[音の地球儀]第17回 ── 雲南のうた:周縁に宿る100の声と旋律

民族音楽は、その土地の暮らしや風土、信仰、歴史を音に刻み込んだ、人類の“声”である。電子音が世界を席巻する今もなお、世界各地には太鼓や笛、声と手拍子だけで継承されてきた音楽文化が息づいている。この連載では、アフリカのサバンナからアジアの山岳地帯、南米の密林から極北のツンドラ地帯まで、世界中の知られざる民族音楽を訪ね歩く。単なる紹介にとどまらず、その背景にある文化や物語にも光を当て、音楽を通じて世界をより深く知る旅へと誘う。音の地球儀を、いま一緒に回しはじめよう。

中国雲南省 ── それは「多民族」という言葉を音にしたような土地である。チベット、ビルマ、ラオス、ベトナムと接するこの地域には、公式に認定されただけでも25以上の少数民族が暮らし、それぞれに異なる言語、宗教、衣装、そして“音”の文化を持っている。旋律が螺旋を描き、声が重なり、踊りと祈りが一体化する音楽たち。今回は「漢民族の周縁」に息づく、もうひとつの中国 ── 雲南の歌声をたどる旅へ出よう。

周縁の複声 ── ミャオ族とイ族のポリフォニー

ミャオ族(苗族)とイ族(彝族)は、雲南を代表する少数民族である。彼らの音楽には、西洋の音楽理論では測れない旋律構造と、独自の複声(ポリフォニー)文化が根付いている。

たとえばミャオ族の「大歌(Da Ge)」は、旋律が上下に折り重なり、音程よりも「気の流れ」のようなものを重視する。対旋律がぶつかり合うのではなく、並走するように重なるその歌声は、山間の地形や自然環境とも密接に結びついている。

一方イ族は、主に男性が低音で持続音を響かせ、その上に高音の旋律を重ねる「コール&ドローン」的な唱法を持つ。このスタイルはグルジアやバルカン半島のポリフォニーとも共鳴する不思議さがある。

鼻笛と口琴 ── 身体と風の楽器

雲南の楽器文化は、声に劣らずユニークである。中でも注目されるのが、ラフ族やプーラン族の若者たちが用いる「鼻笛(bixia)」と「口琴(kouqin)」である。

鼻笛は、文字通り鼻息で吹く管楽器。恋の歌や求愛の際に用いられ、繊細で内向的な音色が特徴である。鼻から息を吹きながら、手の動きで音程を調整するその様子は、まるで“呼吸で語る”かのようだ。

また口琴は、金属または竹製の弁を口の中で震わせることで音を出す。こちらも個人的な表現に使われ、恋人や家族への思いを、言葉にならない音で伝える。

声と踊りの循環──チワン族とトン族の祭祀音楽

雲南では、歌が単独で存在することは少ない。多くの民族にとって、歌は踊りや儀式と一体のものである。特にチワン族やトン族(侗族)の音楽は「声と身体の循環性」に特徴がある。

トン族には「大合唱(Da Hechang)」と呼ばれる伝統があり、文字を持たない彼らが歴史や神話を伝える手段でもあった。合唱は世代間で自然に引き継がれ、祭祀や婚礼、収穫祭などで必ず披露される。

この大合唱の構成にはソプラノ・アルト・テノール・バスのような役割分担があり、都市の合唱団のような洗練を感じさせつつも、どこまでも土地と密接に根ざしている。

漢民族の影に──抑圧と復興のあいだ

1950年代以降の中華人民共和国成立とともに、漢民族中心の国家政策が進むなかで、多くの少数民族音楽は“国家民謡”という形で標準化された。衣装や楽器も「見栄えの良いもの」に置き換えられ、都市向けにアレンジされたショーとして扱われることも多かった。

だが近年、雲南の若者や音楽研究者の間では「伝統の再発見」が静かに進んでいる。村に残る高齢の歌い手からフィールド録音を行い、言語や旋律構造ごと記録する試み。スマートフォンで鼻笛を録音・共有するZ世代。音楽は“化石”ではなく、なお呼吸するものとして、今も再生の途上にある。

現代の響き──都市と民族音楽の交差点

雲南省の省都・昆明では、少数民族出身のアーティストたちが自らのルーツを再構築する音楽活動を展開している。特に注目されるのが、少数民族の旋律や楽器を取り入れたアンビエント、エレクトロニカ、あるいはロックとの融合である。

イ族出身の作曲家He Xuntian(何訓田)は、伝統的声楽法をもとにした現代音楽で国際的評価を得ており、その作品には「声の地層」とでも言うべき雲南の多層性が息づいている。

またインディーズ・バンド「山人楽隊(Shanren)」は、雲南各地の民謡をベースにしたエネルギッシュなロックを展開し、若い世代に“民族性”の新しい意味を問い直している。

結び──声が重なる場所としての雲南

雲南の音楽とは、単なる“民謡”ではない。それは声が声を呼び、民族が民族を抱擁する「音の複数形」である。

文字を持たなかった文化が、音によって記憶を刻む。儀式が歌になり、恋が笛になり、身体が楽器になる。雲南の音楽とは、生きるための声、生きていたことの痕跡──つまり「うた」である。

その旋律を耳にしたとき、私たちは思うだろう。「この世界には、まだ知らない音の記憶が、こんなにもあるのだ」と。

Sera H.:時代を越える音楽案内人/都市と田舎、過去と未来、東洋と西洋。そのあわいにいることを好む音楽ライター。クラシック音楽を軸にしながら、フィールド録音やアーカイブ、ZINE制作など多様な文脈で活動を展開。書くときは、なるべく誰でもない存在になるよう心がけている。名義の“H”が何の頭文字かは、誰も知らない。

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