
1981年、アメリカで産声を上げたMTV(Music Television)は、音楽に映像という魔法をかけた。以来、音楽は「聴くもの」から「観るもの」へと変貌を遂げていく。だが、もしこのメディアが存在しなかったとしたら、私たちの音楽体験はどのように変わっていただろうか。本稿では、“MTVがなかった世界線”を想像しながら、音楽史がどう変化していた可能性があるかを妄想してみたい。
ビジュアル・アイコンは生まれなかった
MTV最大の功績は、音楽スターを「視覚的アイコン」に変えたことである。マイケル・ジャクソンの「Thriller」(1983年)は、その象徴だ。ゾンビ・ダンスで世界中を魅了したこのMVは、単なるプロモーションではなく、映画的表現として音楽の次元を引き上げた。しかし、もしMTVがなかったら ── この伝説的ビデオは生まれていなかった可能性が高い。マイケルは歌と踊りでスターにはなれたとしても、「映像で語る神話」を築くには至らなかったかもしれない。
同様に、マドンナの「Like a Prayer」(1989年)のMVがなければ、宗教と性を交錯させたあのスキャンダラスな世界観も届かなかっただろう。つまり、MTV不在の世界では、ポップスターの“思想”や“信条”はステージの上に留まり、マスメディアの記憶には刻まれなかった可能性がある。
映像作家たちの別ルート
MTVは映像作家の登竜門でもあった。スパイク・ジョーンズやミシェル・ゴンドリー、マーク・ロマネク、デヴィッド・フィンチャーなど、後に映画界で名を成すクリエイターたちの多くは、90年代のMV制作からキャリアをスタートさせている。
たとえば、スパイク・ジョーンズが手がけたビースティ・ボーイズ「Sabotage」(1994年)のMVは、刑事ドラマ風のパロディでありながら音楽のテンポと映像の編集をシンクロさせた、いわば“MV芸術”の到達点であった。
もしMTVがなければ、彼らのような才能は広告業界やインディ映画に閉じこもり、ミュージックビデオという短編映像の独自ジャンルがここまで発展することはなかっただろう。
ジャンルの交差は遅れていた
MTVは“音楽の映像化”だけでなく、“ジャンルの可視化”も推進した。1986年、Run-D.M.C.とエアロスミスが共演した「Walk This Way」は、ヒップホップとハードロックの融合という意味で歴史的な瞬間である。が、ここでも重要なのはMVの存在だ。壁を破ってふたつのジャンルが出会うという、文字通りの演出が視覚的に衝撃を与えた。
もし映像がなければ、ただ音源を聴くだけでは“異文化同士がぶつかりあう”感覚は、ここまで鮮明にならなかっただろう。結果として、ジャンルのクロスオーバーも数年、あるいは十数年遅れていたかもしれない。
グランジもオルタナも、届かなかった可能性
1991年、ニルヴァーナが「Smells Like Teen Spirit」で登場したとき、世界はグランジ・ロックの渦に巻き込まれた。その決定打となったのが、あのMVだ。くすんだ体育館、スモーキーな空気、反抗的なまなざし。映像は音楽の“湿度”と“気怠さ”を倍増させ、若者の心に刺さった。
同様に、R.E.M.、ソニック・ユース、PJハーヴェイといったアーティストたちも、MTVの深夜番組『120 Minutes』を通して、その存在が認知されていった。もしMTVがなければ、オルタナティブというカテゴリ自体が、“ただのローカルな音楽ムーブメント”に留まっていた可能性がある。
グローバル・ヒットの形も変わっていた
MTVはアメリカだけのメディアではない。90年代には「MTVアジア」や「MTVジャパン」など、世界各地に派生チャンネルが開局し、音楽のグローバル化を加速させた。これにより、ボン・ジョヴィ、ブリトニー・スピアーズ、バックストリート・ボーイズらの“世界的ヒット”が可能になった。
また、MTVのグローバル展開は、逆にワールドミュージックの発掘にもつながった。ピーター・ガブリエルが主宰したReal World Recordsをはじめ、映像によって“他者の音楽”を身近に感じさせた。MTVがなければ、音楽は“国境を越える速度”が遅くなっていたのではないか。
YouTubeは別の形で生まれていたかもしれない
2005年、YouTubeが始まったとき、最も再生されたのは音楽ビデオだった。これは、視聴者がすでに「音楽を映像で楽しむ」という習慣を持っていたからにほかならない。つまり、YouTubeの成功はMTVの文化的遺産のうえに築かれていたとも言える。
もしMTVがなければ、YouTubeは「動画投稿サイト」ではあっても「音楽プラットフォーム」にはならなかったかもしれない。音楽はSpotifyのような音声主導の形で広まり、TikTokのような“踊れる映像”コンテンツも生まれなかった可能性がある。

MTVのいない音楽史は“声の時代”が続いていた
結論から言えば、MTVが存在しなければ、音楽は“耳”で完結するメディアのままであっただろう。それは決して悪いことではない。エラ・フィッツジェラルドやビリー・ホリデイの時代のように、声や演奏だけで成立する世界は、それはそれで豊かである。
だが、私たちが享受してきた「視覚的記憶としての音楽」、すなわち「マドンナの挑発する目線」や「ニルヴァーナの投げやりな破壊」や「ビヨンセの美学としての身体性」──それらは、MTVというメディアがあったからこそ、脳裏に焼き付いたものである。
映像と音楽が融合した結果、私たちは「音を聴くだけで、ある情景を思い出す」ようになった。もしMTVが存在しなかったら ── 音楽はもっと抽象的で、もっと内向的で、もっと孤独な体験だったかもしれない。それも悪くはない。だが、少なくとも私たちは「映像で記憶する音楽の時代」を一度は生きた。それこそが、MTVというメディアの本質的な意義なのである。

Shin Kagawa:音楽の未来を自由に妄想し続ける、型破りな音楽ライター。AI作曲家による内省的なポップや、火星発のメロウ・ジャングルといった架空の音楽ジャンルに心を奪われ、現実逃避と未来の音楽シーンを行き来しながら執筆を続ける。幻想的なアイデアと現実のギャップを楽しむ日々の中で、好きな映画は『バードマン あるいは(無知がもたらす予期せぬ奇跡)』。