妄想コラム– tag –
-
COLUMN
[妄想コラム]ジャズはどこへ行くのか ── 2125年、即興という名の未来地図
はじめに:100年後に鳴る音を想像するという冒険 2125年 ── その世界で、ジャズはまだ“ジャズ”と呼ばれているのだろうか? あるいはもう、その言葉すら忘れられ、別の名前で進化を続けているのかもしれない。 ジャズは20世紀初頭にアメリカで生まれ、そこ... -
COLUMN
[妄想コラム]Re-Imagine:ジョン・レノンがDAWを手にしたなら ── 革命児が現代の音を手にしたとき、そこに響くのは祈りか、ノイズか
プラグインと詩、そしてプロテスト 「イマジン」という一曲に、どれだけの人が涙を流し、怒りを静め、あるいは燃え上がっただろうか。ジョン・レノンの音楽は、音そのものよりも、その奥にある“人間の祈り”を暴き出す装置であった。ギター一本でも戦える男... -
COLUMN
[妄想コラム]もし音楽がなかったら ── 映画という夢はどこへ向かったか
映画において、音楽は空気であり、血流であり、そして感情の最後のひと押しである。だが、もしこの世に「音楽」という概念自体が存在していなかったとしたら、映画の歴史、映画というメディアの表現、そして我々観客の体験は、一体どのように変わっていた... -
COLUMN
[妄想コラム]ドラッグが存在しなかったら、音楽のあり方は変わっていたのか?──ある種の文化的前提を失った音楽史の妄想
はじめに:音楽とドラッグの距離感 音楽の歴史をたどるとき、しばしば避けては通れないのがドラッグという存在である。それは決して推奨でも否定でもなく、あまりに多くの創作の場面で、その存在が暗黙の前提として横たわっていたことの指摘にすぎない。サ... -
COLUMN
[妄想コラム]もしもジャンルが消えたなら ── 音楽の“届け方”はどう変わるか
音楽のジャンルとは、いわば世界を理解するためのラベルである。「これはロックだ」「この曲はテクノだ」「これはフォークの流れを汲んでいる」といった言葉は、音楽を語る際の道標として機能してきた。そして、それは同時に発信のための“タグ”でもあった... -
COLUMN
[妄想コラム]演歌ブルース幻想 ── もしも“こぶし”のルーツがミシシッピにあったなら
序章:「恨み節」と「ブルース」は似ている 「演歌は日本のブルースである」という言い回しは、音楽好きのあいだで度々交わされるジョークのようなものだ。だが、これは実に的を射た観察でもある。演歌の根底にあるのは“情念”であり、ブルースの根底にある... -
COLUMN
[妄想コラム]もしこの世にリズムがなかったら ── 音楽シーンはこうなっていたかもしれない
音楽にリズムがなかったら? そんなこと、考えたことがあるだろうか。リズム、それは音楽の脈であり、心臓である。耳に聴こえる鼓動、体を揺らすビート、無意識に足を動かす力 ── それらすべてはリズムの魔法だ。だがもし、この世界にリズムという概念が... -
COLUMN
[妄想コラム]映像がなければ音楽はどう変わったか ── “MTV不在の音楽史”を妄想する
1981年、アメリカで産声を上げたMTV(Music Television)は、音楽に映像という魔法をかけた。以来、音楽は「聴くもの」から「観るもの」へと変貌を遂げていく。だが、もしこのメディアが存在しなかったとしたら、私たちの音楽体験はどのように変わっていた... -
COLUMN
[妄想コラム]メジャーもマイナーもない世界で、僕たちは何を聴くのだろう?
「明るい曲ですね」「この部分、マイナーで泣ける」 ── そんなふうに、僕たちはごく自然に音楽を“感情”で分類してきた。楽譜の上ではメジャー(長調)は陽気さや前向きさを、マイナー(短調)は切なさや内省を意味する。音楽を学び、聴き、作る人間にとっ... -
COLUMN
[妄想コラム]もし「イカ天」がなかったら ── バンドが市民権を得る前の日本音楽史を想像する
素人がテレビに出て、人生が変わった時代 1989年。深夜番組『三宅裕司のいかすバンド天国』、通称「イカ天」は、音楽とテレビ、そして素人の情熱が奇跡的に交錯した装置だった。番組のルールはシンプルで、アマチュアバンドが登場し、週ごとの勝ち抜き戦を...
