[音の地球儀]第19回 ── 音の王国:タイ北部ラーンナー文化の宮廷音楽と民間芸能

民族音楽は、その土地の暮らしや風土、信仰、歴史を音に刻み込んだ、人類の“声”である。電子音が世界を席巻する今もなお、世界各地には太鼓や笛、声と手拍子だけで継承されてきた音楽文化が息づいている。この連載では、アフリカのサバンナからアジアの山岳地帯、南米の密林から極北のツンドラ地帯まで、世界中の知られざる民族音楽を訪ね歩く。単なる紹介にとどまらず、その背景にある文化や物語にも光を当て、音楽を通じて世界をより深く知る旅へと誘う。音の地球儀を、いま一緒に回しはじめよう。

タイ北部、山岳と霧に包まれたチェンマイやラムプーンに広がるラーンナー王国の旧領地。ここには、スコータイやアユタヤとも異なる、独自の音楽文化が息づいている。優美な弦の調べ、銅鑼のような低く重厚な打音、舞とともに綴られる仏教的時間。今回は、王朝の残響と村の息遣いが交差する、ラーンナー音楽の世界を旅してみよう。

山岳王国に鳴る、ラーンナーの調べ

13世紀、ラーンナー王朝が興った北タイの地には、タイ・カダイ系の人々に加えて、ビルマ、モン、クメール、さらには雲南からの影響を受けた多民族が暮らしていた。こうした文化の交差点では、音楽も多層的に発展した。

宮廷では管楽器や打楽器を中心としたアンサンブルが発展し、竹笛、銅鑼系打楽器、太鼓、シンバルなどが組み合わされた。中央タイの宮廷音楽とは編成も響きも異なり、より柔らかく瞑想的な音を特徴とする。

ガムランの記憶と、金属のうねり

ラーンナー音楽の音響構造には、ジャワ・バリのガムラン音楽との共通性を指摘する研究者も多い。たとえば、音律の選択、輪唱的構造、音の余韻の扱い方などにおいて、インドネシアや雲南を含む「金属の音楽帯」との連関が見える。

ゴングの音がゆったりと打ち鳴らされ、その間を縫うように笛が即興的に装飾を重ねていく ── それは”拍”ではなく”呼吸”の音楽であり、時間そのものを柔らかくたゆたわせる力を持つ。

民の音楽 ── 語りと歌の世界

宮廷音楽とは別に、庶民の間では語り歌や民謡が発達した。竹笛や弦楽器ソー(二胡に似た擦弦楽器)を伴奏に、即興的に歌が紡がれる伝統がある。

これらは結婚式や収穫祭などで披露され、内容は恋愛、風刺、村の伝承まで多岐にわたる。即興性の高さと観客との対話性から、”口承詩の音楽化”とも言えるだろう。

仏教儀礼と音楽の役割

ラーンナー文化において音楽は、娯楽にとどまらず、仏教儀礼に欠かせない要素でもある。寺院での読経や儀式の場では、専用のアンサンブルが結界を形成し、声と打楽器で”空間を清める”という音響的役割を果たす。

また、月夜に催される仏教行事では、村人が楽器とともに踊りながら寺に詣でる。ここでは音楽が、信仰と共同体を結ぶ実践そのものとして機能している。

若者文化と伝統音楽の交差点

近年、ラーンナーの伝統音楽は、都市部の若者文化と融合しはじめている。たとえば、チェンマイ大学の学生たちによる「エスニック・ヒップホップ」や、伝統音楽と電子音楽を融合させた実験的プロジェクトなどが登場。

ラーンナー語(北タイ語)のラップや、伝統楽器とエレクトロニクスの組み合わせは、”伝統は静的なものではない”という認識を広げている。これは、音楽が過去を記憶するだけでなく、未来をもデザインしうる力を持つことを示している。

結び ── 時間とともに鳴る、王国の残響

ラーンナー音楽は、特定のメロディーやリズムにとどまらず、「時間そのものの質感」を響かせる。宮廷の礼儀作法、農村の歌、寺院の儀礼、若者の反骨 ── それらすべてに、柔らかくも芯のある音が息づいている。

風に揺れる竹の音、銅鑼の余韻、語りの節回し。タイ北部に残されたこの音の王国は、今もなお、過去と現在、神聖と世俗、人と自然の境界を越えた場所で、生きて鳴っている。国は、今もなお、過去と現在、神聖と世俗、人と自然の境界を越えた場所で、生きて鳴っている。

Jiro Soundwave:ジャンルレス化が進む現代音楽シーンにあえて一石を投じる、異端の音楽ライター。ジャンルという「物差し」を手に、音の輪郭を描き直すことを信条とする。90年代レイヴと民族音楽に深い愛着を持ち、月に一度の中古レコード店巡礼を欠かさない。励ましのお便りは、どうぞ郵便で編集部まで──音と言葉をめぐる往復書簡を、今日も心待ちにしている。

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