妄想コラム– tag –
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[妄想コラム]音楽に国境なんてなかった──「どこでもドア」が拓くもうひとつの音楽地図
世界が狭く、瞬時に繋がり合う時代において、音楽のあり方はどのように変わるのだろうか? もし音楽家もリスナーも、どこへでも瞬時に行けるとしたら、創作や体験、さらには音楽文化のアイデンティティはどのように変化していくのか。これは空想の扉から覗... -
[妄想コラム]それでも人は、囀る ── 音楽なき世界に響く声のゆくえ
それでも人は、囀る──音楽なき世界に響く声のゆくえ 想像してみてほしい。「音楽」という概念そのものが、最初からこの世界になかったとしたらどうなるだろうか? 楽器もなければ、歌もない。旋律という発想も、リズムという感覚も、この地上には一切存在... -
[妄想コラム]学校でDJを習う未来 ── 世界がターンテーブルで回りはじめた日
2038年、日本の教育制度が大きく変わった。プログラミング教育の全国導入から20年。かつて「実社会と結びついた創造的な学び」が求められたように、次にやってきたのは“リズムと思考をつなぐ力”だった。そして導入されたのが、義務教育における「音響表現I... -
[妄想コラム]もしブルースが生まれなかったなら ── ブラックミュージック不在の音楽世界地図
「もしブルースが生まれなかったなら」 ── この短い仮定から始まる想像は、音楽史という巨大な地層を根こそぎ変えてしまう。なぜなら、ブルースはブラックミュージックの母体であり、同時に現代音楽の根源そのものだからだ。では、ブラックミュージックが... -
[妄想コラム]ジャズはどこへ行くのか ── 2125年、即興という名の未来地図
はじめに:100年後に鳴る音を想像するという冒険 2125年 ── その世界で、ジャズはまだ“ジャズ”と呼ばれているのだろうか? あるいはもう、その言葉すら忘れられ、別の名前で進化を続けているのかもしれない。 ジャズは20世紀初頭にアメリカで生まれ、そこ... -
[妄想コラム]Re-Imagine:ジョン・レノンがDAWを手にしたなら ── 革命児が現代の音を手にしたとき、そこに響くのは祈りか、ノイズか
プラグインと詩、そしてプロテスト 「イマジン」という一曲に、どれだけの人が涙を流し、怒りを静め、あるいは燃え上がっただろうか。ジョン・レノンの音楽は、音そのものよりも、その奥にある“人間の祈り”を暴き出す装置であった。ギター一本でも戦える男... -
[妄想コラム]もし音楽がなかったら ── 映画という夢はどこへ向かったか
映画において、音楽は空気であり、血流であり、そして感情の最後のひと押しである。だが、もしこの世に「音楽」という概念自体が存在していなかったとしたら、映画の歴史、映画というメディアの表現、そして我々観客の体験は、一体どのように変わっていた... -
[妄想コラム]ドラッグが存在しなかったら、音楽のあり方は変わっていたのか?──ある種の文化的前提を失った音楽史の妄想
はじめに:音楽とドラッグの距離感 音楽の歴史をたどるとき、しばしば避けては通れないのがドラッグという存在である。それは決して推奨でも否定でもなく、あまりに多くの創作の場面で、その存在が暗黙の前提として横たわっていたことの指摘にすぎない。サ... -
[妄想コラム]もしもジャンルが消えたなら ── 音楽の“届け方”はどう変わるか
音楽のジャンルとは、いわば世界を理解するためのラベルである。「これはロックだ」「この曲はテクノだ」「これはフォークの流れを汲んでいる」といった言葉は、音楽を語る際の道標として機能してきた。そして、それは同時に発信のための“タグ”でもあった... -
[妄想コラム]演歌ブルース幻想 ── もしも“こぶし”のルーツがミシシッピにあったなら
序章:「恨み節」と「ブルース」は似ている 「演歌は日本のブルースである」という言い回しは、音楽好きのあいだで度々交わされるジョークのようなものだ。だが、これは実に的を射た観察でもある。演歌の根底にあるのは“情念”であり、ブルースの根底にある...