
「もし、江戸時代の鎖国がいまだに続いていたら?」
そんな突拍子もない仮定が、ふと頭をよぎった。西洋の音楽が一切入ってこないまま、独自の進化を遂げていく日本の音楽。その世界では、果たしてどんなサウンドが鳴り響いていたのだろうか。きっとそこには、私たちが想像もしていないような音楽文化と、美学にあふれた音楽シーンが存在していたに違いない。
邦楽がメインストリームになった世界
まず想像できるのは、邦楽が現代のポップスやヒップホップのような存在として、社会に深く根付いていたという未来だ。雅楽、能楽、浄瑠璃、民謡といった伝統音楽が、過去の遺産ではなく「今」を彩る音楽として日常に生きている世界。三味線のメロディラインに乗せて恋愛の機微を歌う“町娘ポップ”、鼓の軽快なリズムで踊る“踊念仏ダンス”など、伝統音楽が最先端の感性と結びつきながら独自の進化を遂げていたかもしれない。
テクノロジーの導入により、和楽器が単なるアコースティックな存在にとどまらず、エフェクターやサンプリング技術を用いた“和製エレクトロニカ”として生まれ変わっていた可能性もある。たとえば尺八の長いロングトーンに深いリバーブをかけたアンビエントトラック、三味線の一音を細かく切り刻み、ビートとして再構成したミニマルテクノ。鼓や笛のリズムを反復することで生まれる、江戸時代由来のループ文化 ━━ それはまさに、“Edo Underground”として世界の耳を魅了していたに違いない。
音楽の流通は“口伝”と“巻物”
現代のようにSpotifyやYouTubeが存在しない世界では、音楽の広がり方もまた大きく異なる。CDでもダウンロードでもなく、曲は「口伝え」や「写し絵」、さらには巻物に記された楽譜と詞によって全国へと広まっていく。人から人へ、耳から耳へと伝えられる音楽。それはまるで、原初的なライブ体験そのものだ。
芸者や門付け芸人、旅芸人たちが各地を回って新曲を披露し、噂が噂を呼んで人気曲が広まる。そのあり方は、今で言うところのSNSやストリートライブに近いかもしれない。誰かの口から生まれた節回しが、やがて別の土地でアレンジされ、新たなジャンルとして根づいていく ━━ そんなダイナミックな文化の広がり方は、むしろ現代よりも“リアルなヴァイラル”だったとも言えるだろう。

ご当地ジャンルと幻想的ナイトライフ
このような環境で発展した音楽シーンは、間違いなく地域性が極めて濃厚だったはずだ。藩ごとの文化や気質が音楽にも深く反映され、津軽では厳しい冬と強い即興性から生まれた津軽ミニマルテクノ、薩摩では武士の律儀さとリズム感を活かした薩摩トラップ、そして江戸の粋や色気が漂う江戸シティポップといった、強烈なローカルジャンルが全国に存在していたに違いない。
音楽フェスティバルも、今の「フジロック」や「サマーソニック」のようなものではなく、より風土や文化に根差したものだったはずだ。たとえば、満月の夜に月を愛でながら行う「月見レイヴ」、春の花見の季節に合わせた「百花フェス」、あるいは藩ごとに競い合う「御国別音曲合戦」など、想像するだけでワクワクするような音楽イベントが各地で開催されていたことだろう。
夜のエンターテインメントも独自に発展していたはずだ。寄席や茶屋が“お座敷クラブ”と化し、芸者DJが鼓のリズムで場を温める。尺八プレイヤーの即興演奏に合わせて踊る踊り子たち、灯籠に照らされた幻想的な空間で人々が一体となる ━━ そんなローカルでディープなナイトライフが、都市と農村、武家と町人、あらゆる立場の人々を結びつけていたかもしれない。
“鎖国音楽”が世界のスタンダードになる日
こうして想像を膨らませていくと、鎖国という制限があったからこそ、日本の音楽文化は内向きに、しかし極限まで研ぎ澄まされた独自の美意識を育てていた可能性に気づかされる。西洋音楽の理論や楽器が流入していないがゆえに、より身体感覚に根ざしたビートや、情緒豊かな旋律が重視されていたに違いない。
一見、ガラパゴス的に見えるこの音楽文化も、いずれ世界が注目する存在となっていたかもしれない。なぜなら、今の音楽シーンが求めているのは、まさに「どこにもない音」「そこにしかない感性」だからだ。そう、“江戸ポップ”こそが、世界の耳を虜にするスタンダードになっていた可能性すらあるのだ。
グローバル化が進んだ今だからこそ、こんな「もしも」の音楽文化を想像してみるのも面白い。閉ざされた島国だからこそ生まれた、豊かで多様な音の世界。その音楽は、きっと私たちの知らない“もう一つの日本”の物語を紡いでいる。

Shin Kagawa:100年後の音楽シーンを勝手気ままに妄想し続ける妄想系音楽ライター。AI作曲家の内省ポップや、火星発メロウ・ジャングルなど架空ジャンルに情熱を燃やす。現実逃避と未来妄想の境界で踊る日々。好きな映画は『バードマン あるいは(無知がもたらす予期せぬ奇跡)』。