
民族音楽は、その土地の暮らしや風土、信仰、歴史を音に刻み込んだ、人類の“声”である。電子音が世界を席巻する今もなお、世界各地には太鼓や笛、声と手拍子だけで継承されてきた音楽文化が息づいている。この連載では、アフリカのサバンナからアジアの山岳地帯、南米の密林から極北のツンドラ地帯まで、世界中の知られざる民族音楽を訪ね歩く。単なる紹介にとどまらず、その背景にある文化や物語にも光を当て、音楽を通じて世界をより深く知る旅へと誘う。音の地球儀を、いま一緒に回しはじめよう。
遥か昔、インド洋を越えて行き交ったのは、香辛料や絹ばかりではなかった。音楽もまた、海の道を辿って旅をした。ポルトガルの弦楽器とアラブの詩が、南インドやインドネシアで出会い、ローカルな旋律と交じり合い、やがて“クロンチョン”や“ガザル”という独自の音楽文化を育んだ。今回は、「海のシルクロード」の記憶をまとったこれらの音楽に耳を傾ける。そこには、孤独な航海者の夢、混血する響き、そして時間を超える詩が息づいている。
風の通り道で生まれた音
17世紀、香辛料を求めて世界中から船が集まった東インド諸島 ── 今のマレーシア、インドネシア、そして南インドの沿岸部。ここはアラブ、インド、ポルトガル、オランダ、中国、日本、さまざまな文化が交錯する“音の温室”だった。
海の交易によって運ばれてきたのは、貨物や宗教だけでなく、人々の記憶と音楽だった。ポルトガルの吟遊詩人が奏でた哀愁ある旋律は、ジャワ島でクロンチョンとして再生し、アラビア語の詩は南インドでウルドゥー語と混じり合ってガザルへと変化する。
クロンチョンとガザル ── このふたつは、まるで海に浮かぶ島々のように、文化の潮流に揉まれながら生き延びてきた音楽だ。
クロンチョン ── 島が奏でたポルトガルの残響
クロンチョン(Keroncong)は、16世紀にインドネシアに伝わったポルトガルの弦楽器・カヴァキーニョ(cavaquinho)を起源とする。これがインドネシアの民族楽器や旋律と融合し、独特のリズムと哀感をもつ音楽へと発展した。
その音はまるで、熱帯夜にゆっくり揺れる小舟のようだ。低速の三拍子、シンプルなコード進行、そしてどこか懐かしさを誘う旋律。ギター、チャクレレ(小型弦楽器)、フルート、チェロといった編成は、西洋音楽とアジア音楽の融合を体現している。
歌詞は、恋、郷愁、運命、そして海 ──。クロンチョンは、まさに航海者たちの音楽だったのだ。
ガザル ── 詩の海を泳ぐ声
一方、ガザル(Ghazal)はペルシャ語詩に由来し、アラブ・ペルシャからインド亜大陸に伝わり、ウルドゥー語とともに発展してきた詩歌形式である。音楽としてのガザルは、南インドやマレー圏にも広がり、インド洋沿岸の文化層と結びついた。
その魅力は、何といっても詩の力にある。ひとつのガザルは、複数の詩句から構成され、恋や死、孤独、信仰など深淵なテーマが扱われる。歌手はただ旋律をなぞるのではない。詩に命を吹き込む語り部として、音と声と感情のすべてをもって聴衆を魅了する。
たとえばマレーシアの伝説的歌手ピ・ラムリーや、南インドで活躍したグル・ジャナン・シンなどは、こうした混淆的なガザル文化を代表する存在だった。
境界を越えて響く
クロンチョンとガザルには、いくつかの共通点がある。
ひとつは詩と旋律の深い結びつき。どちらも単なる娯楽音楽ではなく、「言葉」が「音」に変換される、精神的な音楽体験であるということ。
もうひとつは、複数の文化が融合して生まれた混血性。ポルトガル、アラブ、ヒンドゥー、マレー ── それぞれの文化要素が溶け合い、新しい音楽の器となった。音楽は、征服や宗教伝播の副産物ではなく、人間が共に暮らす中で紡いできた“雑種の美”なのだ。
現代の視点から見れば、こうした“混血的音楽”は、「純粋な伝統」を信奉する姿勢へのアンチテーゼでもある。むしろ文化とは流動し、変異し、受け入れ、共存してきたものだということを、クロンチョンとガザルは教えてくれる。
記憶の中の音楽、未来のなかの航海
クロンチョンは一時、インドネシアの国民音楽としてメディアで広く取り上げられたが、現代のポップ音楽に押される形で衰退しつつある。一方、ガザルもまた、デジタル化の波の中で「古臭いもの」として扱われがちだ。
しかし、若い世代のなかには、こうした音楽を再構築し、再発信する動きもある。電子音楽やジャズと融合させたり、アーカイブを使ってリミックスしたりと、新しい形で“海の音楽”が蘇りつつある。
たとえば、オランダ生まれのインドネシア系アーティストによるクロンチョンの再解釈、南インドの若手シンガーによるガザル・ジャズ・クロスオーバーなどは、その一例だ。
音楽は、過去の遺物ではなく、未来の可能性でもある。海が静かに波を寄せるように、クロンチョンとガザルは今も、耳を澄ませば聞こえてくる。
結び ── 海がつなぐ記憶のメロディ
海は、文化を隔てるものではなく、つなぐものである。クロンチョンとガザルは、まさにそれを体現した音楽である。
航海者の孤独、祈り、恋、詩、そして異文化の共鳴 ── それらすべてが音楽に変換されたとき、人は自分のルーツを超えた場所で何かに共鳴するのだ。
次回「音の地球儀」では、山岳地帯へと舞台を移し、“石と風と声がぶつかり合う”音楽文化を追う予定である。

Sera H.:時代を越える音楽案内人/都市と田舎、過去と未来、東洋と西洋。そのあわいにいることを好む音楽ライター。クラシック音楽を軸にしながら、フィールド録音やアーカイブ、ZINE制作など多様な文脈で活動を展開。書くときは、なるべく誰でもない存在になるよう心がけている。名義の“H”が何の頭文字かは、誰も知らない。