
1.埼玉という「操作可能な空間」
椎名林檎および東京事変の映像作品において、埼玉は単なる撮影地ではない。それは、都市の意味をいったん剥ぎ取り、再び編成し直すための「操作可能な空間」として機能している。
東京が歴史・消費・メディアの集積によって過剰な意味を帯びた都市であるのに対し、埼玉は巨大都市圏に属しながらも、特定の象徴性を強く持たない。すなわちそれは、意味の固定が弱い空間である。この特性はしばしば「何もない」と語られるが、実際には逆である。意味が固定されていないからこそ、そこにはあらゆる物語を書き込む余地が存在する。
本稿では、「キラーチューン」と「緑酒」という二つの作品を軸に、埼玉という空間の内部に潜む異なる位相を検討する。前者は均質で人工的な「都市的空白」、後者は自然と接続しつつある「半自然的空白」として対照的な役割を担う。両者を並置することで、埼玉が単なる周縁ではなく、意味生成の装置として機能していることが明らかになるだろう。
2. 都市広場の抽象性 ── 「キラーチューン」とけやきひろば
「キラーチューン」において舞台となるのは、けやきひろばである。この空間は、さいたま新都心駅と再開発エリアを結ぶ結節点として整備された都市広場であり、日常的には通行と滞留のための機能的な場に過ぎない。
しかし、この広場の最大の特徴は、その徹底した均質性にある。舗装は均一に整えられ、樹木は規則的に配置され、空間全体は意図的に抽象化されている。歴史的文脈や地域固有の物語は前景化されず、場所はあくまで「機能」として存在する。
この均質性は、映像において決定的な意味を持つ。すなわち、空間が固有の意味を持たないがゆえに、演出がそのまま空間の意味となるのである。バンドの身体が配置され、カメラが運動することで、通過のための空間は瞬時に舞台へと転換される。ここでは空間が演出に従属するのではなく、演出によって空間が生成される。
さらに重要なのは、この広場が都市の中間領域に位置している点である。駅という交通結節点とイベント空間とのあいだにあり、日常と非日常が連続的に接続される。この曖昧な位置性が、「キラーチューン」における軽快さと不穏さの同居を可能にしている。

3. 身体・時間・カメラ ── 制度化された空白の作動
「キラーチューン」における空間の変質は、身体・時間・カメラという三つの要素によって駆動される。
まず身体である。メンバーの配置や動きは一見自由に見えるが、均質な空間においてはわずかな差異がそのまま意味の差異として立ち上がる。したがって身体は、単なるパフォーマンスの担い手ではなく、空間を規定する主体として機能する。
次に時間である。この映像における時間は均質に流れているようでいて、実際には編集によって緻密に構成されている。カットの切り替えやリズムの変化は、空間に新たな意味の層を付与する。時間は単なる経過ではなく、空間を再編成する装置である。
そしてカメラである。カメラは記録装置ではなく、空間を生成する主体として機能する。パンやトラッキングによって、広場は静的な場所から動的な舞台へと変換される。視点の移動によって、同一の空間が異なる意味を帯びる。
これら三要素が結びつくことで、けやきひろばは単なる都市広場から「制度化された舞台」へと転化する。ここでいう制度とは、空間があらかじめ持つルールではなく、映像によってその都度生成される秩序である。
4. 地形の回復 ── 「緑酒」と寄居町・玉淀
これに対し、「緑酒」はまったく異なる位相の空間を提示する。舞台として想定されるのは、寄居町周辺、すなわち荒川中流域である。
とりわけ玉淀周辺は、水面、岩場、段丘、樹林といった要素が複雑に交錯する地形を持つ。この空間は、南部の都市郊外のように平準化されておらず、視線は水平方向だけでなく上下方向へも展開する。結果として、空間は奥行きを持ち、時間的な厚みを伴う。
ここで重要なのは、空間が完全には抽象化されない点である。「キラーチューン」においては、空間は即座に舞台へと転換されたが、「緑酒」においては自然が演出に対して抵抗を示す。水の流れ、地形の起伏、光の変化といった要素は、完全には制御されず、映像に偶然性を導入する。
この違いは、「空白」の質的変化を示している。すなわち、都市的空白が完全に均質であるのに対し、ここでは空白が再び意味を帯び始めている。寄居は、空白が崩れ始める臨界点として位置づけられるのである。

5. 「京亭」という臨界点 ── 空白の終わりと生成のはじまり
「緑酒」を読み解く上で重要な象徴となるのが、寄居に位置する料亭、京亭である。荒川の崖上に建つこの建築は、都市と自然の境界に位置する空間であり、その立地そのものが本稿の議論を体現している。
京亭からの眺望は、単なる自然景観ではない。眼下には荒川が流れ、その対岸には生活の痕跡があり、さらに遠景には都市圏の連続が感じられる。ここでは自然と都市が断絶するのではなく、連続的に接続されている。
このような場所において、空間は固定された意味を持たない。むしろ意味は揺らぎながら生成され続ける。京亭は、その意味生成のプロセスが最も可視化される地点であり、「空白」が終わりを迎え、新たな意味が立ち上がる臨界点である。
「キラーチューン」が提示したのは、意味を持たない空間が即座に舞台化される状態であった。それに対し、「緑酒」が示すのは、空間が意味を帯び始める過程そのものである。そして京亭は、その両者を接続する節点として機能する。
結論として、埼玉は単一の空間ではない。それは均質な都市空間から、地形と自然を回復した半自然的空間へと連続的に変化する多層構造を持つ。「キラーチューン」と「緑酒」は、その異なる位相を可視化することで、都市と郊外の関係を再定義している。
埼玉とは、空白であるがゆえに意味を持たない場所ではない。それは、意味が生成され、変質し続けるプロセスそのものであり、現代都市における最もダイナミックな領域なのである。

増淵敏之:法政大学文学部地理学科教授、専門は文化地理学。コンテンツツーリズム学会会長、文化経済学会〈日本〉特別理事、希望郷いわて文化大使、岩手県文化芸術振興審議会委員、NPO氷室冴子青春文学賞特別顧問など公職多数。Yahooエキスパートコメンテーター。主な単著に2010年『物語を旅するひとびと』(彩流社)、『欲望の音楽』(法政大学出版局)、2012年『路地裏が文化を作る!』(青弓社)、2017年『おにぎりと日本人』(洋泉社)、2018年『ローカルコンテンツと地域再生』(水曜社)、2019年『湘南の誕生』(リットーミュージック)、2020年『伝説の「サロン」はいかにして生まれたのか』(イーストプレス)、2021年『白球の「物語」を巡る旅』(大月書店)、2023年『韓国コンテンツはなぜ世界を席巻するのか』、2025年「ビジネス教養としての日本文化コンテンツ講座」(徳間書店)など多数。1957年、札幌市生まれ、東京大学大学院総合文化研究科博士課程修了、学術博士。NTV映像センター、AIR-G’(FM北海道)、東芝EMI、ソニー・ミュージックエンタテインメントにおいて放送番組、音楽コンテンツの制作及び新人発掘等に従事。







