[音の地球儀]第22回 ── スペインの深層:アンダルシアとフラメンコの原像

民族音楽は、その土地の暮らしや風土、信仰、歴史を音に刻み込んだ、人類の“声”である。電子音が世界を席巻する今もなお、世界各地には太鼓や笛、声と手拍子だけで継承されてきた音楽文化が息づいている。この連載では、アフリカのサバンナからアジアの山岳地帯、南米の密林から極北のツンドラ地帯まで、世界中の知られざる民族音楽を訪ね歩く。単なる紹介にとどまらず、その背景にある文化や物語にも光を当て、音楽を通じて世界をより深く知る旅へと誘う。音の地球儀を、いま一緒に回しはじめよう。

灼熱の太陽、白い石壁、オリーブの畑 ── スペイン南部アンダルシア地方の風景には、どこか異国の気配が漂う。その音楽、フラメンコもまた、西洋音楽の枠に収まりきらない情念と技の奔流であり、ジプシー(ロマ)やムーア人、ユダヤ人の記憶が重なり合った多層的な文化の遺産である。ギターが哭き、カンテ(歌)が魂を叫び、足が床を叩く ── 今回はフラメンコの起源と現在をたどり、その深層に響く声に耳を傾ける。

アンダルシアの歴史層と音の堆積

アンダルシアは、地中海と大西洋の境に位置するヨーロッパの端、しかし歴史的には”文明の交差点”であった。紀元前にはフェニキア人が港町を築き、ローマ帝国が支配した後、8世紀から15世紀にかけてはイスラーム勢力によるアル・アンダルスの時代が続いた。

この地に根づいた音楽文化もまた、多民族の交錯が生んだ奇跡と言える。アラブ音楽の旋法(マカーム)やリズム、ユダヤのラディーノ音楽、さらにはインドをルーツに持つロマ(ジプシー)たちの声と踊りが、アンダルシアの風土と融合していったと考えられている。その結晶が、18世紀後半から19世紀にかけて形を整え始めた”フラメンコ”である。

カンテ ── 叫びとしての歌

フラメンコの中心は、ギターでも踊りでもなく「カンテ(cante)」と呼ばれる歌にある。カンテは、単なる旋律ではない。それは叫び、祈り、怒り、そして生の肯定だ。

特に重厚なスタイルである「カンテ・ホンド(cante jondo)」は、“深い歌”の名の通り、人間の根源的な感情を絞り出すような声で歌われる。無伴奏で始まり、叫ぶようなヴィブラートと微細な装飾音が交錯する。

歌詞にはしばしば、苦難、流浪、死、そして不屈の魂が描かれる。たとえばこんな一節──

Ay, que pena tan grande,
que me muero por tu querer…

「嗚呼、なんという深い悲しみだ、あなたの愛のために私は死にそうだ」

これはロマ的なメランコリー、アンダルシア的な詩心、そしてアラブ・アンダルース的な装飾音が溶け合った、音と言葉の芸術である。

トケ ── ギターが語るもの

フラメンコ・ギター(トケ)は、単なる伴奏を超えた表現手段である。打楽器的に弦を叩き、指を高速で動かす「ピカード」、爪でかき鳴らす「ラスゲアード」、柔らかなトレモロやグリッサンドなど、多彩な技法が生み出すのは、まるで語るような音。

現代フラメンコ・ギターの革命児、パコ・デ・ルシアはジャズやクラシックの要素を大胆に取り入れ、トケの可能性を広げた。伝統と革新の間でギターは揺れ、歌に寄り添い、踊りに火をつける。

バイレ ── 身体で刻むリズムと感情

バイレ(踊り)は、フラメンコの感情を“身体”に託す表現だ。女性舞踊の優美さと強靭さ、男性舞踊の緊張感と爆発力。床を打つ靴音(サパテアード)、手のひらの打音(パルマス)、そして手のひらの螺旋運動──すべてが即興であり、声とギターとの“対話”である。

バイレは視覚的であると同時に、リズムを生み出す“打楽器”でもある。踊り手の身体全体が楽器となり、場の空気を変容させる。

フラメンコと現代 ── 再生する伝統

21世紀のフラメンコは、国境を越え、ジャンルを横断しながら生まれ変わっている。ジャズやエレクトロニカとの融合、ヒップホップのリズムとの邂逅、ロックとの交差──フラメンコは時に“語り直される”ことで生命を保つ。

若手アーティストのロサリア(Rosalía)は、フラメンコの発声技法とトラップビートを融合させ、世界的な注目を集めた。その試みは賛否を呼びつつも、「伝統とは、変化し続ける記憶である」ことを示している。

失われた声と取り戻す声 ── 周縁の人々と記憶の音楽

フラメンコは、ロマ、ムスリム、ユダヤ人など歴史的に抑圧され、辺境とされた人々の“声”を内包する音楽である。スペイン内戦やフランコ政権下では、フラメンコが国家主義的な象徴に変質した時代もあった。

しかし現在、女性フラメンコ歌手たちによるフェミニズム的な再解釈や、ロマ・コミュニティからの視点で語られる“もう一つの歴史”が注目されている。

また、アンダルシアに残るアラブ・アンダルース音楽やセファルディ(ユダヤ系スペイン人)音楽との再接続も進んでおり、フラメンコは“多声的な記憶の場”として再び響き始めている。

結び ── 声が残す風景、床が記憶する歴史

フラメンコはスペインの音楽ではあるが、それ以上に“周縁の音”であり、“記憶の表現”である。歌うこと、叩くこと、語ること、叫ぶこと──それらはすべて、失われたものを取り戻す行為であり、音楽を通じて人間が“生きる”ことそのものだ。

アンダルシアの乾いた空気に震えるように鳴るカンテの声は、どの国にも属さず、どの時代にも完全に回収されない。だからこそ、それは今も私たちの胸を打つ──あまりに激しく、あまりに美しく。

Sera H.:時代を越える音楽案内人/都市と田舎、過去と未来、東洋と西洋。そのあわいにいることを好む音楽ライター。クラシック音楽を軸にしながら、フィールド録音やアーカイブ、ZINE制作など多様な文脈で活動を展開。書くときは、なるべく誰でもない存在になるよう心がけている。名義の“H”が何の頭文字かは、誰も知らない。

この記事が気に入ったら
フォローしてね!

  • URLをコピーしました!