
民族音楽は、その土地の暮らしや風土、信仰、歴史を音に刻み込んだ、人類の“声”である。電子音が世界を席巻する今もなお、世界各地には太鼓や笛、声と手拍子だけで継承されてきた音楽文化が息づいている。この連載では、アフリカのサバンナからアジアの山岳地帯、南米の密林から極北のツンドラ地帯まで、世界中の知られざる民族音楽を訪ね歩く。単なる紹介にとどまらず、その背景にある文化や物語にも光を当て、音楽を通じて世界をより深く知る旅へと誘う。音の地球儀を、いま一緒に回しはじめよう。
古びたレコードから聴こえる、哀しみと歓喜がないまぜになったクラリネットの旋律 ── それは、歴史の中を旅し続けてきた民族の声である。クレズマー。ユダヤ人の移動と共に東欧の村々からアメリカ、イスラエル、そして世界へと広がっていった音楽は、単なる民俗音楽ではない。それは祈りであり、記憶であり、アイデンティティの再構築でもある。第12回は、ユダヤ・ディアスポラの音楽表現、クレズマーをたどりながら、魂の旋律に耳を澄ませる。
プロローグ ── 東欧の婚礼にて鳴るクラリネット
ある日の夕暮れ、ポーランドの小さな村の通りをクラリネットの音が満たす。旋律は跳ねているのに、どこか哀しみを帯びている。まるで歓びと嘆きが同じダンスを踊っているようだ。周囲には踊り手たち、笑顔と涙が入り混じった婚礼の光景。ここに鳴っているのが、ユダヤ人の結婚式を彩るクレズマー音楽である。
「クレズマー(Klezmer)」という言葉は、ヘブライ語の「kli」(器)と「zemer」(歌)を語源に持ち、“音楽の器”を意味する。もともとは職業音楽家、すなわち祝祭や儀礼の場で演奏するユダヤ人楽団を指していた。現在では、その音楽様式自体が「クレズマー」と呼ばれている。
この音楽の核心には、「感情を言葉ではなく音で語る」術がある。無言の祈り、語りかけるような装飾音、あるいは泣き笑いするようなヴィブラート ── クラリネットやヴァイオリンを通じて、語られなかった歴史がいま奏でられるのだ。
起源と歴史 ── アシュケナジムの旅と音楽
クレズマーの起源は、中世ヨーロッパのユダヤ人共同体、特にアシュケナジム(中東欧系ユダヤ人)にまで遡る。彼らは宗教的・社会的迫害を受けながらも、ドイツ、ポーランド、ウクライナ、リトアニアといった土地を転々とし、それぞれの土地の音楽と混ざり合いながら独自の音楽文化を発展させていった。
クレズマー音楽は、農村の結婚式や割礼、葬儀といった宗教的・生活的な節目に登場する。演奏家たちは“クレズモリム”と呼ばれ、世襲的に音楽家の家系が続くことも多かった。彼らはユダヤ教の聖職者とは異なり、世俗と宗教の間を行き来する存在であり、社会の中で独特の役割を担っていた。
演奏に使われる楽器は、当初ヴァイオリンやツィンバロン(ハンマーダルシマー)、フルート、太鼓などが中心だったが、19世紀以降クラリネットの登場によって、クレズマー独自の音色が確立される。クラリネットのうねるような旋律線は、人間の声を模した“語り”として位置づけられていた。
クレズマーの特徴 ── 喜びと悲しみが一緒に踊る旋律
クレズマーの最大の魅力は、その旋律に込められた“感情の複雑さ”である。マイナー調のメロディーが急に高揚し、陽気に舞い上がったかと思えば、またすぐに物憂げなフレーズへ沈み込む──喜びと悲しみ、祭りと弔い、希望と喪失がひとつのフレーズの中で交錯している。
このような感情表現は「ドレイ」(dreydlekh)と呼ばれる装飾音技法や、クラリネットによる滑らかなポルタメントによって生まれる。演奏者は楽譜に従うというよりも、自らの経験と身体感覚で音楽を「語る」。
さらに、リズムも特徴的である。ワルツ、フレイラクス、ブルガルといった舞踊リズムが多用され、会場の空気を一変させるような加速や転調も頻繁に登場する。聴衆の呼吸や歓声すらも音楽の一部に取り込みながら、クレズマーは“場”を生きたものに変えていく。
アメリカ移民と再解釈 ── ジャズと交わるユダヤの声
19世紀末から20世紀初頭、東欧のユダヤ人たちは迫害を逃れ、多くがアメリカへ移住した。ニューヨークを中心とする移民コミュニティでは、クレズマー音楽もまた新天地で花開く。移民たちは慣れない労働と差別の中でも、祝祭と信仰を手放さなかった。クレズマーは彼らの“移民の声”となった。
アメリカでは、クレズマーはジャズやスウィングの影響を受けてモダナイズされていく。クラリネット奏者デイヴ・タラスやナフトゥレ・ブランドワインは、ジャズの即興性とユダヤ旋律の融合に挑んだ。移民たちが暮らすブロンクスやブルックリンでは、結婚式バンドが一夜にしてダンスフロアを熱狂させていた。
その後、1960〜70年代には、アメリカのフォーク・リバイバルとともにクレズマーも再評価され、90年代には「Klezmer Renaissance」と呼ばれるブームが到来。クレズマティックスやフランク・ロンドンらの登場により、フェミニズム、LGBTQ+、社会正義といった現代的テーマとも結びつき、クレズマーは進化を続けている。
記憶とアイデンティティ ── 21世紀のクレズマー再興
ホロコーストによって多くのクレズモリムが命を落とし、音楽の伝承も一時は断絶した。しかし1980年代以降、ヨーロッパやイスラエル、アメリカの若者たちによって“忘れられた音楽”への再接続が試みられている。
女性ヴァイオリニストのアリシア・スヴィガルスは、フェミニズム視点からクレズマーの再構築を行い、長らく男性中心だった伝統に新たな光を当てた。イスラエルやドイツでは若い音楽家たちがクレズマーを学び、ジャズやロック、さらには電子音楽との融合を試みる動きも広がっている。
現代のクレズマーは、過去をそのまま再現するものではない。むしろ、過去と現在、宗教と世俗、東と西とを架橋する“現在進行形の記憶装置”であり、音楽によって生まれ変わる民族の歴史そのものである。
結び ── 音楽という祈りが語り継ぐもの
クレズマー音楽は、決して一枚岩の「伝統」ではない。むしろそれは、幾多の追放、差別、亡命の歴史の中で、声を失いながらも、音で語りつづけてきた人々の“生きた遺言”である。
クラリネットの哀しげなフレーズ、ヴァイオリンの跳ねる旋律、リズムの中に紛れ込んだため息──それらすべてが、言葉では伝えきれなかった感情の記憶を運んでくる。クレズマーは祝祭の音楽でありながら、どこか「記憶の断片」に触れるような痛みと温もりを同時に湛えている。
そしてそれは、ユダヤ人だけのものではない。流離う人々すべてに響く普遍的な“声”なのである。
今夜もまた、どこかの街角でクラリネットが奏でられているだろう。その旋律が語るのは、かつての旅の記憶。そして、これから始まる新しい旅の予感である。

Sera H.:時代を越える音楽案内人/都市と田舎、過去と未来、東洋と西洋。そのあわいにいることを好む音楽ライター。クラシック音楽を軸にしながら、フィールド録音やアーカイブ、ZINE制作など多様な文脈で活動を展開。書くときは、なるべく誰でもない存在になるよう心がけている。名義の“H”が何の頭文字かは、誰も知らない。