
ギターの世界には、ある瞬間から劇的に演奏スタイルが変わった技法がいくつか存在する。そのひとつが「ライトハンド奏法(タッピング)」である。これは通常ピッキングに使われる右手(ライトハンド)を、ネック上に持ち上げ、直接弦を叩いて音を出すという大胆な演奏方法だ。まるでピアノのように両手で指板を叩き、滑らかに旋律を紡ぐこの奏法は、一度目にすれば誰しもが魅了される。
その衝撃的な初体験を、1978年のヴァン・ヘイレンのデビューアルバムで味わったというリスナーは数多い。だが、歴史をたどればこの技法は突如生まれたわけではなく、前兆となる実験的アプローチや、技術を発展させた数多のギタリストの存在がある。本稿では、ライトハンド奏法の起源から、その革新、そして後世への影響までを一望する。
遠いささやき──ライトハンド奏法の起源
ライトハンド奏法がロックの象徴となるずっと前から、この技法に類する表現は水面下で芽生えていた。その記録のひとつが、イタリアの医師にしてギタリスト、ヴィットリオ・カミネーリによる1965年のテレビ映像である。彼は右手を指板に置き、滑らかにタッピングによる旋律を奏でていた。映像の存在が明らかになったのは2000年代に入ってからであるが、その内容はまさにライトハンド奏法の原型と呼ぶにふさわしい。
また、アメリカのブルース・ロックギタリスト、ハーヴィー・マンデルも早くからこの技法に取り組んでいた。彼の1973年のソロアルバム『Shangrenade』では、タッピングによるフレーズが確認できる。マンデルはあくまでテクスチャーとしてタッピングを用いていたが、その音色の新しさは、後のギタリストに影響を与えることとなる。
さらに、プログレッシブ・ロックの世界からは、ジェネシスのギタリスト、スティーヴ・ハケットが挙げられる。1971年頃にはすでにステージ上でタッピングを導入しており、1973年のアルバム『Selling England by the Pound』収録の「Dancing with the Moonlit Knight」ではそのプレイが確認できる。ハケットは技巧的なアプローチと叙情的な旋律の融合を目指した、知的なタッピング奏法を模索していた。
このように、ライトハンド奏法は突然変異ではなく、60年代から70年代初頭にかけて、複数の場所で密やかに開花していたと言える。
雷鳴の如く──エディ・ヴァン・ヘイレンの衝撃
1978年、ライトハンド奏法は突如としてロックの中心に現れた。その立役者こそがエディ・ヴァン・ヘイレンである。
彼の登場は、単なる技術の披露にとどまらなかった。デビューアルバムに収録されたインストゥルメンタル「Eruption」は、クラシックの影響を感じさせるドラマティックな構成と、未体験の音色を持つライトハンド奏法によって、ギター表現の地平を根本から塗り替えた。特に、片手で押弦し、もう一方の手で高音側の弦を叩くことで、従来のギター奏法では不可能だった広範な音域を一気に駆け抜けるフレーズは、リスナーと演奏者の両方に鮮烈な印象を残した。
エディの功績は、単にタッピングを使ったことではない。それを音楽的文脈の中で劇的かつ感情的に展開したこと、そして何よりビジュアルとして圧倒的に魅せたことが決定的だった。観客の前で、まるで魔法のように右手をネックに乗せ、煌めく速弾きを披露する姿は、世界中の若者の心を鷲掴みにした。
ヴァン・ヘイレン以降、タッピングはテクニカル系ギタリストの必修技術となり、ライトハンド奏法は新たなギター語法として定着することとなった。
拡張される宇宙──奏法を深化させた後続たち
ヴァン・ヘイレンが開いた扉の向こうには、無数のギタリストが続いた。タッピングを単なる技巧にとどめず、さらに発展・深化させた表現者たちが存在する。
ジョー・サトリアーニとスティーヴ・ヴァイ
エディの登場に衝撃を受けたひとりが、ジョー・サトリアーニである。彼はタッピングを滑らかなレガートの一部として取り入れ、洗練された音楽性とともに披露した。1987年のアルバム『Surfing with the Alien』では、テクニックが音楽性に奉仕する見事なバランスが示されている。
そしてその弟子であるスティーヴ・ヴァイは、タッピングを視覚芸術の領域にまで昇華させた。彼の演奏には両手を駆使した複雑なタッピングだけでなく、ハーモニクスやワーミー・バーと組み合わせた奇想天外な表現が詰まっている。彼の1984年のソロ作『Flex-Able』やフランク・ザッパとの共演時代には、すでにライトハンドの自由な可能性が提示されていた。
スタンリー・ジョーダンと両手奏法の極致
また、タッピングをさらにピアノ的アプローチへ推し進めたのが、ジャズギタリストのスタンリー・ジョーダンである。彼はギターを立てて構え、両手の指で完全にネックを叩く「タッチ・テクニック」を駆使することで、コードとメロディを同時に奏でるという革新的な演奏スタイルを確立した。1985年のアルバム『Magic Touch』では、1本のギターで2本のピアノを弾くかのような圧巻のパフォーマンスを披露している。
タッピングは死なず──新時代の表現へ
21世紀に入ってからも、ライトハンド奏法は進化を続けている。トーシン・アバシ率いるAnimals as Leadersのようなジェント/プログレメタル系ギタリストは、8弦ギターを用い、ポリリズムと複雑なフィンガリングを組み合わせたタッピングを展開している。
また、YouTube世代のギタリストたち──たとえばIchika Nitoやティム・ヘンソン(Polyphia)などは、タッピングをメロディ・リズム・ハーモニーの全てを担うツールとして駆使し、ソーシャルメディア時代にふさわしい新たな美学を打ち立てている。
終わりに──その指先は、言葉より雄弁に
ライトハンド奏法とは、単なる速弾きのテクニックではない。それは、ギターという楽器の表現可能性を一気に解き放つ扉であり、奏者の意志や感情を直接的に表出する手段なのである。誰もが最初にその音を聴いたとき、魔法にかかったような気持ちになったはずだ。
その魔法は、いまもどこかで、新たな手に託され、さらなる未来へと奏でられている。ギターがギターである限り、ライトハンド奏法という名の詩は、終わることなく語り継がれていくであろう。

Shin Kagawa:音楽の未来を自由に妄想し続ける、型破りな音楽ライター。AI作曲家による内省的なポップや、火星発のメロウ・ジャングルといった架空の音楽ジャンルに心を奪われ、現実逃避と未来の音楽シーンを行き来しながら執筆を続ける。幻想的なアイデアと現実のギャップを楽しむ日々の中で、好きな映画は『バードマン あるいは(無知がもたらす予期せぬ奇跡)』。