
はじめに:100年後に鳴る音を想像するという冒険
2125年 ── その世界で、ジャズはまだ“ジャズ”と呼ばれているのだろうか? あるいはもう、その言葉すら忘れられ、別の名前で進化を続けているのかもしれない。
ジャズは20世紀初頭にアメリカで生まれ、そこから100年以上のあいだ、世界中を旅しながら何度も変貌してきた。ディキシーランドからビバップ、フリージャズ、エレクトロニカとの融合まで ── ジャズの歴史とは、まさに「進化と拡散の連続」だった。
では、これからの100年は? テクノロジー、社会、身体、価値観。すべてが変わっていく未来で、ジャズは何を失い、何を得るのだろうか? これは、ひとつの妄想的考察である。
セッションするのは人間だけじゃない ── AIジャズと知性の拡張
すでに現在、AIは作曲や演奏の場面で使われ始めているが、100年後にはそれが完全に対等な「即興のパートナー」となっている可能性がある。ジャズにおいて即興は魂であり、身体性の象徴でもあるが、未来のAIは演奏者の過去のクセやその場の空気、観客の表情までも読み取り、リアルタイムで音を返してくる。
それはもはや「プログラムされた伴奏」ではなく、「対話する存在」としてのAIだ。ある未来のクラブでは、AIピアニストと人間ドラマーがビートをぶつけ合いながら、観客の脳波に合わせて曲のテンポが変化していく ── そんなライブが現実になっているかもしれない。

空間そのものが楽器に ── 建築音響としてのジャズ
2125年の音楽体験は、もはや“ステージの上”に限定されない。建築やインフラ、街そのものが楽器になり得る。壁が共鳴し、床がリズムを刻み、空間が即興的に変容する。つまり、ジャズは「空間を鳴らす芸術」へと進化する。
この時代のミュージシャンは、音だけでなく「素材」「反射」「気流」さえも計算に入れながら演奏する。ライブとは、建築と音楽が融合する“共感覚的儀式”になるのだ。
消えゆくジャンル、広がるマイクロカルチャー
未来の社会では、今よりもっと人々が細かい興味や価値観で分断されている可能性がある。その結果、音楽も“ジャンル”という枠から解放され、よりローカルで、よりパーソナルな音楽文化が点在するようになるだろう。
「火星で流行している低重力ジャズ」や、「アマゾン先住民の即興歌唱とディープ・エレクトロの融合」など、かつて“ジャズ”と呼ばれた精神が、地球規模(あるいは宇宙規模)で独自に進化していく。
その中では、「ジャズ」と名乗る必要すらなくなるかもしれない。ただ、そこにはやはり“今ここでしか生まれない何かを演奏する”という、ジャズの本質が脈打っている。
音は聴くものではなく、感じるものに
技術の進化によって、音楽体験は耳を通じたものから、より直接的な“身体感覚”へとシフトする可能性がある。脳に直接音を届けるインターフェースや、皮膚で振動を感じ取るウェアラブル装置により、音は五感の垣根を越えていく。
そのとき、即興演奏とは「思考の波形をリアルタイムで共有する行為」となるかもしれない。演奏者の脳内で鳴ったメロディが、そのまま観客の心にも響く ── そんな非言語的コミュニケーションが“ジャズ”の新しいかたちとして立ち上がる未来。

ジャズとは何か?── 答えのない問いを引き継いでいく
どれだけ時代が変わろうとも、ジャズがジャズであるために必要なのは、技術でも形式でもなく、“問い続ける姿勢”である。
誰かが演奏し、誰かが応答し、その場でしか生まれない音が空間を満たす。完璧ではない。だけど唯一無二。その瞬間の真実。100年後の世界でも、そのスピリットさえあれば、人々はきっとこう言うだろう。
「これが、ジャズなんだ」と。

Shin Kagawa:音楽の未来を自由に妄想し続ける、型破りな音楽ライター。AI作曲家による内省的なポップや、火星発のメロウ・ジャングルといった架空の音楽ジャンルに心を奪われ、現実逃避と未来の音楽シーンを行き来しながら執筆を続ける。幻想的なアイデアと現実のギャップを楽しむ日々の中で、好きな映画は『バードマン あるいは(無知がもたらす予期せぬ奇跡)』。