[妄想コラム]ギターなき世界、音楽はどこへ向かったか?

ギターがない世界。たったそれだけで、音楽の地図はまったく違う形に描かれていただろう。指先で弾くもの、かき鳴らすもの、歪ませるもの ── その存在がなかったとしたら? さあ、奇妙な音楽世界の扉を開けよう。

弦が6本ない世界

まず当然ながら、音楽の“弾き語り”というスタイルは、今とはまったく違ったものになった。ピアノで歌う者たちはいただろう。ハープを携えて歩く吟遊詩人もいただろう。でも、あのギター特有の手軽さ ── 抱きかかえて、どこでも鳴らせるあの感じは、この世界には存在しない。


つまり、音楽はもっと「演奏家のもの」であり、「日常のもの」ではなかったかもしれない。音楽を持ち運ぶために、別の軽量楽器(たとえば新種のポータブルハープ)が発展していたかもしれない。

ブルースはどうなった?

ギターの存在がなければ、ブルースはまったく違った進化を遂げていただろう。デルタ地帯の黒人たちは、手にした楽器で魂を叫びたかった。もしギターがなければ、彼らはもっとパーカッシヴな方向へと向かっていたかもしれない。ブルースは弦の音楽ではなく、太鼓と声の音楽になった。リズムが主役となり、ラップやヒップホップのような表現形態が、より早い段階から発展していたかもしれないのだ。

ロックンロールは生まれたのか?

エルヴィス・プレスリーは、ギターを持たなかったかもしれない。ビートルズも、ジミ・ヘンドリックスも、エディ・ヴァン・ヘイレンも、もちろん存在しない。ロックンロールは、“ギターリフ”なしでどう生まれたのか?


おそらく、ドラムとベースがもっと前に出る形で、“リズムロック”とでもいうべきジャンルが勃興しただろう。重たいリズムとシャウトが支配する、超アグレッシブな世界。エレクトリック・ドラムとディストーションベースこそがスターの楽器になったに違いない。

ポップスの主役は“別の楽器”に

ギターがないポップミュージック ── そこでは、何が中心だったのだろうか? ピアノ? シンセサイザー? あるいは、コードをひとりで操れる別種の電子楽器が開発され、もっと早くから“ポケットシンセ”文化が花開いていたかもしれない。ポップスターたちはギターソロではなく、シンセリフで喝采を浴びる。80年代のエレポップ黄金期は、20年早く到来していたかもしれないのだ。

エレクトロニック・フォーク革命

フォークミュージックも、ギターなしでは大きく違った。木製のアコースティックギターがなく、かわりに簡易シンセサイザーやミニチュアピアノが普及したと仮定すると、エレクトロニック・フォークなるジャンルが生まれていた可能性が高い。ボブ・ディランはギターではなく、手のひらサイズの電子オルガンを抱えて「Blowin’ in the Wind」を歌ったかもしれない。アンプラグド? いや、むしろ、最初からプラグド(電子化)だったのだ。

それでも人は“かき鳴らす”

それでも思う。人はきっと、「かき鳴らしたい」という欲求を捨てきれなかったはずだ。だから、ギターがなかったとしても、誰かが必ず“かき鳴らせる”楽器を作った。弦ではなく、もしかしたら、無数のゴムバンドを張った打楽器かもしれない。
あるいは、風を震わせる新種の「叩き型ホルン」かもしれない。人は音を鳴らし、リズムを打ち、心をかき鳴らす存在だ。
ギターがなくても、音楽はきっと、別の姿で燃え上がっていた。

ギターのない世界、それは、リズムと電子音と叫びが支配する、ワイルドでエモーショナルな音楽宇宙だったかもしれない。ギターよありがとう。そして、ギターなしでも、音楽はやっぱり、止まらない。

Shin Kagawa:音楽の未来を自由に妄想し続ける、型破りな音楽ライター。AI作曲家による内省的なポップや、火星発のメロウ・ジャングルといった架空の音楽ジャンルに心を奪われ、現実逃避と未来の音楽シーンを行き来しながら執筆を続ける。幻想的なアイデアと現実のギャップを楽しむ日々の中で、好きな映画は『バードマン あるいは(無知がもたらす予期せぬ奇跡)』。

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