
プロローグ:沈黙を破る、19世紀のマスターテープ
もし、ルートヴィヒ・ヴァン・ベートーヴェンが「録音技術」を手にしていたら ── それは単なる便利な発明ではなく、音楽の存在形態そのものを変える爆弾になっていたはずだ。
私たちが知るベートーベンは、楽譜の中に生きている。第九も、運命も、月光も、すべては「記号」として後世に残された。しかし仮に彼が、自らの演奏を物理的な音の痕跡として残せていたとしたら?
そこから先の音楽史は、クラシックも、ジャズも、ロックも、エレクトロニックも、まったく違う地層を形成していた可能性がある。
このコラムは、「ベートーヴェンが録音技術を持っていた世界線」を想像することで、現代の音楽シーンがどう変質していたかを徹底的に妄想する試みである。
第1章:ベートーヴェンは「作曲家」ではなく「アーティスト」になっていた
まず最初に起こる決定的な変化は、作曲家という職業概念の崩壊だ。18〜19世紀において、作曲家とは「楽譜を書く人」であり、演奏家はその再生装置にすぎなかった。だが録音が存在すれば、話は逆転する。
ベートーヴェンは確実に、「楽譜を書き、演奏し、それを録音する」完全なセルフ・プロデュース型アーティストになっていた特に彼の即興演奏癖を考えれば、録音は楽譜よりも重要な表現媒体になったはずだ。
「楽譜は設計図にすぎない。完成形は、音そのものだ」
そんな思想が、19世紀にすでに芽吹いていただろう。
この曲は「静かに弾け」と楽譜には書かれていない。もし本人の録音が残っていたら、テンポもペダルも、現在の解釈は激変していたはずだ。
第2章:「正解の演奏」が生まれ、クラシックは早熟に死ぬ
ここで起こる最大の副作用 ── それは解釈の自由の消失である。現代クラシック音楽は、「このテンポが正しいのか」「この強弱は妥当なのか」という永遠の解釈論争の上に成り立っている。
だが、もしベートーヴェン自身の演奏録音が存在していたら?
・テンポ
・ルバート
・ペダルの踏み方
・強弱の極端さ
すべてに“答え”が生まれてしまう。
結果としてクラシック音楽は、20世紀を待たずに「完成された過去の音楽」になり、ジャズやロックのような進化を止めていた可能性が高い。皮肉なことに、録音はクラシックを保存するが、同時に殺すのだ。

第3章:それでもベートーヴェンは「壊す側」に回る
だが、ここで終わらないのがベートーヴェンという存在である。
彼は、
・交響曲の形式を壊し
・調性の安定を破壊し
・演奏不可能な要求を平然と書いた
常にルールブレイカーだった。もし録音があれば、彼はこう考えただろう。
「ならば、楽譜に書けない音をやろう」
・異常な音量差
・歪んだタッチ
・極端なテンポ変化
・演奏中のうなり声、叫び声
ベートーヴェンは録音を使って、楽譜では不可能な表現を量産していたはずだ。それはもはや、現代で言えば「ノイズ」「インダストリアル」「アヴァンギャルド」に近いのではないか。
この曲は、すでに19世紀の耳には「狂気」だった。録音という武器があれば、彼はさらに先へ行っていた。
第4章:レコード文化は200年早く始まり、ロックは生まれなかった?
録音技術をベートーヴェンが確立すれば、当然「音楽を持ち帰る文化」も早熟する。
・家庭に蓄音機
・作曲家=スター
・新作音源の発売日
つまり、ポップミュージック産業の原型が19世紀に出現する。すると何が起きるか。
・ブルースは民謡として広がらない
・ジャズはセッション文化を失う
・ロックは「反抗の音」になれない
なぜなら、音楽は最初から“完成された商品”として消費されるからだ。
ビートルズも、ローリング・ストーンズも、そもそも生まれなかった可能性すらある。代わりに存在するのは、「ベートーヴェン以降の音楽は、すべて彼への返歌である」という、異様に重たい音楽史だ。
第5章:それでも現代に残る“ベートーヴェン的精神”
しかし ── どれほど歴史が変わっても、ひとつだけ変わらないものがある。それは、音楽は限界を押し広げる行為であるという思想だ。
ベートーヴェンは、
・聴覚を失い
・社会から孤立し
・それでも音を諦めなかった
録音があろうがなかろうが、彼は常に「次の地平」を見ていた。もし現代に彼がいたら、DAWを破壊し、AI作曲を嘲笑い、
それでも誰よりも先に使い倒すだろう。そしてこう言うはずだ。
「問題は技術ではない。
その音で、何を賭けているかだ」
この曲は、録音があっても、なくても、人類が越境を夢見た証拠として鳴り続ける。
エピローグ:録音されなかったからこそ、音楽は自由だった
結論を言おう。ベートーヴェンが録音技術を持っていなかったことは、音楽史にとって“最大の幸運”だった。正解が存在しないからこそ、音楽は何度でも生まれ変わり、解釈され、誤読され、暴走できた。
もし彼の演奏が残っていたら、私たちは今ほど自由に音楽を聴いていない。
沈黙の中で、楽譜だけを残したからこそ、ベートーヴェンは永遠に未来の作曲家であり続けているのだ。
※本コラムは著者の妄想です。

Shin Kagawa:音楽の未来を自由に妄想し続ける、型破りな音楽ライター。AI作曲家による内省的なポップや、火星発のメロウ・ジャングルといった架空の音楽ジャンルに心を奪われ、現実逃避と未来の音楽シーンを行き来しながら執筆を続ける。幻想的なアイデアと現実のギャップを楽しむ日々の中で、好きな映画は『バードマン あるいは(無知がもたらす予期せぬ奇跡)』。









