妄想コラム– tag –
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[妄想コラム]もし日本が島国でなかったら──想像上の音楽地図を描く
「海に囲まれていること」は、日本の文化を考えるうえで避けて通れない条件である。四季の移ろい、外来文化の受容と変容、そしてなにより“外”と“内”の線引き。それは音楽シーンにも明確に影響を与えてきた。だが、ここで一つの妄想をしてみたい。もし日本... -
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[妄想コラム]消えた“苗場”の未来 ── フジロックが一度きりで幕を閉じた世界線
1997年8月、嵐の中の伝説 1997年7月26日、富士天神山スキー場。台風直撃の豪雨と暴風の中で開催された第1回フジロック・フェスティバルは、のちに「嵐の中の奇跡」として語り継がれることになる。だが、この世界線では奇跡はそこで終わった。主催者は莫大... -
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[妄想コラム]ギターなき世界、音楽はどこへ向かったか?
ギターがない世界。たったそれだけで、音楽の地図はまったく違う形に描かれていただろう。指先で弾くもの、かき鳴らすもの、歪ませるもの ── その存在がなかったとしたら? さあ、奇妙な音楽世界の扉を開けよう。 弦が6本ない世界 まず当然ながら、音楽の... -
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[妄想コラム]音楽に国境なんてなかった──「どこでもドア」が拓くもうひとつの音楽地図
世界が狭く、瞬時に繋がり合う時代において、音楽のあり方はどのように変わるのだろうか? もし音楽家もリスナーも、どこへでも瞬時に行けるとしたら、創作や体験、さらには音楽文化のアイデンティティはどのように変化していくのか。これは空想の扉から覗... -
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[妄想コラム]それでも人は、囀る ── 音楽なき世界に響く声のゆくえ
それでも人は、囀る──音楽なき世界に響く声のゆくえ 想像してみてほしい。「音楽」という概念そのものが、最初からこの世界になかったとしたらどうなるだろうか? 楽器もなければ、歌もない。旋律という発想も、リズムという感覚も、この地上には一切存在... -
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[妄想コラム]学校でDJを習う未来 ── 世界がターンテーブルで回りはじめた日
2038年、日本の教育制度が大きく変わった。プログラミング教育の全国導入から20年。かつて「実社会と結びついた創造的な学び」が求められたように、次にやってきたのは“リズムと思考をつなぐ力”だった。そして導入されたのが、義務教育における「音響表現I... -
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[妄想コラム]もしブルースが生まれなかったなら ── ブラックミュージック不在の音楽世界地図
「もしブルースが生まれなかったなら」 ── この短い仮定から始まる想像は、音楽史という巨大な地層を根こそぎ変えてしまう。なぜなら、ブルースはブラックミュージックの母体であり、同時に現代音楽の根源そのものだからだ。では、ブラックミュージックが... -
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[妄想コラム]ジャズはどこへ行くのか ── 2125年、即興という名の未来地図
はじめに:100年後に鳴る音を想像するという冒険 2125年 ── その世界で、ジャズはまだ“ジャズ”と呼ばれているのだろうか? あるいはもう、その言葉すら忘れられ、別の名前で進化を続けているのかもしれない。 ジャズは20世紀初頭にアメリカで生まれ、そこ... -
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[妄想コラム]Re-Imagine:ジョン・レノンがDAWを手にしたなら ── 革命児が現代の音を手にしたとき、そこに響くのは祈りか、ノイズか
プラグインと詩、そしてプロテスト 「イマジン」という一曲に、どれだけの人が涙を流し、怒りを静め、あるいは燃え上がっただろうか。ジョン・レノンの音楽は、音そのものよりも、その奥にある“人間の祈り”を暴き出す装置であった。ギター一本でも戦える男... -
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[妄想コラム]もし音楽がなかったら ── 映画という夢はどこへ向かったか
映画において、音楽は空気であり、血流であり、そして感情の最後のひと押しである。だが、もしこの世に「音楽」という概念自体が存在していなかったとしたら、映画の歴史、映画というメディアの表現、そして我々観客の体験は、一体どのように変わっていた...
