[音の地球儀]第16回 ── サーミ:氷原に響くヨイクの声

民族音楽は、その土地の暮らしや風土、信仰、歴史を音に刻み込んだ、人類の“声”である。電子音が世界を席巻する今もなお、世界各地には太鼓や笛、声と手拍子だけで継承されてきた音楽文化が息づいている。この連載では、アフリカのサバンナからアジアの山岳地帯、南米の密林から極北のツンドラ地帯まで、世界中の知られざる民族音楽を訪ね歩く。単なる紹介にとどまらず、その背景にある文化や物語にも光を当て、音楽を通じて世界をより深く知る旅へと誘う。音の地球儀を、いま一緒に回しはじめよう。

北欧の氷原ラップランドに生きる先住民族サーミ。その歌 ── ヨイク(Joik)は、旋律でも詩でもない。「誰か」を想い、「何か」を呼び起こす“声の肖像画”である。風、トナカイ、祖先、恋人。記録よりも記憶に残るヨイクは、北極圏に生きる人々の精神世界と自然観を映し出す。現代のサーミアーティストたちは、ヨイクの魂を伝統の枠を超えて紡ぎなおす。本稿では、北の民の声をたどりながら、氷の大地に鳴り響く「音の魂」に耳を澄ませたい。

氷原に生きる人びと ── サーミの歴史的背景

ヨーロッパの最北部に位置するラップランド地域 ── ノルウェー、スウェーデン、フィンランド、ロシアのコラ半島にまたがるこの一帯には、数千年のあいだサーミと呼ばれる人々が暮らしてきた。彼らの生活は、トナカイ遊牧や漁労、狩猟に根ざした循環的なもので、過酷な自然環境との共生によって形成された文化である。

しかし、19世紀から20世紀初頭にかけて、近代国家による同化政策が進むなかで、サーミ語の使用は禁止され、民族衣装やヨイクの実演も抑圧の対象となった。とりわけヨイクは「異教的」として長らく排斥され、サーミの精神文化に深刻な傷を残した。

それでも彼らは歌い続けた。ヨイクは声の中に祖先の足音を宿し、風の音を写し、存在そのものを語る表現だった。文字を持たなかったサーミにとって、それは言葉以上に世界を記録し、記憶する手段であった。

ヨイクとは何か ── 歌と語りのあいだ

「ヨイク」は、サーミ語で“表現する”という動詞から派生した言葉である。しかし、それは通常の歌とは異なる。ヨイクは、対象を「説明する」のではなく「呼び起こす」音楽である。ある人物、ある動物、ある風景 ── それらが目の前に存在するかのように描き出す。

旋律は短く、繰り返されることが多い。リズムも言語のイントネーションに従って変化し、拍子の概念すら希薄である。ときに囁き、ときに吠えるような声の波。ヨイクの響きは、旋律というよりも音の記号、声の地図である。

また、ヨイクは儀式的な文脈だけでなく、日常生活の中でも用いられてきた。母が子を想ってヨイクし、遊牧の民が山の彼方にトナカイを呼び寄せるようにヨイクした。ヨイクは、歌というより“存在の気配を残す声”なのである。

精神性と自然観 ── ヨイクに宿る世界観

サーミの宗教観は、アニミズム的な自然信仰に根ざしている。森、川、石、動物たちにはそれぞれ魂が宿るとされ、それと交感する手段のひとつがヨイクだった。

例えば、狩りの前に動物の精霊をなだめるためにヨイクを行ったり、ある土地の精を讃えるためにその場所をヨイクすることもあった。言葉にならない対話、音の交信。それがサーミにとってのヨイクの本質だった。

この精神性は、ヨイクの声が旋律や歌詞よりも「響き」に重きを置く理由ともつながっている。耳に残るのではなく、体に染み込むような音。自然との一体感を声で再現する試みが、ヨイクという表現を生んだ。

失われかけた声 ── ヨイクと抑圧の歴史

キリスト教化の過程で、ヨイクは“悪魔の声”とみなされ、数百年にわたって禁止・弾圧されてきた。スウェーデンでは学校教育からサーミ語が排除され、ノルウェーではサーミの宗教儀式そのものが違法とされた。

20世紀中盤まで、ヨイクを歌うことは恥ずべき行為とされ、都市部に出たサーミの若者たちは自らの文化を口にすることすら困難だった。結果として、数多くの伝承者が声を失い、貴重な口承文化の多くが失われた。

だが、1970年代以降、サーミの文化的権利を取り戻す運動が各地で活発化し、ヨイクも再び公の場で歌われるようになった。音楽フェスやラジオ番組でも紹介され、北欧諸国の若い世代にとって、ヨイクは新たなアイデンティティの象徴として再評価されている。

現代の声 ── ヨイクの革新と継承

このヨイク・リバイバルの象徴的存在が、サーミの女性シンガー、マリ・ボイネである。彼女は1989年のアルバム『Gula Gula』で、伝統的なヨイクにロック、ジャズ、民族音楽を融合させ、世界的に高い評価を得た。

彼女のヨイクは静かに、しかし力強く、抑圧と再生の歴史を語る。女性であること、先住民であること、声を奪われた過去── それらをすべてヨイクに込めて歌い上げる。

また近年では、サーミ系の若者によるヒップホップやエレクトロニカとの融合も見られ、ヨイクは単なる伝統芸能ではなく、“未来を語る声”として進化を遂げている。

結び ── 声が描く北極圏の肖像

ヨイクは、ただ美しい音楽ではない。それは生きるための音、忘れないための音、そして語り継ぐための音である。風に刻まれ、雪に染みこみ、血の中で鳴り続ける。

声に出すことで、世界をこの身に取り戻す。それがサーミのヨイクの哲学であり、現代の私たちにとっても、声の力と記憶の可能性を問い直す手がかりとなるだろう。

氷原に響くその声は、今も風とともに、世界の果てから私たちに呼びかけている。

Sera H.:時代を越える音楽案内人/都市と田舎、過去と未来、東洋と西洋。そのあわいにいることを好む音楽ライター。クラシック音楽を軸にしながら、フィールド録音やアーカイブ、ZINE制作など多様な文脈で活動を展開。書くときは、なるべく誰でもない存在になるよう心がけている。名義の“H”が何の頭文字かは、誰も知らない。

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