[妄想コラム]もしも音楽に著作権が存在しなかったなら ── “コピー自由世界線”が生んだ音楽の極楽と地獄

音楽に著作権がなかったとしたら ── 。この問いは、単に「無料で聴ける世界」を想像するだけでは済まない。創作者の権利、産業構造、文化の成熟、そして音楽そのものの価値観まで揺さぶる巨大な妄想である。もしも何百年ものあいだ、楽曲が完全にコピー自由・複製自由・改変自由で共有され続けていたとしたら、世界の音楽地図はどれほど変わっていたのか。ミュージシャンはどのように生活し、企業はどんな形で音楽に関わり、リスナーの聴取体験はどのように進化したのか。本稿では、著作権制度がまったく存在しない「もうひとつの世界線」を妄想し、そこから浮かび上がる音楽文化の変容と未来像を徹底的に掘り下げていく。

音楽は“誰のものでもない”世界の始まり

著作権が存在しなかったとするなら、その起点となる近代以降の文化経済はまったく違う姿をしていたはずである。そもそも著作権とは、18〜19世紀に印刷技術が普及し、著作者の利益が脅かされるようになったことから制定された制度である。つまり、それ以前の世界では、楽曲はある意味で共有財産であり、口伝や楽譜の書き換えによって自由に変容していった。

妄想世界線ではその延長が永遠に続いている。

・誰かが作曲しても所有権は発生しない
・誰もが自由に演奏し、録音し、アレンジできる
・名前を変えて別の曲として発表しても違法ではない
・「これは誰の曲か?」という問いがそもそも無意味

つまり、音楽は“空気”のようなものとして流通し続ける。創作物が誰の手を離れても、所有されず、規制されず、ただ変化し続ける。これはある意味、究極の自由世界である。しかし、その自由さは文化を豊かにすると同時に、創作者の生存を脅かす両刃の剣でもある。

クリエイターが“収益化できない”世界線の地獄

著作権が存在しない世界において、アーティストの生存戦略は根本から変わる。

1. 楽曲販売という概念が消滅する

CD、ダウンロード、ストリーミング収益 ── いずれも成立しない。音楽はコピーされて即座に世界中に無料で共有されるため、「音源を売る」というビジネスそのものが消えてしまう。

2. 二次利用料も発生しない

テレビCM、映画、ゲーム、イベントなどで曲が使われても、作曲者に報酬は入らない。「使いたい放題」が世界のデフォルトになる。

3. 収益は“演奏者本人の身体”に依存する

ライブ、パフォーマンス、講演、投げ銭など、身体性のある活動だけが唯一の収入源になる。
つまり、
・ライブに行けない人
・表に立つのが苦手な作曲者
・裏方で音楽を作りたいクリエイター
これらの人々は職業として成立しづらい。

才能がどれほどあっても、“音を売れない世界”では食べていけないのだ。

しかしその一方で、音楽は“爆発的な進化”を遂げる

意外に思えるかもしれないが、著作権がない世界では「創造のスピード」は現実世界より速くなる可能性が高い。

1. サンプリング文化が大爆発する

著作権がないということは、どんな曲も、どんなフレーズも、どんなボーカルも、自由に切り貼りして再利用できるということである。ヒップホップ、エレクトロニカ、ダンスミュージック、アンビエント ── あらゆるジャンルが現代よりはるかに早く成立していただろう。「全部の音楽がレゴブロック化する」。そんな世界線である。

2. アレンジの文化が主流になる

作曲よりも、他人の曲をいかに改造するか。編曲者やリミキサーが現実世界以上に高い地位を得る。「オリジナル」という概念自体が弱まり、「誰の曲か」より「どのバージョンか」が重視される。ビートルズの曲も、ベートーヴェンの曲も、誰でも自由に加工できるため、音楽は無限の枝分かれを起こし続ける。

3. 音楽の“進化のスピード”が加速する

誰も独占できないということは、誰も失敗を恐れないということでもある。

・新しい音楽ジャンル
・奇抜な編成
・過激なノイズ
・荒唐無稽なコラージュ


これらがどんどん試され、淘汰され、また再利用される。著作権という“ブレーキ”がない世界では、音楽文化は異常なスピードで変化し続けたはずである。

レコード会社・配信サービス・音楽産業はどうなるのか?

著作権がないという前提は、音楽産業の存在意義そのものを崩壊させる。

レコード会社は「演奏家のマネジメント会社」になる

音源を売れないため、レコード会社は
・興行
・ライブ企画
・スポンサー営業
・アーティスト発掘
に特化した巨大マネジメント組織へ変貌する。音源制作は「ライブ集客のための広告」にすぎない。

Spotifyのような配信プラットフォームは…生まれない?

著作権がなければ、配信サービス自体が意味を失う。

・誰でも音源をアップできる
・誰でもダウンロードできる
・広告収入も権利者に戻せない

もしかすると、音楽配信は「巨大な無法地帯の掲示板」のような姿になっていたかもしれない。

ラジオとテレビは音楽を“無料の素材”として使い倒す

現実世界では使用料が掛かるため「音楽を流す=コスト」だが、この世界では完全無料。番組に好きなだけ音楽を貼り付けられるため、放送文化はさらに音楽依存になる。

インディーの逆襲:著作権がない方が強くなるアーティストたち

興味深いことに、著作権がない世界でも繁栄するタイプのアーティストがいる。

1. ライブ特化型のアーティスト

ライブが唯一の収入源である以上、
・圧倒的なパフォーマンス力
・カリスマ性
・人を集める魅力
があるアーティストは、むしろ現代より豊かに生きられる。

音源は宣伝であり、ファンコミュニティは財産である。

2. コミュニティ主導のアーティスト

著作権のない世界では、
「音楽はみんなで作る文化」
が主流になる。

・ファンが勝手にリミックス
・勝手に動画化
・勝手に歌詞を変える
・勝手にライブ録音を配布する

これらがすべてOKであり推奨される。アーティストは、最初の“種”をまけばあとは勝手に文化が育つ。バンドではなく“ムーブメント”を作る者が強くなる世界だ。

著作権がないことで“消えた名作”もあるかもしれない

一方で、著作権の存在は創作者を保護し、安心して創作に専念できる環境を作ってきた。もし報酬が得られない世界だったら ──

・クラシック作曲家の後期の大作は生まれなかった可能性
・映画音楽の進化は大幅に遅れていた
・スタジオを必要とする音楽(オーケストラ、実験音楽)は成立しづらい
・作曲家のキャリアモデルが崩壊する

つまり、著作権がない世界は「創造の自由が最大化される代わりに、巨大な作品は生まれにくい」というトレードオフ構造になる。

**文化は豊かだが、作曲家は貧しい

──“自由の代償”としての世界線。総合すると、著作権がない世界は音楽文化は爆発的に豊かになるが、作り手は現実世界以上に生存が厳しいという二面性を持つ。

・音楽の民主化
・コピー文化の拡大
・ジャンルの肥大化
・創造の無限拡張
といったポジティブな側面がある一方、

・大規模プロジェクトの消滅
・クリエイターの極貧化
・ビジネスモデルの欠如
といった深刻な課題を抱える。音楽が「公共財」として扱われる世界は、幸福と悲劇が紙一重なのである。

結論:著作権の存在は不自由を生むが、文化を守る装置でもある

著作権は面倒くさく、制限が多く、時に創造の障害になる。しかし、著作権がない世界は、より自由であると同時に、より不安定で、より残酷である。音楽は自由でありたい。けれど、自由のためには“持続”の仕組みが必要である。著作権とは、音楽文化が長く続くための安全装置であり、同時に創造の速度を調整するブレーキでもある。

音楽に著作権がなかった世界線は、きっと今とはまったく違う美しさを持っていただろう。かし、その美しさを支える作曲家たちは現実以上の苦難にさらされていたはずである。

だからこそ、著作権は不完全でありながらも、音楽の自由と持続を両立させるために存在している。妄想の世界線からそう結論づけることができるのである。

※本コラムは著者の妄想です。

Shin Kagawa:音楽の未来を自由に妄想し続ける、型破りな音楽ライター。AI作曲家による内省的なポップや、火星発のメロウ・ジャングルといった架空の音楽ジャンルに心を奪われ、現実逃避と未来の音楽シーンを行き来しながら執筆を続ける。幻想的なアイデアと現実のギャップを楽しむ日々の中で、好きな映画は『バードマン あるいは(無知がもたらす予期せぬ奇跡)』。

この記事が気に入ったら
フォローしてね!

  • URLをコピーしました!