[連載]JPOPと旅する:NSPの楽曲と岩手県―青春の聖地巡礼記

一関に息づく原風景と青春の出発点

フォークグループNSP(ニュー・サディスティック・ピンク)の物語は、岩手県一関市から始まる。1951年に生まれた天野滋は、この町で少年期から青年期を過ごした。小さな町の商店街、磐井川の土手、遠くに見える山並み。そうした風景は、彼の感性を育み、のちに日本のフォーク史に刻まれる歌の数々を生み出す原点となった。

一関駅を降り、町を歩くと、昭和40年代の面影を今に残す建物や路地に出会う。天野が学生時代に通ったとされる通学路は、春には桜が咲き、夏には草の匂いが立ち込め、秋には夕焼けが町を染めた。こうした四季折々の光景は、彼の感性を豊かにし、のちに「夕暮れ時はさびしそう」へと結実したと考えられる。

磐井川沿いの堤防は、ファンにとって必ず訪れたい聖地のひとつである。夕暮れに川面が黄金色に染まる光景は、まさに歌詞の「さびしそう」な情景を目の前に再現してくれる。天野が抱いた郷愁と孤独、そして青春の切なさは、この土地の空気そのものから立ち上がっている。

一関の小さな商店街を歩けば、当時の友人たちと語り合ったであろう喫茶店や文具店の跡が残っている。現代的な建物に変わった場所もあるが、歩いていると不思議と昭和の香りが蘇ってくる。聖地巡礼の意義、まさにこうした「時間の層」を感じ取るところにあるのだ。

北上川と四季の情景

岩手県を縦断する北上川は、NSPの楽曲世界を語るうえで欠かせない存在である。直接的に「北上川」を歌詞に記した曲はないが、その流れのゆったりとした時間感覚や、時に荒々しく氾濫する力強さは、彼らの音楽に通底する。

「雨は似合わない」という曲には、川沿いを歩く恋人たちの姿が想起される。傘を差しながら、土手を歩き、川面に雨粒が広がる。その情景はまさに北上川の水辺に立つことで実感できる。都会的な表現に見えて、実際の風景は地方都市特有の静けさを伴う。さらに、岩手の四季は彼らの歌詞に色濃く刻まれている。冬の厳しさは「冬がのぞいている」に象徴される。凍てつく空気の中で感じる孤独は、盛岡や一関の冬を体験すればすぐに理解できる。

春の到来を告げる「春一番」は、雪解けとともに訪れる生命の息吹を歌っている。北上展勝地の桜並木を歩けば、歌詞に込められた高揚感が心を満たす。

夏の夕暮れは「夕暮れ時はさびしそう」の世界そのものだ。日が落ちるにつれ、街のざわめきが消え、淡い寂しさが広がっていく。

秋は「赤い糸の伝説」に表れるように、恋と別れの物語を包み込む季節である。紅葉に染まる渓谷を歩けば、その深い哀愁が胸に迫る。

岩手を訪れる巡礼者にとって、季節ごとに異なる風景を重ねることで、NSPの楽曲の多層的な魅力を味わうことができる。

北上展勝地の桜並木

聖地巡礼の実践 ── 音楽と風景の融合

NSPの聖地巡礼を行う醍醐味は、音楽を聴きながら風景と重ね合わせる体験にある。

北上川の堤防を歩きながら「さようなら」を耳にすれば、川面の光と歌詞の切なさがひとつになる。一関の商店街を抜けて夕暮れの空を見上げれば、「夕暮れ時はさびしそう」の情景が自分自身の体験として蘇ってくる。

さらに、大東町の農村風景に足を運べば、都市的に洗練されたフォークソングの奥底に流れる土の匂いを感じ取れるだろう。畑の匂い、遠くの山並み、虫の音。これらは一見すると歌詞に登場しないが、天野滋の心の底に流れ続けた原風景である。

また、巡礼のもう一つの実践は「人との出会い」である。岩手を訪れると、地元の人々がNSPの思い出を語ってくれることがある。「あの頃、県民会館で見たよ」「ラジオでよく流れていたよ」といった何気ない言葉が、楽曲に新しい命を吹き込む。巡礼は土地と人との対話を通じて完成するのだ。

また盛岡ではIBC(岩手放送)の番組ディレクターが、地元アーティストの発掘や支援に尽力していた。NSPもその支援を受け、IBCの番組に出演する機会が増え、地元での知名度を高めることができた。あんべも同様だが、岩手のラジオ局は地元出身のアーティストを大事にしてきた。これは1970〜80年代、福岡のKBC(九州朝日放送)、札幌のSTV(札幌テレビ)のラジオなどもそういう地元志向が強かった。IBCもひとつの聖地といえるのかもしれない。

岩手に残るNSPの心と未来への継承

2005年、天野滋が54歳の若さで急逝した。その後も岩手の地では、彼を偲ぶイベントやトリビュートライブが続いている。墓所は公表されていないが、一関や盛岡にはファンが集い、ギターを手に歌をつなぐ姿が見られる。聖地巡礼は、単なる観光ではなく、アーティストを追悼し、記憶を受け継ぐ営みでもある。

なおNSPのメモリアルなものとしては、2019年から「夕暮れ時はさびしそう」が東北新幹線一ノ関駅で発車メロディーに使用されている。また2019年7月1日に「夕暮れ時はさびしそう」の舞台となった磐井川堤防に「N.S.Pメモリアルスポット」が設置された。

近年、「聖地巡礼」はアニメやドラマを中心に観光資源として注目されているが、NSPと岩手の関係はそれに先駆けて成立していた。盛岡や一関を訪れる人々にとって、NSPは地域文化を象徴する存在である。もし観光ルートの中に「NSPゆかりの地」を組み込めば、往年のファンだけでなく、新しい世代の音楽好きも呼び込めるだろう。

岩手には宮沢賢治や石川啄木といった文学遺産がある。その系譜にNSPを並べることで、文学と音楽の二重の巡礼ルートを築くことができるはずだ。音楽は時代を超えて響く。NSPの歌は、青春を追体験したいと願うすべての人々に寄り添う力を持ち続けている。

結局のところ、聖地巡礼とは、自分自身の青春をもう一度歩き直す行為にほかならない。一関の川辺、北上川の流れ。そこに立てば、かつての自分と、今の自分とが出会う瞬間が訪れるだろう。岩手の風景は今日も変わらずそこにあり、NSPを聴く者を静かに迎えている。

増淵敏之:法政大学文学部地理学科教授、専門は文化地理学。コンテンツツーリズム学会会長、文化経済学会〈日本〉特別理事、希望郷いわて文化大使、岩手県文化芸術振興審議会委員、NPO氷室冴子青春文学賞特別顧問など公職多数。Yahooエキスパートコメンテーター。主な単著に2010年『物語を旅するひとびと』(彩流社)、『欲望の音楽』(法政大学出版局)、2012年『路地裏が文化を作る!』(青弓社)、2017年『おにぎりと日本人』(洋泉社)、2018年『ローカルコンテンツと地域再生』(水曜社)、2019年『湘南の誕生』(リットーミュージック)、2020年『伝説の「サロン」はいかにして生まれたのか』(イーストプレス)、2021年『白球の「物語」を巡る旅』(大月書店)、2023年『韓国コンテンツはなぜ世界を席巻するのか』、2025年「ビジネス教養としての日本文化コンテンツ講座」(徳間書店)など多数。1957年、札幌市生まれ、東京大学大学院総合文化研究科博士課程修了、学術博士。NTV映像センター、AIR-G’(FM北海道)、東芝EMI、ソニー・ミュージックエンタテインメントにおいて放送番組、音楽コンテンツの制作及び新人発掘等に従事。

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