[連載]JPOPと旅する:中島みゆきが描く札幌というまち

中島みゆきと札幌の原風景

中島みゆきはそれほど多くの「LocalSong」は残していないものの、「冬」「雪」などのシュチエーションの楽曲も多く、具体的な地名は述べられてはいないが、明らかに北海道が舞台になっているものは多い。なかには具体的な地名の入っている楽曲もあるが、北海道に限定すればその数は少ない。代表的な作品を挙げれば、アルバム『あ・り・が・と・う』(1977)収録の「店の名はライフ」、アルバム『愛していると言ってくれ』(1978)収録の「ミルク32」、アルバム『歌でしか言えない』(1991)収録の「南三条」「サッポロ・SNOWY」といったところだろうか。

もちろん他の地域を唄ったものもあるが、御存じのように彼女は北海道出身である。一般的には札幌で生まれ、5歳から11歳まで岩内、その後、帯広に移り中学、高校時代を過ごし、再び札幌で大学時代を送るということになっている。転居の数はさておき、紛れもなく幼少期から青春期までは北海道で日々を過ごしてきた。もうすっかり東京生活の方が長くなったに違いないが、やはり作品を通じて聴く限りは何処かに望郷の思いがあるのかもしれない。

https://www.fujijoshi.ac.jp/ より

楽曲に登場する札幌の場所

まず「店の名はライフ」「ミルク32」は北海道大学や彼女の出身校である藤女子大学の周辺の喫茶店である。この二作品は紛れもなく彼女の大学生時代がモチーフになっていると思われる。前者はすでになく、後者はまだ営業を続けている。そこに描かれているのは彼女が札幌に在住していた1970年代の風景である。まだ北海道大学の近隣に明確に学生街があった頃のことである。いつとはなしに全国にあった学生街も衰退の一途を辿っている。学生の生活行動の変化が大きく影響しているのだと思われるが、また大学の中の飲食店を始めとした施設が拡充したことも見逃せない。

喫茶「ミルク」(筆者撮影)

札幌という都市の変貌

札幌のまちも大きく変わった。現在は北海道新幹線の開業を待っての札幌駅周辺の再開発工事が進んでいるが、大通や狸小路界隈も相当、変化を見せている。ただ戦後の最初の本格的な変化は1972年に札幌オリンピックの時期だろう。1964年の東京オリンピックから1970年の大阪万博にかけて日本は右肩上がりの経済成長を遂げ、田中角栄が提唱した「日本列島改造論」によりバブルへの道をひた走ることになる。

ふきのとうの1975年のシングル曲に「初夏」という楽曲がある。そこには札幌オリンピックを契機に敷設された札幌市営地下鉄が登場している。政令市として一歩踏み出した札幌の日常の変化が垣間見える。歌詞の中に浮かび上がってくるのは、冬季オリンピックで変容してしまった札幌は政令市としてのインフラを手に入れた。しかしもちろん一部の市民は急速に発展する都市の姿に戸惑いを覚えたに違いない。そしてこのオリンピックに際しての都市開発はその後の更なる、急激な人口膨張を招き、いわゆる地域の社会資本の再編にも繋がっていく。

中島みゆきの「店の名はライフ」(1977)、「ミルク32」(1978)もそんな流れにある札幌が舞台になっている。「南三条」(1991)はそれから幾ばくか時間が流れたバブル期のあとということになるだろうか。この曲は「札幌」の南三条通り界隈を歌ったものである。1970年代、この界隈は雑居ビルの中にジャズ、ロック喫茶、ライブハウス、レコード店などが集積し、いわゆる若者の徘徊する地区だった。しかしその後、バブル期に地上げが起こり、今ではその頃の風景はほとんど残っていない。

南三条通り(筆者撮影)

昔、付き合っていた彼を奪った彼女と街角で出会う。しかし子供を背負った彼女は屈託なく彼とは間もなく別れたわと告げる。プロジェクト亜璃西編(1984)では南三条通の周辺をこう説明している。「1970年代(昭和45年~54年)に目を向けてみても、ジャズ喫茶、ロック喫茶など音楽を主体とした店を中心として、映画・演劇・文学関係者の溜り場など、様々なジャンルの喫茶店が百花繚乱とばかり巷に溢れていた。その空間は確実に街の文化を形成し、風俗をつくり、時にはその時代の証言者となり得てきたのだ」(プロジェクト亜璃西編著,1984,82)。

これは札幌に限ったことではなく、一定の人口規模を持つ都市はそういったストリートレベルで音楽を始めとするアート関連の装置を集積させ始めていた。東京でいえば新宿、渋谷、そして下北沢、吉祥寺、高円寺などである。建築物が作る、もしくはその中の区切られたスペースは都市空間を構成するレゴのブロックのようなものだ。換言すれば都市空間を作るための単位空間といえる。そこで人々はコミュニケーションを図り、情報を交換し人的ネットワークが築かれていく。

この曲はアルバム「歌でしか言えない」に収録されているが、やはり札幌をモチーフにした「サッポロSNOWY」も収録されている。やはり彼女は何らかの形で札幌に対する想いもあるのだろう。それはときには郷愁でもあり、批判でもあった。

札幌の未来と中島みゆきの視線

そしてバブル経済が現在に至る空白の30年を生んでしまったように、地方都市にも当時の爪あとがそこここに残っている。それは単なる政策上のボタンの掛け違いだったのだろうか。それともまたそうなるように前もって罠が仕掛けられていたのだろうか。札幌は変わってしまった。例えばこの「南三条」は一見、ラブソングに見えるが、その奥に中島みゆきの札幌への想いが見え隠れするように思える。都市は変わっていくものである。しかしもはやリアリティを求めて、中島みゆきの楽曲の中にある物語を辿ることは難しい。ただ単なるノスタルジアではなく、都市の変貌を個々に問い直してみる街の歩き方もまたあるに違いない。札幌はすでに190万人を超える大都市になっている。だが現実的にはやがて早晩、人口減少の途を辿ることは明らかである。

都市は拡大成長することだけが美徳なのだろうか。都市のアメニティというのは調和にある。都市の変化と住民の調和ということである。これから札幌は衰退の道筋をも考えていかなければならないだろう。しかし現実的には全くもってそういった議論を具体的に聞くことも少ない。もちろん従来的な再開発による経済効果に依然として依拠している事実は否定できない。

中島みゆきの楽曲を巡る旅はやはり冬がいいだろう。さすがに先述した場所は徒歩では廻れないが、地下鉄やバスなどの公共交通機関を利用しなければならない場所もあるが、ただその行為の中でひとつの街の様々な顔を見ることができるだろう。もちろんすでにそこにはないものも多いが、ただ札幌の冬の空気感は変わらない。吹き来る風は冷たいものの、だからこそ暖かいものを欲する北国生まれの性も多少は理解できるかもしれない。

増淵敏之:法政大学文学部地理学科教授、専門は文化地理学。コンテンツツーリズム学会会長、文化経済学会〈日本〉特別理事、希望郷いわて文化大使、岩手県文化芸術振興審議会委員、NPO氷室冴子青春文学賞特別顧問など公職多数。Yahooエキスパートコメンテーター。主な単著に2010年『物語を旅するひとびと』(彩流社)、『欲望の音楽』(法政大学出版局)、2012年『路地裏が文化を作る!』(青弓社)、2017年『おにぎりと日本人』(洋泉社)、2018年『ローカルコンテンツと地域再生』(水曜社)、2019年『湘南の誕生』(リットーミュージック)、2020年『伝説の「サロン」はいかにして生まれたのか』(イーストプレス)、2021年『白球の「物語」を巡る旅』(大月書店)、2023年『韓国コンテンツはなぜ世界を席巻するのか』、2025年「ビジネス教養としての日本文化コンテンツ講座」(徳間書店)など多数。1957年、札幌市生まれ、東京大学大学院総合文化研究科博士課程修了、学術博士。NTV映像センター、AIR-G’(FM北海道)、東芝EMI、ソニー・ミュージックエンタテインメントにおいて放送番組、音楽コンテンツの制作及び新人発掘等に従事。

この記事が気に入ったら
フォローしてね!

  • URLをコピーしました!