
序章:ヒップホップのいない惑星で、音楽はどこへ向かったのか
「もしもヒップホップが世界的にならなかったら?」という問いは、単なるジャンルの不在を想像する以上の意味を持つ。なぜならヒップホップは、音楽の作り方そのもの──サンプリング、ループ構造、ラップ、クラブ文化、ストリートの価値観、DIY精神──を根底からひっくり返した歴史的大転換であったからだ。
このジャンルが世界を席巻しなかったとしたら、現代のポップミュージックはまったく異なる進化を辿っていた。私たちが当たり前のように耳にする808の低音、トラップのハイハット、サンプリングの断片美学、MC文化…それらが存在しない世界を妄想すると、そこには驚くほど「均質」で「保守的」な音楽風景が浮かび上がる。
本稿では、その“if”の世界を壮大に描く。ロックバンドがいまだに世界の音楽シーンを支配し、クラブでは生演奏のフュージョンが鳴り響き、現代の若者はギターソロでカタルシスを得ているような世界線を──。
参考に、まず本来の世界線の象徴となる曲を挙げておきたい。
これらの存在が「なかった」世界を、いまから覗いてみよう。
ロックバンドが“永遠の王者”として君臨する世界
ヒップホップが普及しなかった世界では、1970年代から続くロックバンド文化が王者として居座り続けている。
1980年代に入ってもブレイクダンスはただのアンダーグラウンドな奇芸として消え、ラップは地域に閉じた言葉遊びのまま商業カルチャーに昇格しない。ニューヨークのレコード店ではサンプリング用のブレイクビーツを探す若者は存在せず、代わりにギタリストが延々とソロを練習している。
1990年代、現実世界ではN.W.Aやア・トライブ・コールド・クエストが新たな価値観を提示したが、この世界線では彼らの影響は消滅。音楽テレビ番組は依然としてバンドのプロモーションで埋め尽くされ、トップチャートにはギター、ベース、ドラム、ボーカルという“黄金編成”が並ぶ。
U2、ニルヴァーナ、レディオヘッドクラスのバンドが「続々と新たな後継者を生み続ける」という、ある意味では幸福だが停滞感の濃い時代が続いていく。
サンプリング文化の誕生は“局地的現象”に留まる
ヒップホップがポップカルチャーにならなかった世界では、サンプリングは「実験音楽家の特殊技法」として細々と扱われる。
ニューヨークのブロンクスでも、サンプリングを好む者は現実世界より遥かに少なく、クラブDJは依然として“つなぎ”の技術を誇り、レコードを切り刻むことに犯罪的な後ろめたさを感じている。
この世界でクリエイターたちはMPCを“楽器”として扱う文化を持たず、AKAIの名機は大ヒットを生まない。
むしろ、ローランドのギターシンセやヤマハの高級ワークステーションの方が“未来のサウンド”として持てはやされる。つまり、「打ち込み音楽の革新」はギター主体のミュージシャンが握ったままなのだ。
クラブシーンはフュージョン黄金期の延長線を走り続ける
ヒップホップがクラブの価値観を刷新しなかった場合、ニューヨークのクラブ文化はきわめて洗練された大人向けエンターテインメントに変質する。
構図として近いのは、ジョージ・ベンソンやウェザーリポートが支配していた1970年代後半のフュージョン黄金期だ。クラブでは生演奏ユニットがずっと主流であり、打ち込みのダンスミュージックが大衆化することはない。
その結果、以下のような音楽史が描かれる。
- 1990年代、ハウスは“知識人向けの音楽”として細々と存続
- テクノはクラシック現代音楽の一亜種として扱われる
- 大規模EDMフェスは生まれない
- DJよりもサックス奏者の方がギャラが高い
そして、当然ながらカルヴィン・ハリスもスクリレックスも表舞台には登場しない。EDMアンセムのような巨大なビルド&ドロップ構造は生まれず、ダンスミュージックは「演奏美学」の中に閉じ込められる。
“ビートメイキング”という概念が存在しない世界
ヒップホップの革命とは、“ビートを作る”という行為に対する価値観を完全に変えた点にある。本来の世界では、JディラやDJプレミア 、ネプチューンズ、ティンバランドなどの存在が音楽史を激変させた。しかし、この世界線では彼らの才能は開花しない。
- Jディラのドラムは語られない
- ティンバランドの未来的ビートは存在しない
- カニエ・ウェストのサンプル芸術も生まれてこない
作曲とは依然として「ギターを持つ」「ピアノに向かう」というスタイルが主流で、ビート制作はオーケストレーションの一部としてしか扱われない。
“A beat maker”という職業は誕生せず、若者たちはギターや鍵盤を練習し、バンドの一員となることを夢見る。個人制作による“Bedroom Producer”文化はまったく広がらず、音楽制作は依然としてスタジオに集まる職人的な行為として続く。
ポップミュージックはギターとメロディ中心に進化する
ヒップホップ不在の世界でポップミュージックがどう変わるか。結論を言えば、“現代ポップの多様性”はほぼ失われる。現実世界でオートチューンがTペインやカニエ経由でメインストリームに爆発したが、それも起こらない。ドラムパターンはシンプルな8ビートが続き、ベースラインもルート音を行き来する古典形式が守られ続ける。
そのため、2020年代のチャートは以下のような特徴を持つ。
- ギターロックが依然として最強
- シンガーソングライターが大量にデビュー
- バンドサウンドを補強するためのストリングスアレンジが主流
- ボーカルはラップではなく歌唱力勝負
- ハーモニー重視のポップスが多い
現実世界でオリヴィア・ロドリゴがパンクをルネサンスさせたような瞬間はあっても、ザ・ウィークエンドやドレイクのような“ビート主体のポップスター”は存在しない。
トラップは誕生せず、若者は“ギターソロ”に憧れる
当然ながら、アトランタのトラップ文化は芽吹かない。
- 808のバウンス
- 分割されたハイハットロール
- 暗いミニマルビート
- アウトローヒップホップの世界観
これらはすべて消失する。代わりに若者たちが熱狂するのは、ギターの速弾きだ。SNSでは“最速のライトハンド奏法”を競い、音楽コンテストではギターの技巧がトップ項目になる。もはやロックの“第二黄金期”である。
参考曲としては、この世界線では以下のようなものが支持されているだろう。
ストリートカルチャーは未発達のまま、ファッションも変わる
ヒップホップが世界的な社会現象にならなければ、ストリートファッションも現在ほどの影響力を持たない。
- ワイドパンツ文化が育たない
- スニーカーシーンの爆発が起きない
- SupremeもNike SBも“高級趣味枠”で終わる
- フリースタイル文化は日本でも広まらない
若者文化はより“バンドマン的美学”に沿って進化し、「黒スキニー+ブーツ」が2020年代になっても中心的スタイルとなる。
音楽配信プラットフォームも別の進化を遂げる
SpotifyやApple Musicのアルゴリズムは、現実世界ではヒップホップの普及とともに“ビート中心のレコメンド”へと傾いた。しかしこの世界では、アルゴリズムも異なる進化を見せる。
- 歌唱力、コード進行、ギターリフといった属性で分類
- BPMの幅が狭いため、穏やかなプレイリストが多い
- “Lo-fi Beats”の文化が生まれない
- 夜のドライブはバラード中心
これは、現実世界におけるChillhopやLo-fi Hip Hopのような“作業用音楽”ムーブメントがそもそも起きないためだ。

結語:ヒップホップの存在は、音楽の「自由度」を変えた
ヒップホップが世界的にならなかった世界線では、音楽文化は驚くほど保守的で、均質で、階級的なものになっていた。しかし現実世界では、サンプリングもビートメイキングもラップも、すべてが“素人”の手に渡ったことで大衆文化の革命が起きた。ヒップホップが作ったのは音楽ジャンルではなく、「誰もがクリエイターになれる世界」である。
だからこそ、現実の私たちはこう言える。ヒップホップは単に世界的になったのではなく、人類の音楽そのものを解放したのだ──と。
※本コラムは著者の妄想です。

Shin Kagawa:音楽の未来を自由に妄想し続ける、型破りな音楽ライター。AI作曲家による内省的なポップや、火星発のメロウ・ジャングルといった架空の音楽ジャンルに心を奪われ、現実逃避と未来の音楽シーンを行き来しながら執筆を続ける。幻想的なアイデアと現実のギャップを楽しむ日々の中で、好きな映画は『バードマン あるいは(無知がもたらす予期せぬ奇跡)』。








