[妄想コラム]演歌ブルース幻想 ── もしも“こぶし”のルーツがミシシッピにあったなら

序章:「恨み節」と「ブルース」は似ている

「演歌は日本のブルースである」という言い回しは、音楽好きのあいだで度々交わされるジョークのようなものだ。だが、これは実に的を射た観察でもある。演歌の根底にあるのは“情念”であり、ブルースの根底にあるのもまた“情念”である。歌詞に描かれるのは報われぬ恋、消えた夢、そして戻れぬ故郷 ── そうした感情の共有が人々の心をつないできた点で、両者は類似している。

ではもし、日本の演歌が明治~大正期に誕生した際、そのルーツが浪曲や端唄ではなく、アメリカ南部のブルースに根ざしていたら? そんな仮定から、もうひとつの“日本音楽史”を想像してみたい。

港町ブルース:音楽的邂逅のIFストーリー

日本の港町 ── 横浜、神戸、函館 ── は、19世紀後半以降、欧米音楽の入り口であった。クラシック音楽、軍楽隊、ジャズなどがここから全国へ広まった事実はよく知られている。だが、もしここにブルースがいち早く持ち込まれていたらどうだったろうか。

当時、アメリカ南部の黒人労働者たちは、ギター片手に12小節の哀歌を歌っていた。ミシシッピ・デルタで生まれたブルースは、まだ「洗練」からはほど遠い、荒削りで直接的な音楽であった。その素朴な響きが、演歌が根ざすべき日本の民謡感覚 ── 語りと節回し ── と奇妙に呼応していた可能性はある。

特に影響を受けていたであろうと想像できるのは、津軽民謡で知られる三味線奏者たちである。即興性と泣き節を愛する彼らが、例えばブラインド・レモン・ジェファーソンのようなフィーリングを吸収していたら、三味線の「こぶし」はスライドギター的なニュアンスを帯びていたかもしれない。

演歌がブルースに出会ったら:コード、リズム、詩

演歌がブルース的発展を遂げていたとすれば、まず明確に変わっていたのは和声とリズムである。伝統的な演歌はヨナ抜き音階を使い、コード進行は比較的単純で静的である。だがブルースのルールに則るなら、I-IV-Vの12小節構造、ブルーノート(♭3、♭5、♭7)を多用するメロディ、そしてシャッフル感のあるビートが主流となっていただろう。

たとえば村田英雄の「王将」や美空ひばりの「悲しい酒」が、B.B.キングのようなギターリフとともに演奏されていたら? そこには、もっとざらついた、もっと“夜の匂い”がする音楽が生まれていたに違いない。

魂の語り部たち:もし彼らがブルースマンだったなら

このパラレルワールドにおいて、美空ひばりは「ジャパン・ブルースの女王」として、ウィスパーとシャウトを使い分ける表現者になっていたであろうし、八代亜紀は酒場の片隅でギター片手に低く深く呟く吟遊詩人だったかもしれない。

北島三郎はどうだろうか。演歌界随一のパフォーマーである彼が、もしマディ・ウォーターズばりのエレキスライドと出会っていたら、サブちゃんバンドは「津軽デルタ・ブルースバンド」として伝説になっていたに違いない。

都会の憂鬱、地方の嘆き:ブルース演歌の社会的意味

ブルースが演歌の起点となっていた世界では、それは単なる“懐メロ”ではなく、労働者階級の魂の代弁者として、現代まで重要な役割を果たしていたはずである。社会の片隅でこぼれ落ちそうな声をすくい上げる音楽 ── それがブルース演歌であった。

実際、そうした音楽精神を受け継いでいるようにも思えるのが、忌野清志郎や仲井戸“CHABO”麗市のようなアーティストである。彼らの歌は、フォークでもロックでもありながら、どこか“にがいブルース”の匂いがする。つまり彼らこそが、もうひとつの日本音楽史における“演歌の継承者”だったのかもしれない。

現代の「もしも」:ブルース演歌が残していたかもしれないもの

今、私たちが「演歌は古い」と思うのは、その音楽が特定のスタイルや文化圏に閉じ込められてしまったからだ。だがもし、演歌がブルースから出発していたならば、その進化の軌跡はロック、ソウル、ヒップホップとも自然につながっていたはずである。

そうなれば、演歌は若者文化として、たとえばKing Gnuやアイナ・ジ・エンドのようなアーティストにダイレクトに影響を与えていた可能性も高い。King Gnuの「The hole」に漂うダークで語りかけるような雰囲気は、まさに“モダン演歌ブルース”と呼べるのではないか。

結語:音楽史に刻まれなかった幻の“こぶし”

演歌のルーツがブルースだったなら ── それは単なる妄想ではなく、文化のもうひとつの可能性の地図である。西洋音階や五線譜に馴染まなかったブルースが、日本の声と三味線と出会っていたならば、今我々が“日本的”と考える音楽の輪郭そのものが変わっていただろう。

だがこの“もしも”は、今でも形を変えて蘇る可能性を秘めている。ブルースと演歌の混血音楽。名前はどうあれ、それはきっと、心の底からにじみ出るような、そんなうたになるはずだ。

Shin Kagawa:音楽の未来を自由に妄想し続ける、型破りな音楽ライター。AI作曲家による内省的なポップや、火星発のメロウ・ジャングルといった架空の音楽ジャンルに心を奪われ、現実逃避と未来の音楽シーンを行き来しながら執筆を続ける。幻想的なアイデアと現実のギャップを楽しむ日々の中で、好きな映画は『バードマン あるいは(無知がもたらす予期せぬ奇跡)』。

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