[踊る人類学〜音楽はなぜ生まれ、なぜ消えないのか]第二回:悲しみはなぜ歌になるのか

ブルース、演歌、ファド、レベティコ ── 世界の哀歌が教えてくれること

人は幸せだから歌うのではない。むしろ逆だ。歌わなければ生きられないほど悲しいから、人は歌う。失恋した夜。故郷を失った日。大切な人が帰らなくなった朝。人生が思い通りにならないと知った瞬間。人は言葉だけでは抱えきれない感情に出会う。そのとき歌が生まれる。

考えてみれば不思議なことだ。悲しい出来事が起きたのなら、黙り込めばいい。泣けばいい。怒ればいい。それなのに人類は何千年ものあいだ、悲しみを歌に変えてきた。アメリカにはブルースがある。日本には演歌がある。ポルトガルにはファドがある。ギリシャにはレベティコがある。生まれた場所も言葉も宗教も違う。それでも、そこには驚くほど似た風景が広がっている。

今回は世界の哀歌を旅しながら、「なぜ悲しみは歌になるのか」を考えてみたい。

ブルース ── 絶望のなかで見つけた小さな光

ブルースは苦しみの音楽だ。しかし絶望の音楽ではない。ここを誤解してはいけない。アメリカ南部。綿花畑。差別。貧困。過酷な労働。ブルースはそんな現実のなかから生まれた。それは社会の底辺に追いやられた人々の叫びだった。

しかし彼らは叫ぶだけでは終わらなかった。歌った。悲しみをメロディに変えた。ユーモアを混ぜた。酒を飲みながら笑った。恋に破れてもまた恋をした。だからブルースには不思議な生命力がある。暗いのに暗くない。悲しいのに温かい。人生はうまくいかない。でもそれでも生きる ── ブルースとは、その覚悟の音楽なのだ。

ブルースを聴いていると、人間は意外と強い生き物なのだと思えてくる。

演歌 ── 日本人が忘れられないもの

もしブルースが抵抗の歌なら、演歌は記憶の歌だ。演歌には必ず失われたものが登場する。去った恋人。帰れない故郷。戻らない時間。叶わなかった夢。なぜだろう?

日本人は昔から「失うこと」に美しさを見出してきた。桜が散るから美しい。夏祭りが終わるから切ない。青春が終わるから輝く。永遠よりも儚さを愛してきた。演歌の主人公たちはたいてい負けている。恋愛も失敗する。人生も順風満帆ではない。しかし彼らは負けたまま歌う。負けたことを隠さない。それが演歌の強さである。

現代社会は成功ばかりを語る。SNSを開けば誰もが幸せそうだ。だからこそ演歌が歌う敗北の物語は、いま改めて響くのかもしれない。

演歌は古い音楽ではない。人間が忘れたくても忘れられない感情の記録なのである。

ファドとレベティコ ── 港町に吹く孤独な風

ポルトガルのリスボン。ギリシャのピレウス。どちらも海に面した港町だ。そして偶然とは思えないほど似た音楽が生まれた。ファド、そしてレベティコである。どちらも酒場で歌われた。どちらも労働者や移民やアウトローたちの音楽だった。どちらも失われたものを歌った。

ファドには「サウダーヂ」という言葉がある。日本語には訳せない感情だ。懐かしさ。喪失感。郷愁。愛しい痛み。それらが混ざり合った複雑な感情 ── 。

一方、レベティコにも似た空気が漂う。祖国を追われた人々。貧困。亡命。裏社会。人生の影の部分。そこから生まれた歌は驚くほど美しい。なぜだろう?

それはおそらく、人間は悲しみをそのまま抱え続けることができないからだ。痛みを物語に変える。物語を歌に変える。そうして初めて前へ進める。

港町には独特の空気がある。誰かが去り、誰かがやって来る。出会いと別れが繰り返される。だから港町は世界中で哀歌を生むのだろう。

悲しみは人を孤独にする ── 歌は人を再び繋ぐ

悲しみの本質は孤独である。誰にも分かってもらえないと思うこと。世界にひとり取り残された気持ちになること。それが苦しい。

しかし歌には不思議な力がある。誰かが歌う悲しみを聴いたとき、人は思う。「ああ、自分だけじゃなかったんだ」。ブルースも。演歌も。ファドも。レベティコも。やっていることは同じである。孤独を共有しているのだ。悲しみを消しているのではない。悲しみを分け合っている。だから人類は歌をやめなかった。戦争が起きても。差別があっても。貧しくても。恋に破れても。故郷を失っても。歌い続けた。

それは人間が弱いからではない。むしろ逆だ。悲しみを美しさに変える力を持っているからだ。そしておそらく、それこそが音楽という芸術の最も尊い役割なのである。

H: 土を触り、ギターを鳴らし、ビールを飲む。それがHの基本動作だ。VETHEL専属ライターとして、音楽・映画・カルチャーの交差点に立ち、言葉を選び続けている。週末は庭でハーブを育て、夜はバンドで轟音を鳴らす ── 静と動、繊細と粗野の振れ幅こそが、その文章に宿るリズムの正体かもしれない。

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