
民族音楽は、その土地の暮らしや風土、信仰、歴史を音に刻み込んだ、人類の“声”である。電子音が世界を席巻する今もなお、世界各地には太鼓や笛、声と手拍子だけで継承されてきた音楽文化が息づいている。この連載では、アフリカのサバンナからアジアの山岳地帯、南米の密林から極北のツンドラ地帯まで、世界中の知られざる民族音楽を訪ね歩く。単なる紹介にとどまらず、その背景にある文化や物語にも光を当て、音楽を通じて世界をより深く知る旅へと誘う。音の地球儀を、いま一緒に回しはじめよう。
音楽は、どこまで人を連れていけるのか。
森と交信し、大地を歩き、時間を止め、声が迷宮となり、呼吸が音楽になった。その先にあるもの。
それは ── 意識そのものの変容である。
舞台は、コンヤ。そして、トルコ。
ここで音楽は、聴くものではなくなる。それは、回転するための装置へと姿を変える。
音は円を描く
スーフィーの儀礼「セマー」は、極めて静かに始まる。葦の管楽器、ネイが、細く長い息を吐き出す。その音は旋律というより、風の痕跡に近い。
次に、ゆっくりとしたリズムが加わる。心拍のように、あるいは遠くの足音のように。
やがて白い衣をまとった修行者たちが、ゆっくりと回り始める。右手は天へ。左手は地へ。天の恵みを受け取り、地へと流す。
回転は次第に速くなる。しかし不思議なことに、そこに激しさはない。あるのはただ、円である。
音楽は直線では進まない。ここでは、すべてが円を描く。
回転は“技術”ではない
旋回舞踊。その担い手たちは、ワーリング・ダーヴィッシュと呼ばれる。その中心にいるのは、メヴレヴィー教団の修行者たちだ。彼らはなぜ、回るのか。
それはパフォーマンスではない。観客のためでもない。回転とは、自己を手放すための方法である。
人は通常、世界を固定された視点で捉える。前後、左右、上下 ── だが回転は、その基準を破壊する。
視界は流れ、重力は曖昧になり、身体の境界が揺らぐ。やがて「自分」という中心が、ほどけていく。
ネイ──神の息
この儀礼の核にある楽器が、ネイである。葦で作られた管楽器で、身体に対して斜めに構えて吹く、独特の奏法を持つ笛だ。だがその音は、異様なまでに人の内側へ入り込む。ネイの巨匠、Kudsi Ergunerも、ルーミーが詩に込めたこの「空洞の葦」という概念に深い意味があると述べている。空洞であるがゆえに、神の息吹を通すことができる、と。
葦はもともと水辺に生えていた。それが切り取られ、空洞となり、音を持つ。つまりネイは、失われた場所への郷愁そのものである。その音は、旋律を奏でるというより、「帰りたい」という感覚を呼び起こす。
反復が意識を書き換える
セマーの音楽は、驚くほどシンプルだ。フレーズは繰り返され、リズムは持続し、構造はほとんど変化しない。だがこの反復こそが重要である。
人間の意識は、変化に反応するようにできている。しかし変化が消え、同じパターンが続くとき ── 意識は行き場を失う。
外界に向いていた注意は、内側へと反転する。そしてある瞬間、思考が静まり、ただ回転と音だけが残る。それはトランスというより、純粋な現在への没入である。
クラブとの遠い共鳴
この構造は、現代のクラブミュージックにも通じる。ミニマルな反復。持続するビート。徐々に変化する意識。たとえばテクノのフロアで、同じキックが延々と続くとき、人は「聴く」ことをやめる。代わりに、身体が音に同調し、意識が拡張される。
スーフィーのセマーとテクノ。時代も文化も異なるが、その深層には同じ構造がある。音の反復によって、自己の境界を溶かす。
円環の中で消えるもの
回転は続く。音も続く。やがて、どこが始まりでどこが終わりか分からなくなる。時間は直線ではなく、円になる。過去も未来も消え、ただ“いま”だけが回り続ける。
消えるのは、疲労だけではない。もっと深いものが消える。消えるのは ── 「自分が回っている」という感覚そのものである。回っているのは自分ではない。世界が回っているのでもない。ただ、回転だけが存在する。
音楽は“状態”になる
スーフィー音楽において、重要なのは完成された作品ではない。曲の長さでも、技巧でもない。音楽とは、ある状態へ至るためのプロセスである。それは祈りに近いが、言葉を必要としない。音と身体だけで、人は別の状態へ移行できる。
ここで音楽は、表現ではなくなる。変容そのものになる。
回転の先へ
森は、音を外へ広げた。大地は、歌で移動した。時間は、音によって止まった。声は、空間を満たした。呼吸は、音楽になった。そしていま ── 音楽は、意識を回転させる。
円の中心には、何もない。だがその“空白”こそが、すべてを動かしている。スーフィーたちは、その空白に触れようとする。回り続けることで。
音楽は、どこまで人を連れていけるのか。その答えはまだ、円の途中にある。

Sera H.:時代を越える音楽案内人/都市と田舎、過去と未来、東洋と西洋。そのあわいにいることを好む音楽ライター。クラシック音楽を軸にしながら、フィールド録音やアーカイブ、ZINE制作など多様な文脈で活動を展開。書くときは、なるべく誰でもない存在になるよう心がけている。名義の“H”が何の頭文字かは、誰も知らない。







