[音の地球儀]第4回──ナヴァホのチャントと太鼓:砂漠に響く声の儀式

民族音楽は、その土地の暮らしや風土、信仰、歴史を音に刻み込んだ、人類の“声”である。電子音が世界を席巻する今もなお、世界各地には太鼓や笛、声と手拍子だけで継承されてきた音楽文化が息づいている。この連載では、アフリカのサバンナからアジアの山岳地帯、南米の密林から極北のツンドラ地帯まで、世界中の知られざる民族音楽を訪ね歩く。単なる紹介にとどまらず、その背景にある文化や物語にも光を当て、音楽を通じて世界をより深く知る旅へと誘う。音の地球儀を、いま一緒に回しはじめよう。

アメリカ南西部、赤い岩山と荒野に囲まれたナヴァホ・ネイション。その静謐な空気を震わせるのは、太鼓の低い響きと、地を這うように唱えられるチャント(詠唱)である。先住民の音楽は、旋律というより祈りであり、リズムというより時間のしるしである。今回の「音の地球儀」では、ナヴァホ族を中心とした北米先住民の音楽世界へ足を踏み入れる。コンサートホールの外に広がる音の宇宙、土地と霊性が結びついた歌のかたちを、過去と現在を往復しながら探っていく。

広大な沈黙の中で──ナヴァホ音楽との出会い

アメリカ先住民の音楽に初めて触れたとき、その「余白」に驚かされる。日本の伝統音楽やブルガリアのポリフォニーが“音の密度”で圧倒するのに対し、ナヴァホのチャントは空間の使い方が違う。単音の反復、語りと歌のあいだのような声、低くうねる太鼓。旋律は極めて限定され、言葉とリズムが一体化している。

ナヴァホ族の音楽の多くは儀式に用いられる。雨乞いや病気治癒、通過儀礼など、目的のあるチャント(歌)が1000曲以上伝承されており、そのすべてが物語・精霊・自然との対話を含んでいる。つまり、音楽は“芸術”というよりも“治癒と秩序のための装置”なのだ。

音楽=儀式=宇宙論

ナヴァホにおける音楽とは、宇宙の秩序を再現するための行為である。例えば、最も有名な儀礼である「ナイトウェイ」は、数日にわたり続けられる治癒の儀式で、特定のチャントとサンドペインティング(砂絵)、舞踊、薬草などが一体となって行われる。この中で歌われるチャントは、病を取り除き、調和(hózhó)を取り戻すための重要な手段である。

チャントは一見単調に聞こえるが、反復される声の中には物語が込められている。聴覚的な意味だけでなく、歌の構造や抑揚、言葉の選び方すらも、神話世界を再演する方法なのだ。メロディと詩は一体となり、「言葉」が「音」になって空間を満たす。それは、音楽というより言霊(ことだま)である。

太鼓と声のダイアローグ

多くのナヴァホ音楽において中心となる楽器は、バッファローの皮で作られたフレームドラム(大きな片面太鼓)である。この太鼓は、心音のように一定のビートを刻むことで、聴く者の意識を内側へと導く。そのリズムは単純でありながら深く、声と対話するように交互に鳴らされる。

ナヴァホのチャントでは、言葉の区切りや強調もこの太鼓に合わせて決まる。言い換えれば、打音が言葉にリズムを与え、音の意味を際立たせるのだ。これはグリオの語りやブルガリアの持続音とは異なり、言葉と打楽が同等に役割を担う構造である。

また近年では、伝統的チャントとモダンなパウワウスタイルの融合も見られる。例えば、ナカイによるネイティブ・フルート演奏や、R. カルロス・ナカイ・カルテットのようなユニットは、ドローンとドラム、チャントを組み合わせた音風景を創出している。

記録されない音、記録された音

ナヴァホ音楽の最大の特徴は、その多くが「録音・撮影不可」であるという点だ。神聖なチャントや儀礼の多くは、外部の人間には非公開であり、演奏者自身も許可なく記録することはできない。このため、現在我々がYouTubeやCDで聴けるナヴァホ音楽の多くは、日常的・娯楽的な歌に限られる。

だが一部には、伝統を尊重しつつも外部公開を許可した音源も存在する。たとえばSmithsonian Folkwaysの『Navajo Songs from Canyon de Chelly』は、ナヴァホの聖地で収録された合唱とドラムの記録であり、ナヴァホ自身の監修によって編集されている。特に〈Yeibichai Chant Song〉などは、声とリズム、空間の一体感を感じさせる名演だ。

また、近年では若手ナヴァホのミュージシャンによるリバイバルも進んでおり、ヒップホップやエレクトロニカにチャントをサンプリングした例も現れている。こうした新たな波は、伝統を壊すのではなく、次世代の記憶装置として機能しているのだ。

近代と交錯する声

ナヴァホ音楽は、他の先住民文化と同じく、19世紀末以降に欧米の植民地主義・キリスト教化政策によって大きな打撃を受けた。寄宿学校では母語と伝統歌の使用が禁じられ、歌い手の多くが声を失った。しかし、20世紀後半から権利回復運動が進む中で、チャントは再び共同体の中心へと戻りつつある。

現在では、パウワウと呼ばれる公開祭礼や、ネイティブ・アメリカン・ミュージック・アワードなどを通じて、先住民の若手アーティストが活動を広げている。伝統楽器とデジタルサウンドを組み合わせた新たな音楽実践は、ブルガリアの若手合唱や西アフリカのエレクトロ・グリオと同様、“過去と今”をつなぐ架け橋となっている。

また、坂本龍一やブライアン・イーノ、デッド・カン・ダンスなどがこのような音楽から影響を受けた事実は、現代音楽における“沈黙と打音”の設計思想に、ナヴァホの音風景が密かに息づいていることを示している。

結び──声が大地に帰るとき

ナヴァホの音楽は、広大な沈黙と反復の中に在る。そのチャントは自己表現ではなく、共同体と祖先、自然との調和を取り戻すための“儀式”である。響きは一過性だが、そこに込められた物語と祈りは、聴く者の身体と空間に染み込んでいく。

次回、音の地球儀が示すのはどんな土地だろうか。声、打音、物語──音楽が世界を記憶する方法は、まだまだ数えきれないほど存在している。

Jiro Soundwave:ジャンルレス化が進む現代音楽シーンにあえて一石を投じる、異端の音楽ライター。ジャンルという「物差し」を手に、音の輪郭を描き直すことを信条とする。90年代レイヴと民族音楽に深い愛着を持ち、月に一度の中古レコード店巡礼を欠かさない。励ましのお便りは、どうぞ郵便で編集部まで──音と言葉をめぐる往復書簡を、今日も心待ちにしている。

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