
ブルースの源流にあるもの
私たちが知っているポピュラー音楽の多くは、一本の川のように、ひとつの源流から枝分かれしている。R&B、ロックンロール、ヒップホップ、そしてジャズ。これらのジャンルを遡っていくと、必ずといっていいほど、あるひとつの原点にたどり着く。それが、アメリカ南部の黒人労働者たちが紡ぎ出したブルースである。
では、問いを立ててみよう。もしアフリカからの奴隷貿易がなかったとしたら、ブルースは生まれなかったのか?
苦難の記憶と音楽のうねり
この仮定は、一見して当然のように思える。実際、ブルースの成立は、19世紀末のアメリカ南部における黒人労働者階級の生活と密接に結びついている。奴隷制度のもとに連れてこられたアフリカ系の人々は、過酷な労働と差別のなかで生き延びる術として、音楽を使って感情を共有し、記憶を繋ぎ、希望を歌った。
その記憶の連なりが、フィールド・ハラーやスピリチュアル、ワークソングとして形を取り、やがてブルースへと姿を変えたのだ。
「ブルース」は痛みの代名詞なのか?
しかし、だからといって、「奴隷貿易がなければブルースは存在しなかった」と言い切ってしまうのは、やや短絡的かもしれない。この問いにはもっと深い構造的な問題が隠されている。
たとえば、もしアフリカとヨーロッパ、アメリカの文化的交流が、武力や搾取を介さず、平等な交易や協働を通じて行われていたとしたら──。アフリカのリズムや旋律、スピリチュアルな音楽観が、西洋の楽理や宗教音楽と異なる形で融合し、全く別の“ブラック・アメリカン・ミュージック”が成立していた可能性は十分にある。
ブルースの魂は別の形でも生まれたかもしれない
ブルースが生まれたのは、「痛み」という共通項が、社会構造の底辺に押し込められた人々に共有されていたからである。だとすれば、たとえ奴隷制度という形での暴力が存在しなかったとしても、別の形で疎外された人々が、音楽を通して自己を表現する道を模索していたのではないだろうか。
ブルースとは違うかたちかもしれないが、“魂のうた”はきっと生まれていた。
音楽は状況の中で育つ
ブルースはアメリカで生まれたものの、その後世界中に波及し、各地で土着の解釈を受けながら進化を遂げていった。イギリスのロックバンドにとってのブルースは、もはや文化的に“輸入された神話”のようなものであり、社会背景は違っても、そのエッセンスを自らの怒りや焦燥に接続することで、新たな表現へと昇華している。
仮に奴隷貿易が存在しなかった世界でも、人類が持つ「音で語りたい」という根源的な欲望がある限り、ブルースに似たものは、きっとどこかで誕生していたはずだ。
ブルースは「今」も響いている
とはいえ、現実の歴史において、ブルースは確かに、奴隷制という過酷な現実から芽生えた音楽であり、その事実を消すことはできない。だからこそ、私たちはブルースを聴くとき、単なる古い音楽としてではなく、「生き延びるための声」として耳を傾けるべきなのかもしれない。
そしてその声は、今もさまざまな形で鳴り響いている。ヒップホップのライムの中にも、ソウルのシャウトにも、あるいは静かなアンビエントの中にも、あの“ブルーな感覚”は息づいている。たとえ名前が変わっても、ブルースの魂は、音楽の中に生き続けているのだ。

Shin Kagawa:音楽の未来を自由に妄想し続ける、型破りな音楽ライター。AI作曲家による内省的なポップや、火星発のメロウ・ジャングルといった架空の音楽ジャンルに心を奪われ、現実逃避と未来の音楽シーンを行き来しながら執筆を続ける。幻想的なアイデアと現実のギャップを楽しむ日々の中で、好きな映画は『バードマン あるいは(無知がもたらす予期せぬ奇跡)』。