妄想コラム– tag –
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		  [妄想コラム]ドラッグが存在しなかったら、音楽のあり方は変わっていたのか?──ある種の文化的前提を失った音楽史の妄想はじめに:音楽とドラッグの距離感 音楽の歴史をたどるとき、しばしば避けては通れないのがドラッグという存在である。それは決して推奨でも否定でもなく、あまりに多くの創作の場面で、その存在が暗黙の前提として横たわっていたことの指摘にすぎない。サ...
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		  [妄想コラム]もしもジャンルが消えたなら ── 音楽の“届け方”はどう変わるか音楽のジャンルとは、いわば世界を理解するためのラベルである。「これはロックだ」「この曲はテクノだ」「これはフォークの流れを汲んでいる」といった言葉は、音楽を語る際の道標として機能してきた。そして、それは同時に発信のための“タグ”でもあった...
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		  [妄想コラム]演歌ブルース幻想 ── もしも“こぶし”のルーツがミシシッピにあったなら序章:「恨み節」と「ブルース」は似ている 「演歌は日本のブルースである」という言い回しは、音楽好きのあいだで度々交わされるジョークのようなものだ。だが、これは実に的を射た観察でもある。演歌の根底にあるのは“情念”であり、ブルースの根底にある...
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		  [妄想コラム]もしこの世にリズムがなかったら ── 音楽シーンはこうなっていたかもしれない音楽にリズムがなかったら? そんなこと、考えたことがあるだろうか。リズム、それは音楽の脈であり、心臓である。耳に聴こえる鼓動、体を揺らすビート、無意識に足を動かす力 ── それらすべてはリズムの魔法だ。だがもし、この世界にリズムという概念が...
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		  [妄想コラム]映像がなければ音楽はどう変わったか ── “MTV不在の音楽史”を妄想する1981年、アメリカで産声を上げたMTV(Music Television)は、音楽に映像という魔法をかけた。以来、音楽は「聴くもの」から「観るもの」へと変貌を遂げていく。だが、もしこのメディアが存在しなかったとしたら、私たちの音楽体験はどのように変わっていた...
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		  [妄想コラム]メジャーもマイナーもない世界で、僕たちは何を聴くのだろう?「明るい曲ですね」「この部分、マイナーで泣ける」 ── そんなふうに、僕たちはごく自然に音楽を“感情”で分類してきた。楽譜の上ではメジャー(長調)は陽気さや前向きさを、マイナー(短調)は切なさや内省を意味する。音楽を学び、聴き、作る人間にとっ...
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		  [妄想コラム]もし「イカ天」がなかったら ── バンドが市民権を得る前の日本音楽史を想像する素人がテレビに出て、人生が変わった時代 1989年。深夜番組『三宅裕司のいかすバンド天国』、通称「イカ天」は、音楽とテレビ、そして素人の情熱が奇跡的に交錯した装置だった。番組のルールはシンプルで、アマチュアバンドが登場し、週ごとの勝ち抜き戦を...
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		  [妄想コラム]声なき時代に、人間は何を歌うのか?── すべてのボーカリストがボカロになった世界で、人間に残された「表現」のかたち完璧な歌が溢れる世界 ボーカロイド技術の進化は、もはや「人間の声を真似る」段階を超え、「人間の声が本来持つ限界」を超克しつつある。息継ぎのノイズもなく、ピッチも正確で、エモーションすらパラメータで制御できる仮想の歌声。いつでも、どこでも、...
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		  [妄想コラム]1000年後の耳 ── 未来に遺る音楽とは何か?音楽の“寿命”を問うということ 私たちが日々聴いている音楽 ── それは果たして、どれほど長く生きられるものなのだろうか。流行歌の多くは数か月で忘れ去られ、名作と呼ばれる楽曲ですら、せいぜい百年かそこらの命である。それでも、1000年というスパンで...
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		  [妄想コラム]もしDTMがなかったなら ── 音楽は誰のものになっていただろう?自室から始まる音楽が、この世界に与えた革命 楽器が弾けなくても、バンドを組まなくても、レコード会社に拾われなくても、人は音楽をつくれる ── そう教えてくれたのは、パソコンだった。机の上に広がるデジタルの世界で、誰もが自分のスタジオを持ち、誰...

 
	 
	 
	 
	 
	 
	 
	 
	 
	