[妄想コラム]もしこの世にリズムがなかったら ── 音楽シーンはこうなっていたかもしれない

音楽にリズムがなかったら? そんなこと、考えたことがあるだろうか。リズム、それは音楽の脈であり、心臓である。耳に聴こえる鼓動、体を揺らすビート、無意識に足を動かす力 ── それらすべてはリズムの魔法だ。だがもし、この世界にリズムという概念が存在しなかったら? 音楽はどうなっていただろうか。ダンスミュージックもヒップホップも、もしかしたらそもそも生まれなかったかもしれない。今とはまったく違う、奇妙な音の風景が広がっていたはずである。

ジャズが「無重力」になっていた世界

まず想像してみたいのは、ジャズの世界である。ジャズはスウィングすることで成立している。リズムをズラし、乗りこなすことで独特の浮遊感を生み出す音楽だ。チャーリー・パーカーのビバップも、ジョン・コルトレーンの神がかり的な即興も、その背景には必ず「リズムとの対話」があった。

しかし、もしリズムという基盤がなかったら? 彼らの演奏は、音の断片が宙に浮かび、ぶつかり合うだけのものになっていただろう。テンポもグルーヴも存在しない。ひたすら音が生まれては消えるだけの、重力を失った音楽。そこに感情のうねりや昂揚は生まれなかったに違いない。ライブハウスのステージには、激しく首を振る観客の姿も、身体を揺らすプレイヤーの姿もなかっただろう。


パーカーの「Donna Lee」も、コルトレーンの「My Favorite Things」も、たった一瞬で消えてしまう、幻のような存在になっていたに違いない。

ダンスフロアの崩壊 ── ダフト・パンクはいなかった?

次に、現代のダンスミュージックを見てみよう。エレクトロニック・ダンス・ミュージック(EDM)は、リズムがすべてと言っても過言ではない。四つ打ちのビートに合わせて、身体を預ける快感。ダフト・パンクが「One More Time」で作り上げた祝祭感は、リズムがあってこそ成立したものだ。

だが、リズムがなかったら? 四つ打ちも、ドロップも存在しない。ビートに合わせて手を上げる瞬間もない。アンダーワールドの「Born Slippy」がフェス会場を沸かせることも、デッドマウスの「Strobe」が夜を包み込むことも、なかっただろう。ダンスフロアは「踊る場所」ではなく、「音を眺める場所」になっていたかもしれない。DJたちはミックスではなく、ただ好き勝手に音を垂れ流すだけの「音響係」と化していただろう。

音楽はリズムによって物理的な空間を変える力を持つ。もしリズムがなければ、クラブカルチャーそのものが存在しなかったに違いない。

ヒップホップはどうなっていたか ── J・ディラの不在

そして、ヒップホップを考えないわけにはいかない。リズムこそがヒップホップの源である。J・ディラのようなビートメイカーは、ドラムマシンとサンプラーを操り、ビートに「人間的な揺らぎ」を与えることで、無機質な機械に魂を吹き込んできた。

彼の代表作『Donuts』を聴けばわかるように、リズムのズレやスウィング感こそがヒップホップの深みを作っている。だが、もしリズムが存在しなかったら? ラッパーたちはどこに「乗る」こともできず、フロウも成立しない。エミネムの緻密なライムも、ケンドリック・ラマーの社会派リリックも、すべて空中分解していただろう。ヒップホップは、ただの「言葉と音の断片集」になり、カルチャーとしてここまでの影響力を持つことはなかったはずだ。

ナズの『Illmatic』も、ウータン・クランの『Enter the Wu-Tang』も、この世に存在しなかったかもしれない。リズムなしでは、ヒップホップは産声すら上げることができなかったのである。

クラシックは「線香花火」のような存在に?

意外かもしれないが、クラシック音楽もリズムに依存している。バッハのフーガ、ベートーヴェンの交響曲、ラヴェルの「ボレロ」。これらはすべて、時間の流れとリズムによってその形を成している。

ベートーヴェンの「第9交響曲」を思い出してほしい。歓喜に満ちたフィナーレは、リズムが生み出す巨大な波に乗って、一気に聴衆を押し流す。だが、リズムがなかったなら? 第九は、音が単発で響いては消え、ただの「音の点描画」になってしまっただろう。曲はクライマックスに向かって盛り上がることなく、線香花火のように、ぱちぱちと音を立てながら、すぐに消えてしまう儚い存在になったに違いない。

モーツァルトの軽やかなピアノ協奏曲も、チャイコフスキーの壮大なバレエ音楽も、すべてが失われ、クラシック音楽はもっと「難解な実験音楽」になっていただろう。

リズムなき世界の音楽シーン ── どんなものだったのか?

リズムが存在しない世界では、音楽はもっと「抽象的なアート」として扱われていたかもしれない。リスナーは身体で音楽を感じるのではなく、知覚や思考で音を味わう。ジョン・ケージの「4分33秒」──あの無音の名曲に近い感覚が、音楽の主流になっていた可能性すらある。

ライブハウスもクラブも存在しない。ストリーミングヒットもない。音楽は、もっと美術館で静かに鑑賞されるものになっていたかもしれない。ポピュラー音楽もダンスミュージックも、すべて生まれる前に消えてしまっていた可能性が高い。

もしかしたら、音楽という文化そのものが、ここまで広がることはなかったのかもしれない。リズムがあるからこそ、音楽は人間の感情とリンクし、日常の中に根付くことができたのである。

それでも ── リズムなき音楽に希望はあるか?

とはいえ、リズムがなければ何も生まれなかったわけではないだろう。音の響きだけを頼りに、新しい美学が生まれた可能性もある。現在のアンビエントミュージック ── ブライアン・イーノの『Music for Airports』のような世界観が、より一般的なものになっていたかもしれない。また、現代音楽の巨匠たち ── モートン・フェルドマンや武満徹のように、時間の流れを極端に伸縮させる作曲家たちが、より早い段階で台頭していた可能性もある。

リズムのない音楽。それは、今とはまったく違う文化地図を描いていたに違いない。そして、そんなパラレルワールドの音楽を、ほんの少し覗いてみたい気もするのである。

Shin Kagawa:音楽の未来を自由に妄想し続ける、型破りな音楽ライター。AI作曲家による内省的なポップや、火星発のメロウ・ジャングルといった架空の音楽ジャンルに心を奪われ、現実逃避と未来の音楽シーンを行き来しながら執筆を続ける。幻想的なアイデアと現実のギャップを楽しむ日々の中で、好きな映画は『バードマン あるいは(無知がもたらす予期せぬ奇跡)』。

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