
1997年8月、嵐の中の伝説
1997年7月26日、富士天神山スキー場。台風直撃の豪雨と暴風の中で開催された第1回フジロック・フェスティバルは、のちに「嵐の中の奇跡」として語り継がれることになる。
だが、この世界線では奇跡はそこで終わった。主催者は莫大な赤字と安全面の批判を理由に、翌年の開催を断念。わずか1回限りの幻のフェスとして、その名は歴史の1ページに封じ込められた。
日本の夏フェスは「都市回帰」へ
フジロックが消えた最大の影響は、地方型フェスの発展が大幅に遅れたことだ。もともとフジロックは「自然と音楽の融合」というコンセプトを持ち込み、山や川の中で過ごすフェス体験を日本に根付かせるはずだった。しかし、その芽は嵐とともに折られた。
その結果、2000年代初頭に盛り上がるはずだった野外型ロックフェスは、都市型イベントに吸収される形で発展。幕張メッセや東京ビッグサイト、大阪南港ATCホールといった会場での「屋内サマー・フェスティバル」が主流となった。2000年に誕生し、第1回は山梨県富士急ハイランドと大阪で開催された「SUMMER SONIC」も、その後千葉・大阪の都市型スタイルを崩さず、「郊外や山奥でキャンプする文化」はほぼ芽生えないままだった。
フェスシーンの“クラブ化”
もうひとつの影響は、クラブカルチャーの勢力拡大だ。海外ではグラストンベリーやコーチェラが広がり、野外での長時間音楽体験が文化として定着していく中、日本ではそれに代わる場所がなかった。結果として、オールナイトの大型クラブイベントがフェス的役割を担い、渋谷WOMBや新木場ageHaは「クラブ型フェス」の牙城として絶大な影響力を持った。
ハウス、テクノ、ドラムンベース、トランス……ジャンルごとにクラブを拠点とするシーンが細分化され、アーティスト同士のクロスオーバーは進んだが、野外ならではの「無国籍で雑多な混沌感」は醸成されにくくなった。
海外アーティスト招聘の遅れ
フジロックは実際の歴史では、ビョークやレディオヘッド、レッチリなど、世界的アーティストをいち早く日本の山奥へ呼び込む役割を果たした。しかし、この世界線ではその受け皿がなくなり、海外アーティストの夏の日本公演は単発のアリーナライブやクラブツアーが中心に。
2000年代のロック・ブーム時に、国内オーディエンスが「海外バンドを一気にまとめて浴びる」機会は減少。洋楽人気は都市部のマニア層に偏り、地方の音楽ファンは地元のホール公演か輸入盤CDに頼る状況が続いた。
“地方フェス”の系譜が変わる
実際の歴史では、フジロックをきっかけにライジングサン、朝霧JAM、りんご音楽祭などの地方フェスが次々と誕生した。しかし、この世界線ではそれらの誕生は大幅に遅れる。
代わりに、地方自治体主催の「観光+音楽」型イベントが増加。たとえば、2000年代中盤には「北海道ビール&ミュージックフェア」や「信州ジャズ&そば祭り」のような、地元色の強いイベントが夏の目玉に。そこには海外ロックバンドの姿はほとんどなく、出演するのはJ-POP、演歌、地元出身のインディーズバンドが中心だった。
日本のバンド文化の変化
フジロックの不在は、国内バンドのキャリア形成にも影響した。実際の世界線では、くるり、BRAHMAN、フィッシュマンズ、サンボマスターなど、多くのバンドがフェス出演を通じて広いオーディエンスに知られる機会を得た。しかし、この世界線ではその成長ステージが欠落。彼らはより狭いライブハウスシーンでの活動を余儀なくされ、全国的な知名度を得るにはテレビかラジオに頼る必要があった。
結果として、インディーとメジャーの間の壁はより厚く、音楽シーンの“分断”は深まった。
環境意識とフェス文化の未発達
フジロックが苗場で築いたもう一つの功績は、「自然と共生するフェス文化」の啓蒙だった。ゴミ分別、再利用カップ、地産地消フード──これらは野外フェスを通じて若い世代に浸透していった。
しかしこの世界線では、そうした啓蒙の場が存在せず、都市型イベントでは廃棄物問題や環境意識はほとんど議題にならない。結果として、2010年代に世界的に広がった「サステナブルなフェス運営」の波は、日本には遅れて訪れる。
“幻のフジロック”伝説化
こうして2000年代も半ばに差し掛かる頃、第1回フジロックは完全に“伝説”となる。音楽誌には「たった一度きりのフェス」の特集が組まれ、YouTubeには当時の雨に濡れた観客や演奏風景の断片的な映像がアップされる。
そこには、台風の中で演奏をやりきったレッチリ、泥まみれで踊る観客、びしょ濡れのスタッフの姿がある。そして決まってコメント欄には、「俺はあの日、あそこにいた」という自慢と、「もう一度、あの空気を味わいたい」という渇望が並ぶ。
“第二のフジロック”は現れたか?
2015年、若い音楽プロデューサーたちがSNSを通じて「幻のフジロックをもう一度」という運動を始める。クラウドファンディングは瞬く間に目標金額を達成し、新潟県某所で「MOUNTAIN WAVE FESTIVAL」が開催される。
しかし、20年の空白はあまりに長く、観客は慣れない野外生活に戸惑い、豪雨でテントが浸水するとSNSで炎上。「やっぱり日本人には都市型フェスが向いてる」という空気が広がり、再び野外フェス文化の芽は萎む。
この世界線で失われたもの、得られたもの
失われたのは、苗場で夜を徹して踊るあの一体感、外国人と肩を並べて観るバンドの高揚感、山の緑と音楽の融合がもたらす解放感。一方で得られたのは、都市の快適さと音楽の融合、クラブ文化の深化、ジャンルごとの専門性の高まりだった。
だが、私はこう思う。この世界線でも、どこかの誰かが、山奥で、海辺で、河原で、アンプを持ち込んで音を鳴らし始めていたはずだ。フジロックがなくても、人は自然と音楽を結びつけたい衝動を抑えられないのだから。

Shin Kagawa:音楽の未来を自由に妄想し続ける、型破りな音楽ライター。AI作曲家による内省的なポップや、火星発のメロウ・ジャングルといった架空の音楽ジャンルに心を奪われ、現実逃避と未来の音楽シーンを行き来しながら執筆を続ける。幻想的なアイデアと現実のギャップを楽しむ日々の中で、好きな映画は『バードマン あるいは(無知がもたらす予期せぬ奇跡)』。