提とした装置である。そこでは日常と非日常が交差し、過去と未来が接続される。電車に乗り、窓の外の風景が変化していく過程は、単なる移動ではなく、時間の更新そのものである。

「ハルノヒ」は、この身体的な感覚を前提としている。だからこそ、聖地巡礼もまた身体的でなければならない。実際に電車に乗り、見慣れた景色が遠ざかり、新しい街が現れる。その変化を体感することによって、聴き手は初めてこの楽曲の構造を理解する。

ここで巡礼は「点を巡る行為」から「線を生きる行為」へと転換する。場所の特定よりも、移動の経験そのものが重要となるのである。

描かれない未来 ── 生活空間という開かれた終着点

北千住の先に何があるのか、これらは具体的には語られない。この徹底した不在は、作品の弱点ではなく、むしろ最大の強度を生む要素である。

もし具体的な街が提示されていれば、物語はその場所に閉じてしまう。しかし「ハルノヒ」は、その終着点を空白のまま残すことで、聴き手に選択を委ねる。都心のワンルームでも、郊外のアパートでも、地方都市でも構わない。そしてその先にやがて二人が住むまちが第三の場所として想起される。

この構造は、聖地巡礼の概念を根底から変える。訪れるべき場所が存在しない以上、巡礼は終わることがない。それは日常生活の中で持続し続ける行為となる。引っ越しを考えること、街を歩くこと、生活を選び取ること ── そのすべてが「ハルノヒ」の延長線上にある。

スカイツリーライン 春日部駅東口現駅舎

聖地巡礼の再定義 ── 生活を引き受けるという行為

以上を踏まえると、「ハルノヒ」の聖地巡礼は三つの層から構成される。匿名化された原点としての「住み慣れた駅」、具体的な接続点としての北千住駅、そして無数に開かれた未来の生活空間である。この三層は固定された観光ルートではなく、個々人の人生に応じて変化する動的な構造を持つ。

従来の聖地巡礼は、作品に登場する場所を訪れ、その再現性を確認する行為であった。しかし「ハルノヒ」は、その枠組みを大きく超える。この作品が要求するのは、場所の再現ではなく、構造の再現である。すなわち、「出発し、移動し、誰かと生活を始める」という一連のプロセスを、自らの人生の中で引き受けることだ。

ここにおいて、聖地は外部に存在するものではなくなる。それは、自らの選択と行動によって生成されるものへと変わる。北千住駅に立つことは、その入口に過ぎない。そこからどこへ向かうのか、その先でどのような生活を築くのか—そのすべてが巡礼の核心となる。

「ハルノヒ」が提示しているのは、完成された地図ではない。むしろ、白紙の余白を大きく残した地図である。春日部という原点、北千住という接続点、そして無数に広がる未来。その間を結ぶ線は、あらかじめ決められてはいない。

あいみょんは、この未完成性を通じて、「生きること」そのものを肯定する。聖地巡礼とは、過去をなぞる行為ではなく、未来を引き受ける行為である。住み慣れた駅を離れ、都市を経由し、まだ名前のない場所へと向かう。その移動のすべてが、静かに聖地となっていくのである。

増淵敏之:法政大学文学部地理学科教授、専門は文化地理学。コンテンツツーリズム学会会長、文化経済学会〈日本〉特別理事、希望郷いわて文化大使、岩手県文化芸術振興審議会委員、NPO氷室冴子青春文学賞特別顧問など公職多数。Yahooエキスパートコメンテーター。主な単著に2010年『物語を旅するひとびと』(彩流社)、『欲望の音楽』(法政大学出版局)、2012年『路地裏が文化を作る!』(青弓社)、2017年『おにぎりと日本人』(洋泉社)、2018年『ローカルコンテンツと地域再生』(水曜社)、2019年『湘南の誕生』(リットーミュージック)、2020年『伝説の「サロン」はいかにして生まれたのか』(イーストプレス)、2021年『白球の「物語」を巡る旅』(大月書店)、2023年『韓国コンテンツはなぜ世界を席巻するのか』、2025年「ビジネス教養としての日本文化コンテンツ講座」(徳間書店)など多数。1957年、札幌市生まれ、東京大学大学院総合文化研究科博士課程修了、学術博士。NTV映像センター、AIR-G’(FM北海道)、東芝EMI、ソニー・ミュージックエンタテインメントにおいて放送番組、音楽コンテンツの制作及び新人発掘等に従事。

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