[妄想コラム]終わらなかった革命──ビートルズ、もし続いていたなら

歴史の分岐点:1970年という終焉と出発

1970年4月。ポール・マッカートニーのソロ・アルバム『McCartney』発売に伴い、世界中のメディアが「ビートルズ解散」を報じた。すでに実質的にバンドは崩壊していたとはいえ、このニュースは20世紀音楽における最大級の衝撃であった。ジョン・レノンはヨーコ・オノとともに社会運動やアヴァンギャルドに傾き、ジョージ・ハリスンは『All Things Must Pass』で霊性とポップの融合を実現、リンゴ・スターは独自の軽快なポップスを歩み始めた。

しかし、もしここで分岐点が別の方向に進んでいたら? もし四人がもう少しだけ「一緒にいること」を選んでいたら? 音楽史はまるで違う姿をしていたかもしれない。本稿は、その「あり得たかもしれない」音楽の歴史を妄想し、壮大なIFの世界を描く試みである。

1971年──幻のアルバム『All Together Now』

まず想像できるのは、1971年前後に生まれていたであろう「第5のアルバム」である。解散がなければ、彼らはソロ曲の多くをビートルズ名義で発表していた可能性が高い。ジョンの「Imagine」、ジョージの「My Sweet Lord」、ポールの「Maybe I’m Amazed」、さらにはリンゴの「It Don’t Come Easy」。これらが一枚のアルバムに収録されていたなら、それは『Abbey Road』や『Sgt. Pepper’s』に匹敵する歴史的傑作になっていたに違いない。

アルバムのタイトルは仮に『All Together Now』。それは「再びひとつになる」という象徴的なメッセージを放ち、60年代に積み重ねた革命を70年代に持ち越す役割を果たしただろう。世界はなお、ビートルズを中心に回り続けていたはずである。

プログレッシブ・ロックとの邂逅

1970年代前半、音楽シーンを支配したのはプログレッシブ・ロックであった。ピンク・フロイド、イエス、キング・クリムゾン。彼らは複雑な構成と長大な楽曲でロックを芸術の領域へと押し上げた。

ビートルズが活動を続けていれば、当然この潮流に反応しただろう。ジョージは瞑想的サウンドを志向しており、ジョンはコンセプトの鋭さに惹かれるタイプであった。ポールはシンフォニックなポップに長けており、リンゴのドラムは意外にも変拍子に適応できる柔軟さを持つ。

想像するに、1974年ごろ、ビートルズは『Across the Universe Revisited』とでも題された大作を発表していたかもしれない。それは『The Dark Side of the Moon』のようなコンセプト性と、ビートルズ特有のメロディアスさを兼ね備えた作品であり、ロック史を再び塗り替えていた可能性が高い。

ファンク、ディスコとの接続

1970年代後半、ブラック・ミュージックの隆盛は避けられない。スティーヴィー・ワンダー、アース・ウィンド&ファイアー、さらにはディスコの波。もしビートルズが活動していたなら、彼らもまたこのグルーヴに身を投じたはずである。

特にポールのベースはファンキーであり、ジョンのカッティング・ギターはリズム重視のサウンドに適している。リンゴのドラミングはダンスフロア向けの直線的なビートを刻むことができ、ジョージはブルースやソウルへの愛情を隠さなかった。

こうして生まれたであろうビートルズの「ファンク期」は、スティーヴィーの『Songs in the Key of Life』(1976)と並び語られる歴史的瞬間となっただろう。

80年代──MTV時代のビートルズ

1980年代は映像の時代であった。MTVの誕生は音楽を「見る」文化に変えた。もしビートルズが健在なら、この波をどう受け止めただろうか。

実際、ポールは「Say Say Say」でマイケル・ジャクソンと共演し、ジョンもまた80年に『Double Fantasy』で新たな時代を迎えていた。ここにジョージとリンゴが加わり、ビートルズとしてMTV時代を迎えていたなら──彼らはおそらく最先端のビデオ作品を制作していただろう。

想像してみてほしい。「Strawberry Fields Forever」のプロモーション映像の延長線上に、デジタル技術を駆使した80年代のビートルズMVがある世界を。マイケルと共に「Thriller」に対抗するモンスター級の映像作品を打ち出していた可能性もある。

90年代──オルタナティブと再発見

1990年代、ロックの主役はオルタナティブ勢へと移る。ニルヴァーナ、レディオヘッド、オアシス。彼らはすべてビートルズの影響を公言していたが、もし本物のビートルズが解散せず90年代に活動していたら、影響関係はさらに直接的だったはずである。

オアシスが「ビートルズの後継者」を名乗る必要はなかったかもしれない。代わりに「ビートルズとの共演」が夢として語られていた可能性が高い。ジョンとカート・コバーンの対話、ポールとトム・ヨークのセッション──そんな未来があり得たのである。

21世紀──デジタル時代のビートルズ

そして2000年代以降。デジタル配信とSNSの時代に、ビートルズが生き延びていたらどうなったか。

おそらく彼らはアップル社(Apple Inc.)との運命的な関わりを持ち、iTunesやSpotifyの象徴的存在としてカタログを配信していたはずだ。さらにはAIやVR技術を取り入れ、ライブを「仮想空間」で行う先駆者となっていた可能性もある。

「ビートルズ・メタバース・ライブ」──これは決して夢物語ではない。ビートルズが続いていたなら、テクノロジーと音楽の結節点に立ち続けたに違いないのだ。

結論:ビートルズという「終わらない物語」

現実の歴史では1970年に解散したビートルズ。しかし「もし?」の世界では、彼らは70年代のプログレをリードし、80年代のMTV時代を彩り、90年代のオルタナと共鳴し、21世紀のデジタル社会を駆け抜けていた。

この妄想の旅が教えてくれるのは、ビートルズという存在が単なる一バンドではなく「音楽そのものの進化の象徴」であったという事実である。彼らの音楽はすでに永遠であり、解散した現実さえも、またひとつの「伝説」を形づくったにすぎない。

もし解散しなかった世界でも、やはりビートルズは世界を変えていただろう。そして我々はその未来を「妄想」という形で、いまもなお追いかけ続けているのである。

※本コラムは筆者の妄想です。

Shin Kagawa:音楽の未来を自由に妄想し続ける、型破りな音楽ライター。AI作曲家による内省的なポップや、火星発のメロウ・ジャングルといった架空の音楽ジャンルに心を奪われ、現実逃避と未来の音楽シーンを行き来しながら執筆を続ける。幻想的なアイデアと現実のギャップを楽しむ日々の中で、好きな映画は『バードマン あるいは(無知がもたらす予期せぬ奇跡)』。

この記事が気に入ったら
フォローしてね!

  • URLをコピーしました!