
人類は「話す存在」である以前に、「踊る存在」であったのではないか。この逆転した仮説は、音楽の起源を考えるうえで決定的な意味を持つ。言語が思考を形づくったのではなく、リズムが身体を揺らし、身体の揺れが意味を呼び寄せ、やがて言葉が生まれた ── 本稿では、その妄想的かつ根源的なプロセスを辿っていく。
読み進める前に、以下の楽曲を“伴奏”として勧めたい。
言葉より先に、身体はすでに語っていた
人類学は長らく「言語の獲得」を人間進化の中心に据えてきた。だが、想像してみてほしい。言葉を持たない原始人が、突然「意味のある発話」を始める光景を。それはあまりに飛躍が大きく、不自然である。
一方で、身体を動かすこと ── 歩く、走る、跳ねる、叩く ── これらは、言語以前にすでに可能だった。むしろ、生命体として最初に獲得するのは運動能力であり、身体のリズムである。心拍、呼吸、歩行。そのすべてが周期を持ち、すでに“リズム的”である。
つまり、原始人は考える前に揺れていた。揺れはやがて集団化し、集団の揺れは同期を生み、同期は「同じである」という感覚を生んだ。この感覚こそが、後に“意味”と呼ばれるものの原型だったのではないか。
焚き火の周りで生まれた、最初のビート
夜。火。闇。原始の人類にとって、焚き火は唯一の安全地帯であり、視界と時間を共有するための装置だった。火を囲むという行為そのものが、空間と意識を円環状に結びつける。そして、この円の中で、人類は最初のビートを刻んだ。
薪が爆ぜる音。石が擦れる音。骨や木を打ち合わせる音。足踏み。手拍子。それらは偶然の産物でありながら、次第に反復され、強調され、期待されるようになる。ここで初めて「リズム」が生まれる。
重要なのは、これらの音が娯楽ではなく、生存と直結していた点である。ビートは集団を落ち着かせ、恐怖を共有し、外敵への警戒を高め、仲間の存在を確認するための“合図”だった。つまり、最初の音楽は、機能であり、儀式であり、共同体そのものだった。
この反復するグルーヴは、都市以前、言語以前の集団的身体を想起させる。
踊りは意味を必要としなかった
踊るという行為に、説明は不要である。踊りは意味を持たないが、意味を生む。ここに、言語との決定的な違いがある。言語は意味を固定するが、踊りは意味を流動させる。
原始人が集団で踊るとき、そこには「正解の解釈」は存在しない。ただ、同じリズムを共有するという事実だけがある。この共有体験こそが、後に「私たち」という概念へと進化したのではないか。
踊りは、誰がリーダーかを決め、誰が仲間かを見極め、誰が外部かを区別するための装置でもあった。言葉を交わさずとも、身体の動き、呼吸の速さ、足運びの強弱によって、無数の情報が伝達される。
この段階では、言語はむしろ邪魔だったはずだ。踊りの最中に、立ち止まって説明する必要はない。身体がすでに語っているからである。
掛け声は、リズムの副産物として生まれた
やがて、リズムに“声”が混じるようになる。だが、それは文章でも単語でもない。「ヘイ」「オウ」「アー」といった、意味を持たない発声である。これは言語ではなく、リズムの延長線上にある“打楽器”としての声だ。
声は息であり、息は生命である。集団で声を発することは、集団が生きていることの証明であり、存在の誇示でもあった。こうした掛け声が、やがて特定の動作や状況と結びつき、意味を帯び始める。
狩りの前の叫び。勝利の歓声。死者を悼む唸り。ここで初めて、音は“指し示す”機能を獲得する。だが、それでも言語はまだ完全には成立していない。あくまで、リズムが主であり、意味は従であった。
この楽曲におけるスキャットやシャウトは、言語以前の声の記憶を呼び覚ます。
言語は「踊れなくなった人類」のための技術である
決定的な転換点は、人類が定住し、身体を激しく動かさなくなった瞬間に訪れる。農耕、階層、分業。共同体が巨大化し、全員で同じリズムを共有することが難しくなると、身体による同期は機能不全に陥る。
そこで必要になったのが、言語である。言語は、踊らなくても共有できるリズムであり、身体を動かさずに意味を伝達するための“代替装置”だったのではないか。
この視点に立てば、言語は進化ではなく、妥協の産物である。踊れなくなった人類が、失われた同期を補うために発明した技術。それが言語であり、文字であり、制度であった。
しかし、音楽と踊りは消えなかった。それらは儀式、祝祭、戦争、宗教の中に生き残り、言語では到達できない領域を担い続けた。
クラブで踊る私たちは、原始に回帰している
現代のクラブ空間を思い浮かべてほしい。暗闇。低音。反復。集団。汗。同期する身体。言葉は最小限で、コミュニケーションの大部分は視線と動きによって行われる。
これは進歩ではない。回帰である。我々は週末になると、意識的に言語を脱ぎ捨て、原始的なリズム共同体へと戻っていく。なぜなら、そこにこそ人類の深層的な安定があるからだ。
この反復するビートは、焚き火の周りで刻まれた最初のリズムの直系の子孫である。
リズムが先で、意味は後からやってきた
結論は明快である。人類は話しながら踊り始めたのではない。踊りながら、あとから言葉を拾い集めたのである。
音楽は、言語の祖先であり、身体の記憶であり、人類がまだ分断される前の“共通の時間”だった。次回は、人類以前にさらに遡り、動物たちが奏でてきた音楽 ── 「人類以前のオーケストラ」へと話を進めていく。
※本コラムは筆者の妄想です。

Shin Kagawa:音楽の未来を自由に妄想し続ける、型破りな音楽ライター。AI作曲家による内省的なポップや、火星発のメロウ・ジャングルといった架空の音楽ジャンルに心を奪われ、現実逃避と未来の音楽シーンを行き来しながら執筆を続ける。幻想的なアイデアと現実のギャップを楽しむ日々の中で、好きな映画は『バードマン あるいは(無知がもたらす予期せぬ奇跡)』。








