[連載]JPOPと旅する:RADWIMPS「賜物」MV ── ロケ地が語る物語と映像空間の批評的考察

 「賜物」MVの構成と、水戸市という「舞台」の意味

2025年4月30日に公開されたRADWIMPSの楽曲「賜物」のミュージックビデオは、単なるプロモーション映像を超えた、ひとつの短編映画のような完成度を備えている。曲そのものがNHK連続テレビ小説『あんぱん』の主題歌として制作され、人生の「受け取ってきたもの」と「受け継いでいくもの」をテーマにした作品である。

その世界観を映像上で支えるのが、茨城県水戸市内に選ばれた三つのロケ地 ── 旧芦山浄水場、大串貝塚ふれあい公園、そして駿優教育会館である。本稿では、それぞれのロケ地の歴史的背景と空間性を踏まえつつ、MVにおける象徴的役割を批評的に考察していく。

「賜物の」MVは、監督のMESSが提示した「人生の輪廻」というテーマを軸に、人間の混沌、喪失、回復、そして再生を映し取る構成になっている。映像は複数の登場人物の群像劇として展開し、彼らの小さな挫折や危機が交錯しながら、やがて静かに希望へと向かうドラマが描かれる。

この物語を成立させているのは、単に脚本や演技だけではない。むしろ、水戸市内に選ばれたロケーションの持つ空気感や時間性が、物語を支える“構造体”として機能している。廃墟、史跡、そして現代的な教育施設という、異なる時代のレイヤーを重ねた三つの場所は、映像に奥行きを与え、作品のテーマである“引き継ぐもの”“命の営み”といった概念を視覚化しているのである。

旧芦山浄水場 ── 「破壊」「停滞」「混沌」を象徴する産業遺産の空間

最初に取り上げる旧芦山浄水場は、1932年に竣工し、1993年に役目を終えた水戸市最初の浄水場である。コンクリート造の巨大な施設は、現在は廃墟となり、長年の風雨に晒されながら独特の退廃的美しさを湛えている。近年は映画やドラマのロケ地として注目を集め、産業遺産としても評価されつつある。

「賜物」のMVでは、この旧浄水場が象徴するのは、人間が生きていく中で直面する「停止」や「閉塞」の瞬間である。照明を抑えた内部空間、剥落しかけた壁面、吹き抜けの暗がりに揺れる埃。生命活動を司るはずの“浄水場”が役目を終え、静かに朽ちていく姿は、人生の暗部や、時間の経過によって失われていくものを象徴的に表している。

浄水場は元来、水を浄化し、生命を支える場所である。その場所が廃墟となり、「命を循環させる機能」を失っている姿は、人生の停滞や喪失、そして「浄化されない感情」を象徴する劇場のように機能する。MVの前半で描かれる混沌や苦悩は、まさにこの廃墟の空間によって増幅され、登場人物の迷いや痛みを視覚的に強調している。

「旧芦山浄水場」(みとフィルムコミッションより)

大串貝塚ふれあい公園 ── “命の記憶”と再生の歴史を宿す大地

旧芦山浄水場が「過去の傷」を象徴する場所であるとすれば、大串貝塚ふれあい公園は「人類の根源的生命力」を象徴する空間である。大串貝塚は約5500年前の縄文時代に形成されたもので、現在は公園として整備され、貝層断面の観覧施設や復元住居、巨大なダイダラボウ像などが設置されている。

この場所がMVに選ばれた理由は明白である。曲が持つ“受け継がれてきた生命の連鎖”という主題と、縄文の大地が持つ「長い歴史」が、強い親和性を持つからだ。廃墟が象徴する閉塞や混乱とは対照的に、貝塚という地層は、文字通り「命が積み重なっていく歴史」を体現する。

公園の広い芝生や自然光は、映像に「再生」の光をもたらし、登場人物が暗闇から抜け出そうとする瞬間にふさわしい空間性を持っている。縄文人が生きた土地、炎と狩猟、祈りが積み重なった大地は、MVの後半で描かれる静かな癒しの時間を象徴している。生命の記憶が残る公園に立つ登場人物の姿は、単に景色として美しいだけでなく、「生きることの連続性」を映像として可視化する役割を果たしているのだ。

「大串貝塚ふれあい公園」(水戸コンベンション協会より)

駿優教育会館 ── 「今」と「再出発」を象徴する現代の都市空間

三つ目のロケ地である駿優教育会館は、近代的な教育施設であり、旧浄水場や貝塚公園と比べて歴史的背景は薄い。だが、この「現代性」こそが、MVにおける重要な役割を担っている。廃墟(過去の痛み)と貝塚(人類史的時間)をつなぐ「今」の象徴として、この場所が配置されているのだ。

教育会館という場所は、単なる建物ではなく、「学び」「再出発」「未来への準備」といった象徴性をもつ。登場人物がここに立つとき、それは過去に向き合い、歴史に包まれながら、再び歩み始める意志を視覚的に表現している。ロケ地としての派手さはないが、「日常の地続きにある未来」という意味を帯びさせる装置として非常に効果的に使われている。

この三つのロケ地は、時間のレイヤーとしても極めてバランスよく配置されている。つまり旧浄水場=近代の遺構、貝塚=古代の大地、教育会館=現代の生活という意味になり、この三層構造が、「賜物」の人生と時間に関するテーマを空間的に支える骨格になっているのである。

ロケ地が描き出す“賜物”の世界観 ── 空間批評としてのMV鑑賞

このMVの映像体験は、単なる美しい風景の羅列ではなく、ロケ地そのものが語り手となる「空間批評」的構造を持っている。三つのロケーションは、それぞれ独立した意味を持ちながら、楽曲のリリックやテーマと呼応し、人生の陰影を描き出している。旧芦山浄水場が示すのは、人間の内部にある「滞留」 ── 浄化されない想い、癒えない記憶、大串貝塚ふれあい公園が象徴するのは、「生の連続性」―過去から未来へと受け渡される命の営み、駿優教育会館は、「今ここで立ち止まり、また歩き出す自分」を象徴するように思える。

この時間と空間の重層性こそが、「賜物」という楽曲が提示する人生観 ── 「人は多くのものを受け取りながら生きていく」という思想を映像として体現しているのではないだろうか。MV全体は、過去と未来、喪失と再生をつなぐ比喩的な旅であり、ロケ地の選択がその旅の地図となっているのである。

水戸という土地が持つ歴史の多層性 ── 近代遺産、縄文史跡、現代都市 ── が、楽曲の哲学的テーマと密接に結びつき、映像に説得力を与えた点は特筆すべきであろう。

満開の梅園(偕楽園公園)

結語 ── 「賜物」はロケ地で読むMVである

RADWIMPSの「賜物」のMVは、場所の選択が作品の主題そのものを強化する稀有な成功例である。旧芦山浄水場が見せる退廃の美、大串貝塚が携える命の記憶、駿優教育会館が示す現代の息づかい。これらの空間は登場人物の物語に寄り添いながら、観る者に「自分の人生の層」を振り返らせる力を持っている。

過去の傷を抱えながらも、歴史の中で生かされ、そして今を生きていく。そのこと自体が賜物なのだというメッセージを、ロケ地は静かに語っている。MVを鑑賞する際には、ぜひこれらの場所の歴史と意味を念頭に置きながら観てほしい。映像の奥に潜む深層が、より鮮明に浮かび上がってくるはずである。

増淵敏之:法政大学文学部地理学科教授、専門は文化地理学。コンテンツツーリズム学会会長、文化経済学会〈日本〉特別理事、希望郷いわて文化大使、岩手県文化芸術振興審議会委員、NPO氷室冴子青春文学賞特別顧問など公職多数。Yahooエキスパートコメンテーター。主な単著に2010年『物語を旅するひとびと』(彩流社)、『欲望の音楽』(法政大学出版局)、2012年『路地裏が文化を作る!』(青弓社)、2017年『おにぎりと日本人』(洋泉社)、2018年『ローカルコンテンツと地域再生』(水曜社)、2019年『湘南の誕生』(リットーミュージック)、2020年『伝説の「サロン」はいかにして生まれたのか』(イーストプレス)、2021年『白球の「物語」を巡る旅』(大月書店)、2023年『韓国コンテンツはなぜ世界を席巻するのか』、2025年「ビジネス教養としての日本文化コンテンツ講座」(徳間書店)など多数。1957年、札幌市生まれ、東京大学大学院総合文化研究科博士課程修了、学術博士。NTV映像センター、AIR-G’(FM北海道)、東芝EMI、ソニー・ミュージックエンタテインメントにおいて放送番組、音楽コンテンツの制作及び新人発掘等に従事。

この記事が気に入ったら
フォローしてね!

  • URLをコピーしました!