遠い惑星から届く、光と記憶の通信 ── Emily A. Spragueが『Cyano』で描く新たな音響世界

©︎V Haddad

Floristのメンバーとしても知られるシンセサイザー奏者/作曲家、Emily A. Spragueが、10月2日にRVNG Intl.よりリリースするニュー・アルバム『Cyano』から、新たな先行シングル「Noon Liquid Ore」を公開した。

同時公開されたヴィジュアライザーを手がけたのは、SpragueのパートナーでありコラボレーターでもあるV Haddad。静寂とノイズ、光と影が交錯する映像は、『Cyano』という架空の惑星から届いた通信のように、楽曲の持つ未知の風景を視覚へと拡張していく。

静寂がほどけ、光がノイズへと変わっていく「Noon Liquid Ore」

アルバム全14曲の中盤を越えた8曲目に置かれた「Noon Liquid Ore」は、それまで積み上げられてきた世界が一度ほどけ、静寂のなかへと沈み込んでいくような楽曲だ。

インダストリアルな残響と鐘を思わせる響きが交錯し、淡い光のようだった音は、やがてコンクリートの裂け目を思わせる硬質なテクスチャーや細かなグリッチへと変化する。それでも音楽は緊張だけに支配されることなく、次第に穏やかな霧のような空間へ溶け込んでいく。

大きく広がるテクスチャーのなかで即興的な音が現れては消え、最後に残されるのは、奇妙なほど静かな解放感だ。

それは何かを獲得した瞬間というより、むしろ何かを忘れることで訪れる小さな勝利にも似ている。「Noon Liquid Ore」は円環を描くように巡りながら、空気を、さらに広大な空気へと置き換えていく。遠い惑星から時差を伴って届いたメッセージのような、不思議な余韻を残す一曲だ。

感情を失った惑星「Cyano」

ニュー・アルバム『Cyano』の背景にあるのは、ひとつの架空世界だ。

かつて地球にも似ていた惑星「Cyano」。そこでは誤解によって世界が破壊され、住民たちは個人性を捨て、感情的につながることや自らを表現することさえ禁じられている。

その世界に生きるCyanicという人物が、記憶や粒子、象徴を手がかりに、自律的な欲望や共感、本物の表現を取り戻そうとする ── そんな物語が作品の奥底を流れている。

『Cyano』はSF的な設定を持ちながら、単なるコンセプト・アルバムにはとどまらない。可視性、精神の変容、光の伝達、そして人間の知覚を越えた場所について思索する作品であり、同時に「私たちはどのように他者とつながることができるのか」という極めて現実的な問いを、音によって探っている。

すべての音はシンセサイザーから生まれた

『Cyano』における重要な特徴のひとつが、アルバムを構成するすべての音がシンセサイザーによって生成されていることだ。サンプルもアコースティック楽器も使用されていない。

にもかかわらず、そこにはときにピアノやギター、あるいは自然界の何かを思わせる響きが立ち現れる。

モジュラー・シンセサイザーの出力と入力をパッチングしながら音を生成することは、Spragueにとって単なる制作技法ではない。それは精神の動きや瞑想状態、記憶の変化を音として象徴するための方法でもある。

2016年頃に始まった初期のモジュラー・シンセ実験から生まれた即興的な音も本作には組み込まれており、過去と現在、記憶と欲望が時間軸を越えて接続されていく。

アンビエントとFloristのソングライティングが接続する

もうひとつ、『Cyano』をSpragueのキャリアにおける重要作たらしめているのが「声」だ。

これまで彼女のソロ作品はインストゥルメンタルを中心としてきたが、本作では本格的に自身の歌声を導入。Floristで培ってきた親密なソングライティングと、ソロ活動で追究してきた定型を持たないアンビエント/実験音楽が、ここで初めて深く交差する。

Floristとソロ・ワークは、これまで別々の方向へ伸びているようにも見えた。しかし『Cyano』では、そのふたつが同じ根から生まれていたことが浮かび上がる。

言葉を持つ音楽と、言葉を必要としない音楽。その境界を溶かすことによって、Spragueは「声」を意味を伝達するためだけのものではなく、シンセサイザーと同じように空間を形づくる音として扱っている。

サイアノタイプから生まれた青い惑星

作品世界のもうひとつの入口となったのが写真だった。

2019年頃、Spragueはフィルム写真に再び取り組むなかで、青写真とも呼ばれる写真技法「サイアノタイプ」と出会う。そして、植物をサイアノタイプによって記録した19世紀の植物学者/写真家Anna Atkinsの作品に強く惹かれていった。

青の濃淡だけで植物の輪郭を浮かび上がらせるそのイメージが持つ感情的な空気は、やがて架空の惑星「Cyano」の物語へと変化していく。

さらにSpragueとV Haddadが冬至の時期に訪れたアイスランドのフィヨルドでの経験も、この想像上の世界に具体的な輪郭を与えたという。

夜の色彩、氷、霜、水、地平線、光。『Cyano』を流れる音は、それらの風景をそのまま描写するのではなく、一度内面を通過させた“記憶としての風景”として立ち上げていく。

遠く離れた場所から届く、原始的な通信

『Water Memory』『Mount Vision』『Hill, Flower, Fog』、そして2025年の『Cloud Time』へと、自然や時間、場所、記憶をシンセサイザーによって描いてきたEmily A. Sprague。その探求は『Cyano』でさらにフィクショナルな領域へ踏み込んだ。

しかし、遠い惑星についての物語でありながら、このアルバムが扱っているものは驚くほど身近だ。自分自身であること。他者を理解すること。誰かと感情を共有すること。そして、世界との関係を失ったとき、それをどのように取り戻すのか。

Sprague自身、本作をさらに発展させる楽曲の構想をすでに進めているという。つまり『Cyano』は完成した世界というより、これから探索されていく未知の惑星への最初の着陸なのかもしれない。

「Noon Liquid Ore」から聞こえてくるのは、その遠い場所から発信された、ノイズ混じりの小さな通信だ。耳を澄ませるほどに輪郭は曖昧になり、音は空気へ、空気は光へと変わっていく。その裂け目の向こう側に、Emily A. Spragueはまだ名前のない感情の風景を映し出している。

『Cyano』は2026年10月2日、RVNG Intl.よりリリース。国内ではPLANCHAからボーナストラック2曲を追加した日本独自CD盤も発売される。

Artist: Emily A. Sprague
Title: Cyano
Label: PLANCHA / RVNG Intl.
Cat#: ARTPL-261
Format: CD / Digital

※日本盤独自CD化
※ボーナス・トラック2曲収録
※解説付き予定

Release Date: 2026.10.2
Price(CD): 2,200 yen + tax

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