
ファンクは単なるダンス・ミュージックではない。それは人種、政治、スピリチュアリティ、そして大衆文化が複雑に交錯する音の運動体であった。本連載では、ジェームス・ブラウンの革新に始まり、スライ&ザ・ファミリー・ストーンによるユートピア的ヴィジョン、Pファンクの神話世界、そしてポップ化・商業化へと至るダイナミズムを全6回にわたって検証する。ファンクというジャンルが、いかにして20世紀後半のブラックカルチャーと世界の音楽地図を塗り替えたのか。その核心に、リズムとともに迫っていく。
ファンクが宇宙へと飛翔したPファンクの時代から、再び地上へと視線を戻す必要がある。1970年代初頭、アメリカ社会は公民権運動の高揚を経て、分断と格差の現実に直面していた。そうしたなか、「多様性」と「ユートピア」という理念を掲げ、音楽における新しい集合的ヴィジョンを提示したのが、スライ&ザ・ファミリー・ストーンである。
彼らはただのバンドではなかった。あらゆる人種、性別、音楽ジャンルを横断することで、アメリカにおける新しい希望のかたち──すなわち「みんなちがって、みんないい」というビジョンを現実のものとした存在だった。
サンフランシスコのマエストロ:スライ・ストーンの出自
スライ・ストーン、ことシルヴェスター・スチュワートは、1943年テキサス州ダラスに生まれ、カリフォルニア州ヴァレーホで育った。敬虔なペンテコステ派の家庭でゴスペルに親しんだ彼は、やがてサンフランシスコ州立大学で音楽理論を学び、地元ラジオ局でDJとしても活躍。そこで彼は、当時まだ珍しかった「黒人音楽と白人音楽の同時選曲」という手法を編み出す。ロックとR&Bの垣根を越えた視点は、やがて彼自身の音楽活動にも色濃く反映されていく。
彼のプロデューサーとしての初期の仕事には、ボビー・フリーマンの「C’mon and Swim」やビートルズ的ポップ感覚を持つ自身のソロ曲「Underdog」などがあり、ここにすでに「ジャンルに縛られない」というファンクの萌芽が見える。
バンドというユートピア──インクルーシブな構成と音楽
ザ・ファミリー・ストーンは1967年に結成された。当初から黒人と白人、男性と女性を同時に含む編成で、そのインクルーシブな構造は当時のアメリカ社会において極めて挑戦的だった。ラリー・グラハム(ベース)、ローズ・ストーン(キーボード)、グレッグ・エリコ(ドラム)、シンシア・ロビンソン(トランペット)らによって構成されたこのバンドは、文字通りの“ファミリー”として機能した。
ジャンル的にもファンク、ソウル、ロック、さらにはサイケデリックを内包し、演奏面では、グラハムによるスラップ奏法の導入などが革新的だった。彼らのライブでは、全員がマイクを持ち、全員が前に出て踊る。「誰もが主役になりうる」ステージングは、バンドという単位そのものを再定義したといってよい。
社会へのまなざし:『Stand!』の高揚と希望
1969年の名盤『Stand!』には、「Everyday People」や「I Want to Take You Higher」、「Sing a Simple Song」など、今なお語り継がれる名曲が詰め込まれている。とくに「Everyday People」は、「違いこそが人間を面白くする」と歌うことで、ファンクにおける多様性思想を象徴する楽曲となった。
「皮膚の色で誰かを判断するのはナンセンスだ」とストレートに伝えるその歌詞は、ポップソングでありながらも、明確な社会的メッセージを帯びている。これは、同時期のジェームス・ブラウンが「Say It Loud – I’m Black and I’m Proud」でブラックプライドを鼓舞していたのと同様、ファンクが社会批評の装置になりうることを示す好例である。
革命から内省へ:『There’s a Riot Goin’ On』の衝撃
1971年の『There’s a Riot Goin’ On』は、前作までのポジティブで明快なサウンドから一転、くぐもった質感とスローなテンポ、歪んだグルーヴに満ちたアルバムである。この作品の背景には、スライ自身のドラッグ依存、バンド内の軋轢、そして公民権運動の挫折感があった。
代表曲「Family Affair」は、血縁に潜む愛と葛藤、親密さと疎外の両義性を描いたファンク・バラードであり、当時としては異例のサウンドで全米No.1を獲得した。この曲のサウンドメイクにはリズム・ボックス“Ace Tone Rhythm Ace”などが使用され、デジタルなリズムの導入は、その後のヒップホップやエレクトロ・ファンクにも多大な影響を与えたと言える。
スライ以降のファンク──静かなる遺伝子
スライのサウンドと思想は、その後のブラック・ミュージック全体に広がっていく。80年代にはプリンスが「一人ファミリー・ストーン」とも言えるような多様性とセクシャリティ、宗教性を内包したファンクを展開し、90年代にはディアンジェロ、エリカ・バドゥ、ザ・ルーツといったネオ・ソウルの旗手たちがその内省的なグルーヴを継承した。
また、スライの「家族」概念は、アフリカ・バンバータのZulu Nation、ヒップホップにおけるクルー文化にも影響を与えている。つまり彼の遺産は、音楽という枠を超えて、人間のつながり方そのものに及んでいるのだ。
結語──ファンクは夢を見続ける
スライ&ザ・ファミリー・ストーンは、音楽的にジャンルの壁を壊すだけでなく、共同体としてのあり方においても新しいモデルを提示した。「誰もがちがって、みんないい」という理念は、今日のポピュラー音楽におけるダイバーシティ論議の先駆けであり、今なお学ぶべき遺産である。
スライの軌跡には、その後の音楽史に対する深い問いかけがある。それは「ユートピアは可能か?」という問いであり、そして「音楽に何ができるのか?」という根源的な探究でもある。
次回は、アース・ウィンド&ファイアーやクール&ザ・ギャングを中心に、ファンクがポップミュージックとして拡張し、大衆と結びついていくプロセスを辿っていく。

Jiro Soundwave:ジャンルレス化が進む現代音楽シーンにあえて一石を投じる、異端の音楽ライター。ジャンルという「物差し」を手に、音の輪郭を描き直すことを信条とする。90年代レイヴと民族音楽に深い愛着を持ち、月に一度の中古レコード店巡礼を欠かさない。励ましのお便りは、どうぞ郵便で編集部まで──音と言葉をめぐる往復書簡を、今日も心待ちにしている。