[連載]JPOPと旅する:斉藤和義「オリオン通」 ── 宇都宮の街が育んだ記憶と音楽の原点

宇都宮という「帰る場所」

斉藤和義の音楽には、都会の喧騒でも、旅先の風景でもない、もっと個人的で温度のある都市の匂いが息づいている。それは、彼が宇都宮という街で過ごした時間が、感情の奥深い場所に沈殿しているからだと思う。「オリオン通」は、その街の記憶を静かにすくい上げたような作品だ。この作品は彼の2004年リリースの10枚目のスタジオアルバム『青春ブルース』に収録されており、同じ宇都宮出身の浜崎貴司とのデュエットになる。

恋人との柔らかな距離感を描いているようでいて、実際には街の空気そのものが主体になっている。地名を過剰に歌うことはしないのに、聞けば宇都宮の中心を歩いている気持ちになる。アーケードの灯り、夜の匂い、放課後の気だるいような期待感。そのすべてが、曲の中で曖昧なまま美しく揺れている。

宇都宮は地方都市の中でも文化的な密度が高く、中心部へ向かうほど街の匂いが濃くなる。若い斉藤にとって、この都市の風景は「未来に触れる入口」のような存在だったはずだ。彼がのちに数多くのヒット曲を生み出していくにあたって、その根っこには常に“街への親密な感覚”があり、それが「オリオン通」で最も透明に表れている。

作新学院という「静かな出発点」

作新学院がある一の沢は都市中心部から少し離れ、学校を出てもすぐに繁華街が現れるような土地ではない。校舎を出れば緩やかな坂と住宅街が続き、放課後の空気はどこか柔らかい。ここには都会的な眩しさよりも、日常の静けさがある。

斉藤がギターを始めたのは高校時代ではない。音楽を「聴く側」だったこの時期、街へ出るときに感じた空気の変化が、のちに音楽を作る際の感性の基盤になった。彼にとっての作新は、華やかな青春とは少し違う、「音楽の前夜」のような時間だった。

この時期に強く聴いていた音楽が何だったかは、本人の語りからもある程度推測できる。ビートルズ、RCサクセション、忌野清志郎、ザ・ローリング・ストーンズなど、後年の作品に影響の痕跡が残る。「歌うたい」としての姿勢は、この頃すでに芽生えていたのかもしれない。

斉藤の代表曲「歌うたいのバラッド」で描かれる誠実な感情の在り方は、こうした静かな高校時代の延長線上にある。派手ではないが、核心的な感情だけが残る。作新学院という場所は、その感覚の始まりだった。

東武宇都宮駅という「街の入口」

住宅街を抜けると、街の輪郭が急に立ち上がる。東武宇都宮駅は、コンパクトながら生活と商業が混ざり合う独特の空気を持つ場所だ。駅前の通りには小さな店が並び、人の気配が絶えない。高校生にとって、ここは「街へ入るためのゲート」だった。

斉藤が後年ヒットさせた「歩いて帰ろう」の軽やかな疾走感は、こうした街を歩くリズムともどこか通じる。特に東武エリアは、郊外から来た若者が「背伸びできる街」として機能していた。昼のざわめき、夜の灯り、週末の少し浮ついた空気。そんな街の表情を歩きながら彼は何を考えていたのか。音楽を始める前の、まだ輪郭の曖昧な夢のようなものが、胸の内で揺れていたかもしれない。

駅前からオリオン通りまでは短い距離だ。ただ、その数百メートルは、高校生にとって人生を広げるための「移行区間」のようだった。作新学院の静けさと、街の雑踏。そのどちらもが斉藤和義というミュージシャンを形づくった。

東武宇都宮線 東武宇都宮駅

オリオン通り ── 記憶が街の灯りと混ざり合う場所

オリオン通りは宇都宮市の中心商店街として古くから親しまれてきた。夜になればネオンが灯り、アーケードに響く足音が混ざる。斉藤が高校時代に歩いたオリオン通りと、現在のオリオン通りは、時代が変わってもどこか同じ匂いを残している。

「オリオン通」は、虚飾を排した歌だ。恋人と過ごした時間のようでもあり、街への感情を歌っているようでもある。言葉数は多くない。だが、行間に漂う「街の温度」が強い余韻を残す。現在のオリオン通りを歩きながらこの曲を聴くと、恋愛の記憶だけでなく、自分がかつて歩いた街の時間が重なって蘇る。音楽が人の視界を変える瞬間だ。

LRT宇都宮 11月中旬短い秋から冬空へ

ただし歌詞に登場する商業施設などの大半はもうすでにない。宇都宮の街にも一定に時間が流れ、オリオン通の佇まいにも幾分の変化が見られる。まちは変わっていく、いつの間にか宇都宮は餃子とLRTのまちになった。この哲学は宇都宮だけの話ではないだろう。

斉藤の作品には、都市と個人が接触する微妙なラインが何度も現れる。「ずっと好きだった」にあるノスタルジックな感情、「やさしくなりたい」が持つ世代的共感、「彼女」や「空に星が綺麗」の透明な青年性。それらの根には、地方都市で育った実感が流れている。オリオン通りは、そうした感性の源泉として、彼の音楽の奥で静かに光り続けている。

彼に流れる時間

宇都宮のまちに流れていった時間はまた斉藤和義本人にも流れていった。彼は作新学院を卒業した斉藤は山梨学院大学へ進学し、そこで初めてギターを手にした。友人から借りた一本のギターが、人生を変える道具になった。講義に身が入らず、部屋にこもる時間が増えた頃、彼は無心に練習を続けた。のちに本人が語ったように、音楽に向き合うことで何かがやっと自分の中と噛み合った瞬間があったのだろう。

上京後、アルバイトをしながらデモテープを作り続け、1993年にデビュー。すぐに大ヒットには至らなかったが、独自の声と誠実な詞世界に共感するファンが増え、評価は着実に高まった。やがて斉藤は数々の代表曲・ヒット曲を生み出していく。「歩いて帰ろう」がドラマやCMで注目を集め、「歌うたいのバラッド」が平成のラブソングとして不動の存在になり、「やさしくなりたい」がドラマ主題歌として社会現象的ヒットを記録した。そして「ずっと好きだった」が世代横断的な共感を呼び、「ずっとウソだった」では社会的メッセージを前面に出すアーティスト像も見せた。彼は絶えず時代ごとに新しい顔を見せ続けている。

主なヒット曲を並べるとその幅広さに驚くが、根底には「街の温度」に寄り添う姿勢が一貫している。派手に飾らず、感情の輪郭をそのまま歌う。宇都宮で育った斉藤の根源的な感覚が、ミリオンヒットの裏でも揺らいでいないのが分かる。

人生が動き始めた大学時代、背中を押したのは一本のギターだった。その延長線上で、彼は日本の音楽シーンに揺るぎない存在となった。そしてその背後には、変わらず宇都宮の街が寄り添っている。「オリオン通」は、その原点と現在を静かにつないでくれる曲だ。

増淵敏之:法政大学文学部地理学科教授、専門は文化地理学。コンテンツツーリズム学会会長、文化経済学会〈日本〉特別理事、希望郷いわて文化大使、岩手県文化芸術振興審議会委員、NPO氷室冴子青春文学賞特別顧問など公職多数。Yahooエキスパートコメンテーター。主な単著に2010年『物語を旅するひとびと』(彩流社)、『欲望の音楽』(法政大学出版局)、2012年『路地裏が文化を作る!』(青弓社)、2017年『おにぎりと日本人』(洋泉社)、2018年『ローカルコンテンツと地域再生』(水曜社)、2019年『湘南の誕生』(リットーミュージック)、2020年『伝説の「サロン」はいかにして生まれたのか』(イーストプレス)、2021年『白球の「物語」を巡る旅』(大月書店)、2023年『韓国コンテンツはなぜ世界を席巻するのか』、2025年「ビジネス教養としての日本文化コンテンツ講座」(徳間書店)など多数。1957年、札幌市生まれ、東京大学大学院総合文化研究科博士課程修了、学術博士。NTV映像センター、AIR-G’(FM北海道)、東芝EMI、ソニー・ミュージックエンタテインメントにおいて放送番組、音楽コンテンツの制作及び新人発掘等に従事。

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