[妄想コラム]もしベートーヴェンがエレキギターを持っていたら──19世紀に鳴り響くフィードバックの夢

音楽史に“if”は禁物。でも、想像するのは自由だ。「もし◯◯があの時代に存在していたら?」 そんな問いは、歴史や芸術を愛する者にとって、果てしないロマンを掻き立てるものだ。とりわけ音楽史における“if”は、技術と表現の密接な関係ゆえに、夢想の余地が広い。その中でも、最もスリリングでロックな問いのひとつが ── 「もしベートーヴェンの時代にエレキギターが存在していたら?」という仮定だろう。

19世紀初頭、ウィーン古典派の終わりを告げ、ロマン派への扉を開いたルートヴィヒ・ヴァン・ベートーヴェン。彼がもし、フェンダーのストラトキャスターを手にし、マーシャルのアンプから轟音のフィードバックを響かせていたら、音楽の歴史はどのように変わっていただろうか?  想像するだけで、背筋がゾクゾクする。

革新家ベートーヴェン、ギターを手にしたら?

ベートーヴェンは言うまでもなく、音楽における革命児だった。 彼は単なる作曲家ではなく、当時の社会と文化の枠組みに抗いながら、音楽の可能性を押し広げたアーティストである。耳が聴こえなくなった後も、感情の奔流を作品に込め続けたその姿勢は、どこかロック・スピリットを先取りしているとも言えるだろう。

そんな彼がもし、エレキギターという現代的な“反逆のツール”に出会っていたなら、どうなっていたか。 「交響曲第5番《運命》」の冒頭、“ダダダダーン”のあのモチーフを、轟音のパワーコードで炸裂させていたかもしれない。あるいは、「ピアノ協奏曲第4番」の代わりに、「ギター協奏交響曲」なる前人未到のジャンルを打ち立てていたかもしれない。形式に縛られない、野性味を帯びた音楽。 クラシックとロックの狭間に生まれる“何か”を、彼はきっと迷いなく掴み取っていただろう。

クラシックが早く“壊れていた”かもしれない?

エレキギターは、ただ音を増幅する装置ではない。 それは音楽そのものの構造を変える、ひとつの思想装置でもある。 音の持続(サステイン)、歪み(ディストーション)、フィードバックによる不安定性 ── そのどれもが、「書かれた音」から「鳴らされる音」への移行を後押しする。ベートーヴェンがエレキギターを使っていたなら、19世紀にして既に以下のような音楽が生まれていたかもしれない。

  • ギターリフを中心に構築された交響曲
  • ノイズを作曲素材とする“音響派”の先駆け
  • ストリングスとギターが即興で対話するジャム形式の協奏曲

これは、20世紀にシェーンベルクやストラヴィンスキー、さらにはブライアン・イーノやジム・オルークが手がけてきた音の冒険を、1世紀も早く先取りすることを意味する。

ウィーンにライブハウスが生まれていた世界線

技術の話をもう少ししよう。 エレキギターには電気、アンプ、エフェクター、録音技術といったインフラが必要だ。もしこれらがベートーヴェンの時代に存在していたら ── それは単に音楽の問題ではない。文化全体のスピードと熱量が、まったく異なる軌道をたどっていた可能性がある。

ウィーンの宮廷ではなく、街の片隅にある地下のライブハウス。 蝋燭の灯りの代わりに光るのは、真空管アンプのオレンジ色のグロー。 貴族ではなく、市井の人々が身を寄せ合い、フィードバックと轟音に酔いしれる。 そんな「19世紀ロック」の光景を夢想するのは、決して無駄なことではない。クラシックとロックの境界が曖昧になり、芸術音楽と大衆音楽が早くから融合していたとすれば、現代の音楽文化はもっと“溶け合ったもの”になっていたかもしれない。

ベートーヴェンは、ジミ・ヘンドリックスだったか?

ベートーヴェンの創作の根源にあるのは、“抑圧に抗い、個を貫く意志”だった。 それは60年代の反戦ロック、70年代のパンク、90年代のグランジと共鳴するものがある。彼はいつだって時代の閉塞を突き破ろうとしたし、音を使って社会に問いを投げかけてきた。

もしかしたら彼は、交響曲ではなく、ギターソロで怒りと希望を叫んだかもしれない。ノイジーなソロの中に、言葉にならない感情を込めて。 その姿はまさしく、ジミ・ヘンドリックスやカート・コバーンのように、“背負わされた時代”と闘うロックスターそのものだ。

想像から立ち上がる、音楽の自由

この話は、もちろん完全なるフィクションだ。 けれど、想像を通して見えてくるのは、「音楽はいつでも、自由であっていい」というメッセージだ。エレキギターがあろうがなかろうが、音楽はその時代、その人間の内側から自然にあふれ出る。ベートーヴェンがいた時代にあれば、彼は使っただろう。なければ、ピアノやオーケストラを用いて、自らの衝動を表現した。 それだけのことだ。

そして、今。僕たちがギターを手にするとき、そこには250年前のベートーヴェンの精神が宿っているのかもしれない。ジャンルや時代を越えて ── 音は、鳴らされるべき場所へ、必ず届くのだ。

Shin Kagawa:100年後の音楽シーンを勝手気ままに妄想し続ける妄想系音楽ライター。AI作曲家の内省ポップや、火星発メロウ・ジャングルなど架空ジャンルに情熱を燃やす。現実逃避と未来妄想の境界で踊る日々。好きな映画は『バードマン あるいは(無知がもたらす予期せぬ奇跡)』。

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