[音の地球儀]第8回 ── 倍音の草原:モンゴルのホーミーと風の音楽

民族音楽は、その土地の暮らしや風土、信仰、歴史を音に刻み込んだ、人類の“声”である。電子音が世界を席巻する今もなお、世界各地には太鼓や笛、声と手拍子だけで継承されてきた音楽文化が息づいている。この連載では、アフリカのサバンナからアジアの山岳地帯、南米の密林から極北のツンドラ地帯まで、世界中の知られざる民族音楽を訪ね歩く。単なる紹介にとどまらず、その背景にある文化や物語にも光を当て、音楽を通じて世界をより深く知る旅へと誘う。音の地球儀を、いま一緒に回しはじめよう。

広大な草原を渡る風のように、モンゴルの音楽は自然とともにある。それは旋律やビートというよりも、風、動物、山々の声を模倣し、拡張する音の術である。なかでも倍音唱法として知られるホーミーは、ひとりの人間の喉から二重の音を発するという神秘的な歌唱法だ。そこには身体と自然が共鳴する「声の哲学」がある。本稿では、ホーミーとともに響く馬頭琴(モリンホール)の哀切な響きにも触れながら、草原に生まれた音の世界を旅する。

風のなかに生まれた音

モンゴル高原に吹く風は、ただ空気を運ぶのではない。風は語り、歌い、記憶する。モンゴルの伝統音楽は、まさにこの風の言葉を借りるかのように生まれてきた。

なかでも代表的なのがホーミー(Khöömii)である。この倍音唱法では、低音のドローン(基本音)の上に、口腔内の共鳴を使って高音の旋律を重ねる。ひとりの声から、2つ以上の音が同時に鳴るという、世界でも稀有な技術である。

ホーミーは単なる技巧ではない。それは自然への共鳴であり、動物や風の模倣であり、土地と精霊への祈りでもある。モンゴルの遊牧民にとって、声とは自己表現ではなく、世界に耳を傾け、応答する手段なのである。

馬頭琴とホーミー──声と弦が語る物語

モンゴル音楽のもうひとつの象徴が、馬頭琴(モリンホール)である。2本弦の擦弦楽器で、その音色は馬の嘶きや草原の風のように揺れる。

馬頭琴の音とホーミーの声が重なるとき、それはまるで人と馬、声と風が一体となる瞬間だ。モンゴルの語り部たちは、しばしばこのふたつを組み合わせて物語を語る。ホーミーは語りの背景として空間をつくり、馬頭琴は情感を補う。

たとえば、「チャイハナ(酒場)での別れ」「死んだ馬への哀歌」「山の神に捧げる儀式歌」など、テーマはさまざまだが、共通するのは声と音が、自然と人との境界をなくしていくという感覚である。

自然と音の模倣──声は風の影法師

ホーミーにはいくつかの技法がある。代表的なのは以下のようなものだ:

  • Kharkhiraa(カルキラー):極低音を響かせる咽頭唱法。風や地鳴りの模倣に用いられる。
  • Isgeree Khöömii:口笛のような高音の倍音を強調。鳥のさえずりのようにも聴こえる。
  • Sygyt(シギット):口を閉じたまま倍音を明瞭に出すトゥバ地方の唱法。

これらは単なるエフェクトではなく、自然の中にある音と人間の身体の交差点を探る術なのだ。

ホーミーを学ぶ若者たちは、まず山に登って風の音を聴き、川の流れを真似しようとする。自然を模倣することでしか、ホーミーは体得できない。逆に言えば、それは身体を自然に開く訓練でもある。

聴覚のシャーマニズムとしてのホーミー

モンゴルでは、音楽と呪術、声と霊性は明確に分かたれていない。特にホーミーには、シャーマニズムの痕跡が濃厚に残っている。

遊牧民の世界観では、人間は自然の一部であり、あらゆる音──雷、馬の蹄、風、川の流れ、鳥の声──には精霊が宿る。ホーミーは、それらに“応答”する声であり、時に交信の手段として用いられてきた。

また、ホーミーには癒しの力もあると信じられてきた。病を治すためにホーミーを聴かせる儀式、子どもの夜泣きを鎮めるための倍音唱法など、音が持つ治癒的な側面は、西洋音楽療法とも異なる深みを持っている。

現代のホーミー──伝統とグローバルのあいだで

近年、ホーミーは世界的な注目を集めている。世界音楽フェスや映画サウンドトラックへの起用、教育機関での講義など、その文脈は拡張され続けている。

なかでも注目すべきは、若い世代による実験的なホーミーである。エレクトロニカやアンビエントと融合した作品も登場し、従来の“模倣”から“創造”へと向かう動きが生まれている。

たとえば、モンゴルの若手アーティスト、ザ・フー(The HU)は、ホーミーをメタルロックと融合させ、グローバルな注目を浴びている。その一方で、バツォリグ・ヴァンチグのように、純粋な伝統様式を守る声もある。

ホーミーはいま、伝統と革新の間で呼吸している。

結び──音が風とひとつになるとき

ホーミーは、声の限界を拡張する技術であると同時に、世界と一体になるための術である。

風とともに生きるということ。音を出すのではなく、音と一緒にあるということ。そこに、ホーミーが今日まで伝えられてきた理由がある。

私たちがこの音を聴くとき、そこにはただの倍音ではなく、草原を駆け抜ける風、遠くに去った馬、沈黙のなかに響く祖先の声が重なっている。

Sera H.:時代を越える音楽案内人/都市と田舎、過去と未来、東洋と西洋。そのあわいにいることを好む音楽ライター。クラシック音楽を軸にしながら、フィールド録音やアーカイブ、ZINE制作など多様な文脈で活動を展開。書くときは、なるべく誰でもない存在になるよう心がけている。名義の“H”が何の頭文字かは、誰も知らない。

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