[連載:GROOVEの錬金術]第5回:越境するアシッドジャズ ── スタイルの拡張とグローバルな波及

アシッドジャズは1990年代初頭を境に、ジャンルとしての純粋性よりも、むしろ「交差点」としての柔軟性を武器に、より広範で多様な音楽へと姿を変えていった。それはときにクラブカルチャーの深層へと潜り込み、ときにワールドミュージックやロック、エレクトロニカとの親和性を見せながら、地理的にもスタイル的にも「越境」を重ねていく旅であった。本稿では、アシッドジャズがいかにして境界を越え、グローバルな文脈において発展・変容していったかを探る。

ロンドンから世界へ ── アシッドジャズの輸出と変容

アシッドジャズの勃興を支えたイギリスのクラブシーン ── 特にロンドンのTalkin’ LoudやAcid Jazz Recordsといったレーベルを基点とする動き ── は、1990年代半ば以降、世界中の音楽家たちに強い影響を及ぼし始める。特筆すべきは、日本やヨーロッパ諸国、アメリカ西海岸における受容と解釈である。

日本においては、渋谷系と呼ばれる音楽ムーブメントとアシッドジャズが共鳴した。フリッパーズ・ギターやピチカート・ファイヴ、コーネリアスなどがその代表であり、洗練された都会的感覚とポップカルチャーへの造詣の深さが、アシッドジャズの自由な感性と呼応した。なかでもUnited Future Organization(U.F.O.)やKyoto Jazz Massiveといったユニットは、クラブジャズ的なアプローチを取り入れつつ、エレクトロニクスとの融合によって国際的にも注目を集めた。特にKyoto Jazz Massiveの『Spirit of the Sun』(2002)は、洗練されたハーモニーとプログラミングが融合した名盤であり、日本発のアシッドジャズのひとつの到達点といえるだろう。

ドイツでは、ベルリンを拠点とするジャザノヴァがNu-JazzやFuture Jazzと呼ばれるスタイルを築き上げた。彼らのサウンドは、アシッドジャズ的な感性を引き継ぎつつも、サンプリングとエレクトロニカのアプローチを融合させ、より現代的で複雑な構造を持っていた。2002年のアルバム『In Between』は、その音楽的完成度と先進性によって高い評価を受け、ヨーロッパにおけるアシッドジャズの新たな可能性を提示した。

また、アメリカ西海岸においてもアシッドジャズ的な発展が見られる。サンディエゴ出身のザ・グレイボーイ・オールスターズは、ジャズファンクにラテンやブーガルーのリズムを取り入れたライブ志向のバンドであり、1994年のデビュー作『West Coast Boogaloo』は、クラブとライブの橋渡しを果たす作品として話題となった。彼らのように、DJ文化とライブ演奏の双方を意識したプロジェクトは、アシッドジャズが持っていた「踊らせるジャズ」の理念を新たな形で体現していたのである。

ハイブリッドの先駆 ── ラテン、アフロ、ヒップホップとの交差

アシッドジャズがグローバルに広がる過程では、さまざまな地域文化との交差も見逃せない。特にラテン音楽との融合は顕著であり、ジャズの即興性とラテンリズムのダイナミズムが結びつくことで、より豊かなグルーヴが生まれた。また、ブラジル音楽──とりわけボサノヴァやMPB(Música Popular Brasileira)──との接触も見られ、それは後のラウンジ/チルアウトブームの先駆となった。

さらに、1990年代のヒップホップとアシッドジャズの接近も重要である。特にア・トライブ・コールド・クエストやザ・ルーツといったグループは、ジャズサンプルを多用することで、アシッドジャズ的感性とヒップホップの精神を高次元で融合させた。これらの作品に共通するのは、ジャズという形式を「解体し、再構築する」という姿勢であり、これはまさにアシッドジャズの根幹に通ずるものである。

アフロビートやエチオジャズといったアフリカ由来の音楽も、アシッドジャズの文脈のなかで再評価された。ムラトゥ・アスタトゥケの再発見や、トニー・アレンの新たなプロジェクトなどは、西欧のクラブシーンにおける「異文化」への関心の高まりを象徴する。こうした音楽的再評価の動きは、アシッドジャズの柔軟性と国際性を裏付ける事例であろう。

ジャンルではなく態度としてのアシッドジャズ

1990年代後半から2000年代にかけてのアシッドジャズは、単なるジャンルというよりは「コラージュ的精神」を持ったプロジェクト群の集合体として捉えられるようになった。ジャズ、ファンク、ソウル、ラテン、ヒップホップ、電子音楽 ── そうした異なる文脈を自由に横断し、再編集していく感性。それは、既存の枠に収まることなく、新しい「現場」を切り開こうとする音楽的態度そのものであった。

この頃になると、「アシッドジャズ」という言葉を用いずとも、その精神を継承するアーティストたちが登場する。たとえばロンドンのジャイルズ・ピーターソンが率いるBrownswood Recordingsは、ジャズのフォーマットを拡張しながらも、クラブミュージックとの接点を常に意識した作品群を多数発表している。『Brownswood Bubblers』シリーズは、その象徴的存在といえよう。

さらに、アメリカ西海岸のフライング・ロータスやサンダーキャット、あるいはカマシ・ワシントンのような新世代ジャズマンたちも、アシッドジャズの「自由と雑食性」を引き継いでいる。これらのアーティストは、ジャズとビートミュージックの架橋に挑戦しつつ、新たなファン層を獲得することに成功している。

次回は、アシッドジャズの現在地と、現代における継承と変奏の動きを探る。新たなアーティストたちの登場とともに、アシッドジャズはどのような未来を描こうとしているのか。その展望に迫っていく。

Jiro Soundwave:ジャンルレス化が進む現代音楽シーンにあえて一石を投じる、異端の音楽ライター。ジャンルという「物差し」を手に、音の輪郭を描き直すことを信条とする。90年代レイヴと民族音楽に深い愛着を持ち、月に一度の中古レコード店巡礼を欠かさない。励ましのお便りは、どうぞ郵便で編集部まで──音と言葉をめぐる往復書簡を、今日も心待ちにしている。

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