
遥か南太平洋に浮かぶ島々、タヒチ、ハワイ、サモア、トンガ──大地よりも海が広がるこの世界では、声が波となって大洋を渡る。ポリネシアの音楽は旋律の芸術であると同時に、記憶の船でもある。口伝によって継がれてきた歌は、航海術、神話、愛、抗いの物語を、世代から世代へと送り届けてきた。第6回では、ポリネシアの合唱文化と儀式音楽を中心に、「集団の声」が生み出す特異なハーモニーと、それがいまも息づく海洋世界のスピリチュアルな響きを追いかける。
うたは島を越えて
ポリネシア音楽の出発点にあるのは、“集団の声”である。特に有名なのが、タヒチやクック諸島、トンガ、サモアなどで発展してきたヒメネと呼ばれる合唱様式だ。これはキリスト教布教とともに19世紀以降に持ち込まれた西洋の讃美歌が、現地の口承文化と混ざり合って生まれたものである。
だが、ヒメネは単なる「南洋の聖歌」ではない。ポリネシア人にとって声とは、土地、祖先、海との絆をつなぐ呪術的な力であり、集団での歌唱は共同体そのものの姿を映し出すものなのだ。
ハーモニーの海:ポリネシア的ポリフォニー
ブルガリアの女声ポリフォニーと比較されることもあるが、ポリネシアの合唱はそれとは異なる“重なり方”をする。4声から6声の構成で、それぞれのパートが異なるタイミングで入り、リズムと強弱が複雑に交差する。あえてずらして重ねることで、音楽に“波打つような”浮遊感が生まれる。
この方法は、伝統的なカヌー航海術とも重なる。星や波、風の“ズレ”を頼りに進むように、音もまた「そろえる」より「揺らす」ことで意味を生むのだ。
フラ、オリ、ハカ──儀式としての声
ハワイでは、**オリ(Oli)**と呼ばれる詠唱や、**フラ(Hula)**の歌と踊りが、儀礼的・教育的機能を担ってきた。言葉とジェスチャーを連動させることで、叙事詩や系譜、神話を身体的に記憶する仕組みである。
また、サモアやマオリ文化においてはハカ(戦いの詠唱と踊り)が有名だが、本来これは単なる威嚇ではなく、祖霊への呼びかけ、戦士の覚悟、土地との同調を意味していた。叫ぶような声、低い打音、体の振動が一体となるその様子は、音楽と儀式の境界を曖昧にする。
記憶の楽器:声がすべてを代行する
ポリネシアには、ガムランやグリオのような専用楽器は少ない。打楽器や弦楽器もあるにはあるが、多くの儀礼や語りは“声だけ”で成り立つ。
これは「音楽=記憶の手段」という感覚が強く、語り手や歌い手が、土地の履歴書や天文地図を“歌い継ぐ者”として機能していたからである。たとえば、マオリのカランガは、葬儀や式典の際に女性が詠唱するもので、亡き魂と土地の神々をつなぐ“声の橋”となる。
このような声中心の音楽観は、ナヴァホのチャントやイランの声楽とも共鳴する。だがポリネシアの声は、より“開かれている”。祭りや儀式の場では、子どもから老人までが輪になり、体ごと声を発する。誰もが「演奏者」なのだ。
現代に生きる海の声
ポリネシアの音楽は、植民地化・キリスト教化・観光化を経ながらも、今なお力強く生きている。現在では、多くのアーティストが伝統の形式を維持しつつ、ポップスやレゲエ、R\&Bと融合した新しい海洋ポップを生み出している。
特に注目すべきは、ニュージーランドやハワイで活動するネオ・トラディショナル系の若手たちである。たとえば、ハワイ出身のカウマカイヴァ・カナカオレは、伝統的オリをベースにした独自の声楽スタイルを築き、LGBTQ+の視点も織り込んだ新しいチャントを提示している。
また、アニメ映画『モアナ』のサウンドトラックにも参加したTe Vakaは、伝統打楽器と現代楽器を融合させ、ポリネシア音楽を国際的に再定義している存在だ。
結び──波とともに在る声
ポリネシア音楽の本質は「分かちあう声」にある。それは、島と島を結ぶカヌーのように、世代と記憶と魂をつなぐ媒体だ。個人の技術ではなく、集団の記憶としてのうた──それがこの海域における“音楽”のかたちである。
声は、海と同じように波打ち、揺れ、漂いながら、決して途絶えることなく響き続ける。次回「音の地球儀」がたどり着くのは、どんな「声の風景」だろうか──。

Sera H.:時代を越える音楽案内人/都市と田舎、過去と未来、東洋と西洋。そのあわいにいることを好む音楽ライター。クラシック音楽を軸にしながら、フィールド録音やアーカイブ、ZINE制作など多様な文脈で活動を展開。書くときは、なるべく誰でもない存在になるよう心がけている。名義の“H”が何の頭文字かは、誰も知らない。