[妄想コラム]もし「楽譜」が存在しなかった世界で、音楽はどこまで進化できたのか?

私たちは音楽を語るとき、無意識のうちに「楽譜」を前提としている。作曲家は楽譜を書く人であり、名曲とは正確に再現されるべきものであり、音楽史とは紙の上に残された記号の連なりである、と。

だが、その前提を一度すべて外してみたらどうだろうか。もしこの世界に、楽譜というものが一切存在しなかったら。音楽は、果たしてどこまで進化できたのだろうか。

これは音楽の衰退を想像する話ではない。むしろ、私たちが見落としてきた「もうひとつの音楽史」を掘り起こすための思考実験である。

楽譜とは、音楽を「固定」するための装置である

楽譜は音楽そのものではない。音を視覚化し、保存し、再生可能にするためのメディアである。

この発明によって音楽は大きく変わった。音楽は一回性の出来事から、何度でも再現される「作品」へと変貌したのである。

ヨハン・セバスチャン・バッハの楽曲が21世紀でも演奏されるのは、彼が優れた作曲家だったからだけではない。彼の音楽が、楽譜という形で残されたからだ。

一方で、楽譜は音楽を固定した。「ここはこの音」「このリズムが正解」という概念が生まれ、演奏の自由度は制限されていく。

楽譜以前、音楽は口承によって生き延びていた

楽譜が存在しなかった時代、音楽はどのように伝えられていたのか。答えは明白である。口承だ。

アフリカの伝統的ドラム・アンサンブルでは、リズムは記号ではなく言葉や擬音で教えられる。「ドン・ドド・カ」「タ・タ・トン」。音楽は身体を通して覚えられ、次の世代へと受け渡されていった。

インド古典音楽のラーガも同様である。細かなニュアンスは師匠の演奏を模倣することでしか身につかない。そこに「完全に同じ演奏」は存在しない。

楽譜なき世界において、音楽は常に変化する。変わることこそが、音楽の正しさだった。

「正解のない音楽」は進化できないのか?

ここで多くの人は、こう思うかもしれない。正解がなければ、音楽は高度化できないのではないか、と。

だが、それは西洋音楽的な価値観に基づいた発想である。構造の複雑さや再現性だけが、進化の指標ではない。

リズムの洗練、グルーヴの深化、即興の精度。楽譜を持たない音楽は、別の方向に進化してきた。

フェラ・クティの「Zombie」に聴かれるアフロビートの反復構造は、楽譜よりも身体感覚によって磨かれた結果である。

ジャズは「楽譜なき世界」の記憶を近代に持ち込んだ

20世紀に誕生したジャズは、楽譜中心の音楽社会における異物だった。

確かにコード進行は共有される。しかし、演奏の核心は即興にある。

マイルス・デイヴィスの「So What」は、演奏されるたびに異なる表情を見せる。ジョン・コルトレーンが「My Favorite Things」で見せたのも、楽曲という枠組みを踏み台にした即興の爆発だった。

ここでは、楽譜は目的ではない。会話のきっかけにすぎない。

ジャズは、楽譜なき世界の思想を、近代音楽の内部に持ち込んだ存在なのである。

クラブミュージックは、楽譜を必要としない音楽である

さらに現代に目を向けよう。テクノ、ハウス、クラブミュージックの多くに、厳密な楽譜は存在しない。

DJは譜面を読む代わりに、フロアを読む。ビートを足し、引き、空気の変化に応じて音楽を組み替えていく。

ジェフ・ミルズの「The Bells」は、譜面に書き起こすことはできるだろう。だが、それが鳴るクラブの状況、音圧、観客の反応までは記録できない。

クラブミュージックは、構造ではなく体験によって成立する。そのあり方は、口承音楽と驚くほど似ている。

民族音楽とクラブ文化をつなぐもの

一見すると、民族音楽とクラブミュージックは対極にあるように見える。だが両者には決定的な共通点がある。

それは、音楽が身体を起点に成立しているという点だ。

スティーヴ・ライヒの「Drumming」は、西アフリカの打楽器音楽から強い影響を受けている。反復の中でわずかにズレが生まれ、グルーヴが立ち上がる。

この感覚は、Basic Channelの「Phylyps Trak」が生み出すミニマル・テクノの揺らぎにも通じている。

楽譜ではなく、時間と身体によって音楽が編まれていく。

もし楽譜がなかったら、作曲家は存在したのか?

ここで、さらに踏み込んだ妄想をしてみよう。もし楽譜が存在しなかった世界で、「作曲家」という職業は成立しただろうか。

おそらく、現在の意味での作曲家はいない。
代わりに存在するのは、
音楽を始める人
場を整える人
流れを導く人
である。

音楽は個人の所有物ではなく、共同体の中で共有されるものになる。名曲とは、名前のない集合知の結晶だったはずだ。

録音技術が、楽譜の代わりになった瞬間

20世紀、録音技術が登場する。これは楽譜とは異なるかたちの「保存」である。

音そのものが保存されることで、楽譜を読めなくても音楽は共有できるようになった。ヒップホップがレコードから生まれたのは偶然ではない。

録音は、楽譜なき世界の感覚を、テクノロジーによって蘇らせたとも言える。

楽譜なき世界の音楽は、未熟だったのか?

最後に、この問いに戻ろう。

楽譜が存在しなかった世界の音楽は、未熟だったのだろうか。答えは、否である。

それは、別の方向に成熟していた。

再現性より瞬間性。
構造より身体。
作品より体験。

私たちがクラブで踊り、即興に熱狂する理由は単純だ。身体のどこかが、今もなお、楽譜なき世界の音楽を覚えているからである。

※本コラムは著者の妄想です

Shin Kagawa:音楽の未来を自由に妄想し続ける、型破りな音楽ライター。AI作曲家による内省的なポップや、火星発のメロウ・ジャングルといった架空の音楽ジャンルに心を奪われ、現実逃避と未来の音楽シーンを行き来しながら執筆を続ける。幻想的なアイデアと現実のギャップを楽しむ日々の中で、好きな映画は『バードマン あるいは(無知がもたらす予期せぬ奇跡)』。

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