
あの頃の曲だけ、時間を無視してくる
久しぶりに聴いた曲なのに、イントロだけで教室の匂いまで思い出すことがある。窓際の席とか、ワックスの匂いが混ざった体育館の空気とか、夕方のチャイムとか。
驚くのは、その鮮明さだ。昨日の昼に何を食べたかは曖昧なのに、15年前にMDへ録音していた曲順だけは、妙に覚えている。
たとえば
ギターが鳴った瞬間、一気に当時の景色へ引き戻される。別に毎日聴いているわけじゃない。むしろ何年も忘れていたはずなのに、音だけが、ずっと内部で保存されている。
たぶん中学時代の音楽は、“好きだった音楽”じゃない。“自分を作っていた音楽”なのだ。
中学生は、まだ感情に名前をつけられない
あの頃は、今より感情が不安定だった。理由もなくイライラしたり、急に全部どうでもよくなったり、わけもなく世界に拒絶された気分になったりする。でも、その感情をうまく説明する言葉は、まだ持っていない。
だから代わりに、音楽を使う。歌詞を読む。大音量で聴く。意味もわからず繰り返す。
そしていつの間にか、その曲が“自分の感情の代理”になっている。
たとえば
孤独について歌っている曲だと理解する前に、“この感じ、自分に近い”と身体で先に理解してしまう。
中学生の音楽体験は、鑑賞というより避難に近い。
“何を聴いているか”が、自分そのものだった
あの時期だけ、音楽の趣味には異様な重さがある。好きなアーティストを否定されると、人格そのものを否定された気分になる。
逆に、同じ曲を好きな人がいるだけで、急に世界に味方ができたような気がする。今なら、「好みは人それぞれ」で済ませられる。
でも中学時代は違う。“何を聴いているか”が、“自分が何者か”に直結していた。
たとえば、「One More Time」を聴いていた人と、「Teenage Dream」を聴いていた人では、見ていた世界が少し違っていた。
音楽はBGMじゃなく、アイデンティティそのものだった。
ダサかった曲ほど、なぜか消せない
面白いのは、今聴くと少し恥ずかしい曲ほど、妙に記憶に残っていることだ。当時は本気でかっこいいと思っていたのに、今改めて聴くと、歌詞もメロディも少し青い。
でも、消せない。プレイリストから削除できないし、サブスクで見つけると、つい再生してしまう。
それはたぶん、曲を残しているというより、“当時の自分”を保存しているからだ。未完成で、極端で、ちょっと痛かった頃の自分。大人になった今なら絶対に言えないような感情を、あの頃の音楽は、平気で叫んでいた。
音楽は、“最初の孤独”と結びついている
中学時代というのは、人生で初めて“ちゃんと孤独になる時期”なのかもしれない。家族とも少し距離ができて、友達関係も急に複雑になる。世界にまだ馴染めていない感覚がある。だから夜、自室で音楽を聴く時間が、妙に重要になる。
イヤホンをつけた瞬間だけ、世界が少し整理される。
たとえば「風吹けば恋」みたいな曲。
別に自分の人生を歌っているわけじゃない。でも、なぜか“わかってくれている感じ”がする。
たぶんあの頃、音楽はエンタメじゃなかった。会話の代わりだった。
あの頃の曲だけ、“景色ごと”残っている
不思議なのは、中学時代の曲には、景色までセットで保存されていることだ。帰り道の色とか、冬の空気とか、雨の日の校庭とか。
音楽を思い出しているのか、風景を思い出しているのか、途中からわからなくなる。
たとえば「Yellow」みたいな曲を聴くと、なぜか夕方の空ばかり思い出す人がいる。
それは曲の問題じゃなくて、そのとき見ていた世界が、音に焼き付いているからだ。
大人になると、音楽は“選ぶもの”になる
大人になると、音楽との距離感は少し変わる。気分に合わせて選んだり、作業用に流したり、アルゴリズムにおすすめされたりする。
もちろん今でも音楽は好きだ。でも中学時代みたいに、“人生そのもの”にはなりにくい。あの頃は、まだ感情の輪郭が曖昧だった。だから音楽が、その形を代わりに作っていた。
つまり僕らは、曲を聴いていたというより、音楽を使って“自分”を組み立てていたのだ。
昔の曲を聴くと、“昔の自分”が起動する
久しぶりに、当時のプレイリストを流してみる。驚くほど古い感覚が戻ってくる。教室の空気。意味もなく不安だった夜。理由もなく世界を変えられると思っていた感じ。少し恥ずかしくて、でも嫌いにはなれない。
たぶん僕らは、昔の曲を懐かしんでいるんじゃない。あの頃、まだ完成していなかった自分を、確認し直しているだけなのかもしれない。
あの頃の自分を再生するためのリスト
今聴くと少し青い。でも、その青さごと消せない曲がある。できれば夜に。できれば、昔使っていたイヤホンみたいな音で。
たぶん中学時代の音楽だけが特別なんじゃない。あの頃の僕らが、まだ“音楽を使わないとうまく生きられなかった”だけなのだ。

Kei Varda:音楽文化研究者/ライター。ポストクラブ時代の感性と身体性に着目し、批評と記録の間を行き来する。特定の国や都市に属さない、ボーダーレスな語り口を好む。最近はリズムと都市構造の相関関係をテーマにした執筆に注力中。







