[妄想コラム]もしブルースが生まれなかったなら ── ブラックミュージック不在の音楽世界地図

「もしブルースが生まれなかったなら」 ── この短い仮定から始まる想像は、音楽史という巨大な地層を根こそぎ変えてしまう。なぜなら、ブルースはブラックミュージックの母体であり、同時に現代音楽の根源そのものだからだ。では、ブラックミュージックが存在しなかったら、我々はどんな音楽を聴いていたのだろう?ヒップホップも、ジャズも、R&Bも、ソウルも、ロックンロールでさえ存在しない世界を想像してみよう。

第1章:ジャズなき20世紀

20世紀初頭、ニューオーリンズの路上でスウィングが響き渡ることはなかった。クラシック音楽の形式美を逸脱する即興性、ブルーノート、ポリリズム ── それらは存在すらせず、音楽は依然としてヨーロッパの白い塔の中に閉じ込められていたはずだ。

ジャズがなければ、当然ながらモダンジャズも、フリージャズも、エレクトリック・ジャズも生まれない。ジョン・コルトレーンも、セロニアス・モンクも、マイルス・デイヴィスも存在しない。アメリカの音楽大学ではバッハとベートーヴェンが変わらず最高の教材として鎮座し、”自由”や”表現”といった価値観は、音楽の中で育たなかったかもしれない。

第2章:ロックンロールなき反逆

エルヴィス・プレスリーは「キング・オブ・ロックンロール」と呼ばれたが、彼の背後にはリトル・リチャードやチャック・ベリー、マディ・ウォーターズといったブラック・アーティストたちの存在があった。ロックンロールは、ブルースとゴスペルの子どもであり、それが1950年代のアメリカに炸裂したのだ。

では、その種が撒かれなかったらどうか?1960年代のロンドンにいた若者たち、すなわちザ・ローリング・ストーンズやビートルズも、アメリカ南部のブルースに憧れることはなかった。反逆のリズムは存在せず、白人の若者たちは依然として民謡や舞踏音楽に甘んじていたかもしれない。

結果として、1960年代のカウンターカルチャーも生まれなかった可能性が高い。音楽は政治的プロテストの道具ではなく、ただの娯楽に留まっていたのではないか。

第3章:ヒップホップ不在の都市

1970年代のブロンクスに、ターンテーブルとマイクを武器にした若者たちの姿はなかった。クール・ハークも、グランドマスター・フラッシュも、パブリック・エナミーも、N.W.Aもこの世に存在しない。ストリートから生まれた「声」は、別の形でしか立ち上がれなかった。

この世界では、若者文化の中心にあるはずだったリズムも、言葉のラップも消え去っている。ヒップホップがなければ、ファッションも、ダンスも、言語も、これほど多様でアグレッシブな進化は遂げなかっただろう。さらに、デジタル以降の音楽テクノロジー ── サンプリングやループ文化も、商業音楽にここまで浸透することはなかったかもしれない。

つまり、Spotifyで聴けるあらゆるジャンルが、今とはまるで違う姿をしていたのだ。

第4章:クラブミュージックの夜が来ない

シカゴでハウスが生まれず、デトロイトでテクノが育たなければ、クラブカルチャーそのものが立ち上がらなかったかもしれない。ブラックLGBTQコミュニティが築いたダンスフロアは、白人資本のEDMにはなり得ない独自の「聖地」であった。

これが存在しなければ、ヨーロッパでのレイヴ文化やアンダーグラウンドなパーティも根本から変わっていた。ベルリンのベルクハインも、イビザの白い砂浜も、きっと違う音で鳴っていたはずだ。リズムではなく、より旋律に寄った、冷たい機械的なミュージックが主流を占めた可能性もある。

ブラックミュージックの持つ「反復と身体性」は、実は現代のダンスミュージック全体の礎だったのだ。

第5章:ポップの中心が空白になる

マイケル・ジャクソンがムーンウォークする姿はなかった。ビヨンセもリアーナも存在せず、テイラー・スウィフトやアリアナ・グランデのサウンドも違うものになっていただろう。なぜなら、現代のポップはブラックミュージックの文法──リズムの配置、グルーヴ、ボーカルのフレージング──を徹底的に借用しているからだ。

K-POPでさえも、アフリカン・ディアスポラの影響を受けたR&Bやヒップホップを模倣して成長してきた。つまり、ブラックミュージック不在のポップ・シーンは、きっと今よりずっと平坦で、驚きの少ないものだっただろう。

第6章:音楽とは何か、が変わっていた

ブラックミュージックは単なるジャンルではない。それは「声なきものが声を持つ」ための装置であり、「痛みを踊りに変える」ための知恵であり、「不均衡な社会に対する問い」である。音楽は、音の美しさ以上の意味を持つことを、ブラックミュージックが私たちに教えてくれた。

だからこそ、それが存在しなかった世界は──ただ静かで、整っていて、つまらない。ルールを守る音楽だけが支配する時代に、私たちは果たして心から震えることができただろうか。

エピローグ:感謝と共鳴の先に

今、あなたが聴いているあらゆる音楽の中に、ブラックミュージックの痕跡はある。それはコード進行に、ベースラインに、ドラムの打ち込み方に、声の揺れ方に、すでに刻まれている。つまり、ブラックミュージックが存在しなかった世界を想像することは、同時に私たちがどれだけ多くを享受しているかに気づく行為でもある。

この空想が、無数の音楽的レイヤーの背後にある「誰かの叫び」への共鳴につながるなら ── それこそが音楽の力なのだと思う。

Shin Kagawa:音楽の未来を自由に妄想し続ける、型破りな音楽ライター。AI作曲家による内省的なポップや、火星発のメロウ・ジャングルといった架空の音楽ジャンルに心を奪われ、現実逃避と未来の音楽シーンを行き来しながら執筆を続ける。幻想的なアイデアと現実のギャップを楽しむ日々の中で、好きな映画は『バードマン あるいは(無知がもたらす予期せぬ奇跡)』。

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