
はじめに
玉置浩二 ── その名を聞けば、日本の音楽界を代表する稀代のボーカリストを思い浮かべるだろう。ソロとして、あるいは安全地帯のフロントマンとして、彼が紡いできた楽曲は、多くのリスナーの心に深く刻まれてきた。だが、その豊かな表現力や独特のメロディセンスの源泉はどこにあるのか。その一つの鍵が、北海道・旭川という地にある。
玉置浩二は1958年、北海道旭川市で生まれた。旭川は、北海道のほぼ中央に位置する地方都市。美瑛や富良野といった雄大な自然を背景に持ち、冬には厳しい寒さと雪に閉ざされるこの街で、玉置は少年時代を過ごした。寒冷な気候と、そこに暮らす人々の温かさ ── このコントラストが、彼の音楽に通底する「温もり」と「切なさ」の両面を形成しているのかもしれない。
幼い頃から音楽に親しんだ玉置は、地元・旭川で同級生とバンド活動を始める。1973年、高校に在学中、仲間とともに結成されたのが、安全地帯の前身であるバンドで、その後、安全地帯の結成以後、「ミュージックファーマーズ」と名付けた合宿所で生活を送りながらプロを目指した。そして彼らは地元でのライブ活動を重ね、やがて上京。プロとして成功を収めた。

デビュー期での邂逅
筆者はかつて札幌のFM局に勤めていた。その局の開局が1981年だったので、安全地帯のデビュー曲「萌黄色のスナップ」以降、番組のゲストや特別番組の制作などで玉置本人には何度か会ったことがある。安全地帯の寡黙なステージと違って、ユーモアに富んだ理知的な話のできる人だったという記憶がある。
しかし「ワインレッドの心」のヒットによって彼らは一気にスターダムにのし上がり、「恋の予感」「悲しみにさよなら」などヒットを続け、日本のミュージックシーンを代表する存在になる。その後は残念ながらお会いしたことはない。ただ北海道出身のアーティストとしてのシンパシィは常に抱いてきたつもりだ。
玉置のその甘く繊細な歌声と、美しいメロディは瞬く間に全国を席巻したが、その原点はやはり旭川にある。広大な空、白銀の冬、そして孤独なほどに澄んだ空気。それらが彼の感性を育て、深い表現力を与えた。
玉置自身も、折に触れて旭川への思いを語っている。テレビ番組やインタビューで、「やっぱりふるさとって大事だな」と語ることもあれば、旭川を「自分を育ててくれた街」と表現することもある。
ただ玉置の作る楽曲には直接的な旭川への言及こそないが、間接的に旭川を想起させるものが幾つかあるように思う。
旭川というまち
旭川市は北海道のほぼ中央に位置し、明治期から軍都として発展を遂げた。1898年の市制施行と同年の函館本線延伸により交通の要衝となり、農産物や木材の集散地として商業が発展した。特に陸軍第七師団の設置は都市形成に大きな影響を与え、兵営や軍需施設、道路や上下水道など近代的な都市基盤が整備された。
終戦とともに第七師団は解散し、経済は一時停滞するも、駐屯地跡地は工場や住宅地、公共施設へと転用され、商工業都市として再生が進んだ。1952年には自衛隊駐屯地が再び置かれ、軍関係需要も一部回復。戦後は木材・紙パルプ産業や農産物集積機能を基盤に工業化が進み、人口も高度経済成長とともに増加し、北海道第二の都市として地位を確立した。
旭川には、戦前から「町井楽器」という老舗楽器店があった。1923年創業で、1997年に惜しくも倒産することになるのだが、この楽器店の常連として、アマチュア時代の安全地帯のメンバーがいた。町井楽器店でアルバイトするメンバーもいるなど、そのスタッフがバンドの面倒を見ていた。
また、1972年に創業したライブハウス「空想旅行館」は、数多くのアマチュアやプロのライブを企画し、アマチュア時代の安全地帯や数多くのバンドがここで演奏した。当時は東京以外のローカル都市においてもそれぞれのカルチャーの基盤形成があったことは予想に難くない。彼らの合宿所であった「ミュージックファーマーズ」跡地は現在、「ハーベストロードハウス」というフレンチレストラン兼結婚式場になっている。

旭川を想起させる作品
個人的に旭川時代を振り返るのは、玉置の代表作にもなっている「メロディー」(1996)だろう。多くの作品は松井五郎の作詞のものが大半だが、この作品は玉置本人の作詞である。この作品は、全体を通じて「失われた時間」への強い郷愁に貫かれている。かつての仲間たちと笑い合った日々に想いを馳せ、キーワードとして夕暮れ、静かな街の風景、ふと耳にする懐かしいメロディとなっている。
ちょうど安全地帯の活動が止まり、ソロ活動や俳優活動に軸足を置き始めていた頃に当たる。旭川は、冬は雪に閉ざされ、春や夏には広大な空と山並みが広がる土地。彼が育った1960年代~70年代の旭川は、今よりもずっと素朴で、空と風の匂いが強く残る時代だったはずだ。ここに誰しも彼の故郷としての旭川を想起せずにはいられないだろう。
また安全地帯の「あの頃へ」(1992)も同様のテーマ設定だ。冒頭から雪が降る遠い故郷が提示される。紛れもなく望郷ソングである。ただこの作品は作詞が松井五郎、玉置本人の手になるものではない。
玉置のソロ「田園」(1996)は玉置自身が主演したTBS木曜劇場『コーチ』の主題歌なので、ロケ地とされた銚子、旭菜音のイメージが強いが、歌詞を紐解くと都会ではなく、地方の情景が歌われていることから旭川を想起することも可能だろう。旭川周辺は北海道を代表する穀倉地帯のひとつでもあり、確かに田園幅径の広がる土地でもある。作詞は玉置本人と須藤晃の共作となっている。
そういえばデビュー曲「萌黄色のスナップ」(1982)も望郷ではないが、雪解けの水などに注目し、北海道特有の情景が歌詞世界に展開する。作詞は安全地帯と崎南海子とクレジットされている。ただ実際には元メンバーの武沢俊也の詞に崎が手を加えたものだという。この作品はヒットには程遠かったことにより、「幻」のデビュー作とされている。
「あなたがどこかで」(2022)は安全地帯としてリリースされた作品だ。作詞は松井五郎、この楽曲はNHK[みんなのうた](2022、6-7月)でも紹介され、旭川市からの要望で、市制施行100年記念曲に決定した。これを受けて同年8月1日以降、旭川市を中心に記念曲として様々な場所で本作が使用されることとなったとされる。ただ歌詞に具体的に旭川を想起させるフレーズはない。
またアルバム『安全地帯VII ~夢の都~』(1990)のラストを飾る同名曲「夢の都」も松井五郎の作詞だが、こちらの作品も旭川を思い描きながら、歌われた作品とされ、MVには旭川にほど近い大雪山連邦が登場している。

増淵敏之:法政大学文学部地理学科教授、専門は文化地理学。コンテンツツーリズム学会会長、文化経済学会〈日本〉特別理事、希望郷いわて文化大使、岩手県文化芸術振興審議会委員、NPO氷室冴子青春文学賞特別顧問など公職多数。Yahooエキスパートコメンテーター。主な単著に2010年『物語を旅するひとびと』(彩流社)、『欲望の音楽』(法政大学出版局)、2012年『路地裏が文化を作る!』(青弓社)、2017年『おにぎりと日本人』(洋泉社)、2018年『ローカルコンテンツと地域再生』(水曜社)、2019年『湘南の誕生』(リットーミュージック)、2020年『伝説の「サロン」はいかにして生まれたのか』(イーストプレス)、2021年『白球の「物語」を巡る旅』(大月書店)、2023年『韓国コンテンツはなぜ世界を席巻するのか』、2025年「ビジネス教養としての日本文化コンテンツ講座」(徳間書店)など多数。1957年、札幌市生まれ、東京大学大学院総合文化研究科博士課程修了、学術博士。NTV映像センター、AIR-G’(FM北海道)、東芝EMI、ソニー・ミュージックエンタテインメントにおいて放送番組、音楽コンテンツの制作及び新人発掘等に従事。







